どうも日曜の夜8時に大河ドラマを見る機会に恵まれないので、録画することになります。
かみさんは中々見る機会がないようで、まだ御館の乱あたりだそうです。
記憶にある大河ドラマといえば、1969年の「天と地と」でそのときも米沢は今回のようなフィーバー振りだったような気がします。お祭りの時石坂浩二氏が来たりして。あまりやってることは変わってませんね、四十年も経ってるのに。
それまでの上杉祭りのパレードはあくまでも「仮装行列」といわれており、町内単位とか商店会とか企業が車に山車を作って町回りをする、というスタイルだったように思います。
それが「天と地と」以降は上杉行列という感じの部分だけになり、子供的には非常につまらなく感じたものです。
私は子供の頃よく一人でどこかにいってしまう子供でした。息子が今4歳なのですが、私がそのくらいの頃は、勝手にいなくなることが頻発しました。そういえばあ奴もこの間一人で外に出ていったらしいです。
割と記憶がはっきりしているのは、この5月3日のパレードの日のことです。
今でも米沢駅で砲術隊の試技が行われるのですが、当時もそうだったのでだいたいその辺でお祭りを見ていました。
それから一旦家に帰り、母が用事があるので一緒に車で南部小学校のほうに向かいました。用足しをするまで車で待っているようにいわれたのですが、遠くから何気に楽しそうな音が聞こえてきます。
そうです、パレードが近くまでやってきたのです。ぼくは見たくて見たくてたまらず、初めて自分で車のドアを開けて音のするほうへ歩いていきました。
人がたくさんいます。場所はどの辺だったのでしょうか。
パレードがやってきました。一回見ているので大体何が来るのかは分かっていました。
好きだった電電公社の電話機の山車を見てからそーっと車の方に戻って、何事もなかったように待っていた振りをしていました。
そうしたら子供がいなくなったということで、母親は随分心配して探したそうです。自分では数分と思っていたのですが、多分かなりの時間がたっていたのだと思います。
その前かその後か、東京に行ったときも一人で浜町公園に再訪する、という迷子ではないのですが勝手にいなくなる子供という役どころをやった覚えがあります。やっぱりみんなで心配するわけで、、、。
上杉神社の毘と龍の軍旗は以前はなかったように思うのですが。多分天と地と以降ではないかと睨んでいるのですが。
子供心にこの旗を見て、無い方がいいのに変なことになったものだ、と思ったことを思い出す今日この頃です。
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