放浪記2000回を思う。

  • 放浪記2000回を思う。
森光子は元々は映画女優であった。
そして若き日の一時期、天才漫才師ミスワカナの弟子になった。
昭和22年ごろ米沢に来た時は歌手:森光子であった。
そして役者になった。

森光子と故ミヤコ蝶々は1920年生まれ、同年である。(89才)
上沼恵美子の師匠、海原小浜が1924年生まれ。(85才)
今いくよ・くるよ、島田洋七・洋八、島田紳助の師匠今喜多代が1926年生まれ。(83才)
今骨折でお休みしている京唄子が1927年生まれ。(82才)
これまた骨折しているかしまし娘の正司歌江が1929年生まれ。(80才)
レッゴー三匹の師匠でシャクレ顎のタイヘイ夢路が1930年生まれ。(79才)

この女漫才師たち、みなさん相変わらずやってまっせ!!
みんな森みっちゃんを何かしら思っていると思います。そりゃ、いろんな意味で。同じ仲間だったんだから。

そして、今回のことでコメントを出しているかどうか分からないけど、1960年代森光子同様大阪朝日放送専属であった、藤田まことという名優も彼女たちと同じ立場で活躍していたともいえるし、くすぶっていたともいえる存在です。彼のコメントを聞いてみたいと思います。

おめでとう!森みっちゃん。

シナトラの持ちネタ、彼女の「国境の南」がなかなかいいのです。
2009.05.19:mameichi:[芸能音楽の50]

内海桂子も!

こんちわ。
mixiの日記にも書きましたが、今年の始めに浅草で
内海桂子師匠を見てきました。
86歳でしかも相方に先立たれているというのに
こちらも元気でしたよー。
俺達も下手したら80まで長生きしちゃうのかなー?
特に俺なんかストレス無いしー。
どうしよう?
2009.05.24:先輩:[編集/削除]

相方と別れてからの

漫才師というのは、精彩を欠く場合が多いと思います。

コロンビア一門というか、青空一門は総帥のコロンビアトップ・ライトをはじめ、青空千夜・一夜、青空うれし・たのし、青空はるお・あきおなど見事にコンビ別れをしています。

それでもトップ・ライトは花王名人劇場などでたまにやっていましたが、やっぱりそんじょそこらの漫才よりも優れていました。

春日三球なども奥さんがなくなってからは誰とやっもうまくいかないのです。

内海桂子師匠は私も数年前国立劇場演芸場で拝見しました。そのとき灘康次とモダンカンカンも出ていて、今はやってらっしゃらない島影正人氏のテナーサックスを堪能しました。(伴丈治という方がアルトで参加されているようです。)
2009.05.25:mameichi:[編集/削除]

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