今でももしかすると首都圏にはあるかもしれない踏切番。
たまにニュースで開かずの踏切を規定外に踏切番の人が親切心で開いて、事故になるケースが報告されます。首都圏、関西などの飛ばす私鉄では、もはや人間では制御不能なのかもしれません。
それから見ると、今はなき米沢駅南の末広町踏切はのんびりした踏み切りで、今の黄色と黒に塗られたバーが両側から降りてくるものではなく、道の両側に固定した棒があり、それに針金が渡してあって針金に黄色と黒の斜線で描いたひらひらの鉄板(?)が6~7枚付いていて、これが手動で上下します。末広町の北側に小屋があり、そこに踏切番のおじさんがワイヤーをぐるぐる回しているわけです。バレーのコートを作る時に、真ん中の網を張る作業に似ている感じがします。
この商売については、かなりなりたいものの一つでした。今考えると危険と隣り合わせの職業ですが、何となく楽そうな楽しそうな雰囲気が子供心をくすぐったものです。あの頃の駅は深夜の貨物列車の入れ替えや夜行列車など、また米沢は除雪などもあるのでいつも煌々とカクテル光線が塔から降り注がれて、なにか特殊な雰囲気を漂わせていました。
受験勉強と称して、深夜に起きていると鉄道の音が大きく聞こえる日があり、歩いて5分の旧13号線陸橋から駅を眺めたりもしました。
それと似たように、現在の町の広場に市役所があった時、今の文化会館の南側に火の見櫓があり人が双眼鏡を持っていつもぐるぐる回っていました。これもなりたい職業の一つでした。歩いて回っているのだと思いますが、なにか機械的な感じのする動きであの辺を通る時は目が釘付けになっていました。
そんな仕事をしていた方に、いろいろな話を聞いてみたらさぞかし楽しいのでは、と思ったりします。
写真は福田町から吾妻町の間の在家踏切から松川鉄橋方面を望んだところです。
白い枝垂桜と紅桜がいいコントラストで咲いています。鉄道が通ってときに植えられたのでしょうか。米坂線の歴史をずっと見守っているに違いありません。
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