私が子供の頃のテリトリーであった東部地区は北は八木橋という松川縁の集落から東は六部、片子、南は通町一丁目、日の出町国立療養所と広大な広さでした。現在は通町日の出町が松川地区となり、若干範囲が狭くはなりましたが。
私が行っていたのはなんといっても信濃町の大日堂前の吉野屋です。
おばあさんが一人でやっていて、東部保育園に孫を迎えに行くときは、店に白いカーテンがかかっており、そんなときは遊んでばあさんを待っていたものでした。
店に入ると壁には甘納豆の当て物がかかっており、くじで引いて何杯か決めるカレーせんべい(薄緑色のコップで袋に入れる)、ガムの当て物(トップサンガムだったと思います。)上のほうには細木と竹ひごで作る飛行機の紙袋が洗濯ばさみでぶら下がっていました。
あとは怪獣の写真が一枚五円で売られており、通常はウルトラ物なのですが、映画の公開に併せて、ゴジラ、ガメラ、ギララ、ガッパなどの映画物が販売されました。まだあったんですね、全ての封切館が=東宝(米劇)、大映(中央)、日活(丸の内)、松竹(遊楽館)。
花火の季節になると奥の部屋の入口に雑然と並べられ、その中からよく吟味してセレクトしたものでした。そのほか学習帳などの文具や小間物なども所狭しと並べられており、かなりのワンダーランドでした。
他に東部小学校近くの後藤店(多分八百屋が本業)の左側のコーナー、通町の田代店(洋品店とタバコ屋もしていた気がする)はちょっと珍しいぬりえを販売していたし、駅前の大島店(本業は雑穀か、卵なども売っていた気がする)も花火などはかなり充実していたような覚えがある。
その外の地区で記憶にあるのが、南部小前の種村店(たなむらみせ、と読みます。)東寺町善立寺脇の青柳店、上杉公園南堀端の神原店、幸町三の丸脇の角店
他の店に行くと、問屋が違うのか、店主のセレクトが違うのか、いつもとは違う商品が並んでいて、興味をそそられました。
かどみせはまだやっているんでしょうか。あとは壊滅状態ですね。
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