一昨日の竹田又右衛門さんとの出会いで少し触れたのですが、この鉄道について書いてみたいと思います。
米沢に鉄道(奥羽線=今の山形新幹線のルート)が開通したのが明治32年5月15日、それからほどなくして豊川炭鉱馬車鉄道が7月25日米沢停車場-糠野目間を開業しました。その後9月19日赤湯まで延長しました。馬車鉄道とは、馬が客車や貨車を引っ張る鉄道です。
小学生の頃から、米沢大年表(中村忠雄編)という本で存在は確認していたのですが、なぜか全国の便覧などには全く存在を拒否しているかのような鉄道なのです。鉄道趣味というのは、それはそれは奥の深いもので、歴史、写真、国鉄、私鉄、貨車、乗車、乗車券、模型、等等細分化に細分化を重ね一つの分野に必ず権威がおられます。私鉄の歴史の権威は和久田康雄氏ですが、残念ながらこの鉄道のことはどれにも掲載されていません。いまのところ前述の年表以外に米沢市史、川西町史、粡町史に数ページの記述があるぐらいで、山形県史など県の歴史には一切登場しません。
但し、現在米沢市立図書館に残る米澤新聞にある程度詳しいことが記載されており、役員も米澤新聞の役員とかぶっている方もおりました。米沢駅より赤湯まで走ったことは確認できたのですが、実際冬を迎えて運休して春にはそのまま運転されず、ほんの数ヶ月程度で廃止に至った、ある意味稀有な鉄道ということが分かりました。当然株主からは訴えられる始末となり、大失敗に終わるのです。
資本金5万円は現在の5億ぐらいのイメージでしょうか。その後米沢には私営鉄道熱は全くなく、よほど痛い目にあったのだと思います。置賜では唯一高畠町が高畠鉄道を糠野目-高畠-二井宿間に開業させたぐらいです。
今のところ、新聞記事と法務局の登記簿しか見つけ出せていません。株券、路線図、時刻表、そして開業式の写真なんかがあれば是非見てみたいと思います。心当たりのある方はご一報ください。
ちなみに豊川炭鉱は飯豊町手ノ子にあった亜炭鉱山で、残念ながらそちらには鉄道が通じることはありませんでした、
諸般ストラウスの事情で、、、
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