日経の最終頁に載ってる私の履歴書ですが、大概企業の社長の自慢話なのですが、2年ぐらい前に掲載された故遠藤実先生のは最高でした。
さて、私の場合ですが、、、
何となく、楽器というものが好きだったのでしょう。子供の頃から興味はありました。問題なのは修行が嫌いなのです。それではうまくなりません。その辺は現在も変わりません。
そして、相変わらず中途半端ではありますが演奏は続けております。
管楽器の付き合いは中学1年に遡ります。体操が苦手なので、ブラバンに入りました。トロンボーンを吹くことになりましたが、全く出来ませんでした。いやいやながら3年間を過ごしました。
高校になりました。ブラバンでは痛い目にあったので、山登りを始めました。ただし誘ってくれる方があり、BBショックというバンドにトロンボーンとクラリネットで混ぜてもらいました。
大学に入りました。その頃ブルースという音楽に興味を持ち、大学のサークルでブルースを弾けるギタリストがいる、ということでカントリー&ウエスタン(?)のバンドに入りました。下北沢スーパー・マーケットというライブハウスに出してもらいました。そのときのヴォーカルは歌川さんという人で、その後ペプシだかコカだかのコマソンを歌っていましたが、その後どうされているのか、、、そのころサックスを買ってサックス奏者になりました。
やはり方向性が違うため、自分でバンドを作ることを考え、いろんなライブにいき、武蔵野音楽学院という専修校のひとと仲良くなり、オールド・ディックスというバンドを作りました。吉祥寺マンダラをはじめ、渋谷ラ・ママとかいろんなライブハウスに出してもらいました。
その後、バンド内の改編があり私は、ライブで対バン(対抗バンドの略か?)だったコールド・スエッツというバンドに拾われました。そこでドラムをたたいていたのが現在東京スカパラダイスオーケストラでテナーサックスを吹いているGAMO君です。ここのバンドは女の子に人気があり、私が勤めた中では唯一のそういうバンドで楽しかったです。ライブハウスも原宿クロコダイル、新宿アンティノック、などに出させていただきました。
その間、バンド名は忘れましたが、丸君というサックスにピックアップされて神楽坂エクスプロージョンやロックの殿堂新宿ロフトにも上がらせていただきました。
コールド・スエッツはパナマ・ナイト・クラブからパナマへとめまぐるしく改名し、それをやりながら自己のバンド、スイート・ナイツ・トウキョウというサックス・ギター・ベースのバンドを結成しました。
そうしているうちに、オールド・ディックス時代のサックスから誘われ、横浜のチャーリー宮毛という鳳敬助さんのお弟子さんののバンドにトラで呼ばれました。ライブハウスは今はなき横浜は山下のバンドホテルのそばのシェルガーデン。なかなか味のあるライブハウスでした。そこであったピアノの人と意気投合、楽団:魅惑の羽衣が結成されました。
下北沢ロックン・ロール・ダイナ、高円寺次郎吉、イカ天なんかにも出させていただきました。メンバーのラッパの人がその頃プロとして幾多の演歌歌手の伴奏で活躍しておられ、一回だけキャバレーの演奏にも参加させていただきました、譜面も読めないのに。今は若干読めるようになりました。
その後米沢に戻り、女性ヴォーカルの伴奏、ロックン・ロールのバンドを経て、現在のスターダスターズというフル・バンドにたどり着きました。今後もどうなるものやら。
スター・ダスターズは今年が10回目のコンサートになります。そのときは是非いらしてくださいますよう、角から角までずず、ズイトー、宜しく御願奉ります。
写真はあと4日で終了する冬珈琲です。キリマンジャロ中心の香りのいいブレンドです。残り僅か、いかがでしょうか。
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