生まれて育ったのが米沢で、なぜか関西への憧れが強くありました。何でか知れませんが、高校のときやっぱり京大とか同志社とか、立命館とか行くものもいましたね。
なんといっても西の雄はあの当時、かしまし娘ではなかったでしょうか。東のクレージー・キャッツに対して一歩も引かない力がありました。そして藤山寛美という人が席巻する時代が来ます。藤山寛美3600秒という劇場中継を毎週やってました。
子供の頃学校の図書館の落語全集で憶えたのとはちょっと違う落語が聞こえてきたのは、多分現在人間国宝の米朝師匠だったのかもしれません。その後春談治、小文枝、そして松鶴の落語を聴くのは、弟子の鶴光のオールナイトニッポンを聞くようになってから、少ししてだったと思います。
その間、漫画トリオ、いとし・こいし、ダイマル・ラケット、宮川左近ショウ、ちゃっきり娘、フラワーショウ、Wヤング、やすし・きよし、チャンバラトリオ、柳次・柳太、はんじ・けんじなど、見ました、見ました、西の人の素晴らしい芸を。その後ですかね、伸ハワイ、洋介喜多代、千里万理、お浜小浜、なんかを意識したのは。
漫才ブームの前の吉本が息を吹き返す前の混沌とした時代だったのかもしれませんね。
東京落語のほとんどは上方のネタです。しかも漫才もかなりかぶってます。ちょっと分かるとまたこれが面白い。当然能、狂言、歌舞伎も総てかぶってます。勝手に芸術にしている人がありますが、全く元は一つです。
写真は昨日作った鶏の手羽の煮物です。鶏は名古屋が本場ですが、名古屋の笑いも侮れないと聞いております。
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