上杉曦山とは米沢藩12代目上杉斉憲の事で、この小山に碑が立っています。夏に行ったら倒壊の危険ありということで、縄が巡らされていました。結構大きな碑で石は南原大平から冬にそりで運んだらしいです。人望も厚く鷹山以来の人物ということで、3万石の加増受けたのは、会津から米沢に転封になって以来初めてのことです。
斉憲(なりのり)は上杉家12代藩主、幼名を鶴千代。喜平次。この人も喜平次だったようです。上杉家には珍しく子供の多い方で13男までおり、お姫様も山内、池田、細川、小笠原と、名門上杉たるところにみなさん嫁いでらっしゃいます。子息も小藩の殿様になった方が多く、幕末の波に巻き込まれ兄弟様々な人生になったようです。
この碑は題字が有栖川熾仁親王、石碑裏の文は勝海舟によるもので、明治24年に斉憲を慕う旧藩士の手によって建立されたものです。
有栖川といえば、あの詐欺師どうしているのでしょうか。確か八百屋だったと思います。
そういえば昨日のことですが実家の母から、私を名乗る男から電話があったがお前電話してきた?と連絡がありました。声質が全く違ったらしくすぐに分かったようです。
そういえば家の母の家業も八百屋でした。関係ないか、、、
あと曦山公の曦は日に義ではないので大きくしてみてください。
古い写真をみるとここの山は昔とあまり代わりがないように見えます。
桜のつぼみもふくらんで、春は早くやってきそうです。
状況によりますが(この雨なので)今日はお祭りなので、夜は少し長めに延長営業してみようと思っています。是非お立ち寄りください。目標は21時です。
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