子供の頃から、普通にあって何がなんだか分からないが存在はしているもの、ということになります。
福田町から万里橋(これも随分おっきい名前ですなぁ)を渡り、すぐ右に曲がり大きく蛇行して通町の新道に抜ける250メートルほどでしょうか、結構ワンダーランドな雰囲気があります。あっ、ここは一方通行なので、今の説明だと逆走になってしまいますね。自転車(米短生は飛ばすよ、ここ)は大丈夫ですが、、、
通町から新道を来ると、この道を通れば信号を一つ飛ばせるエスケープなのですが、知る人もだんだん少なくなり、ここを通らずに信号待ちをして左に曲がる車も多いですね。
一つは三つの石で、ある人の話では市内から白旗刑場(今の五中前の病院のところ)に送られる人が最後にこの世を偲ぶ休み石だったそうです。ログハウスの脇の通り沿いに鎮座しています。そしてそこに残る雑木林も江戸を感じさせる手付かずの領域です。そこと松川堤防の間は新しい住宅地となっており米沢ビバリーヒルズ???という話もあります。
そして二つ目は左側の窪地です。どうしても橋の袂は堤防を作ったために地べたよりも道のほうが高くなり、2階が玄関という風になってしまいます。ここにも一軒そのようなお宅があります。これまた子供にとっては不思議感満載で、住んでみたいなぁなどと思っていました。住ノ江橋大正寺の辺にもその風情は残っていますね。あの保健所も怪しい雰囲気がありました。
そして、この小屋です。昔からあります。ずっとおんなじです。40年は見ていると思います。一回開いたところを見た気もしますが、どんなだったかまったく記憶にありません。
場所からすれば、水防の道具でも入っていそうなところです。あまりにも手付かずのところが、オフィシャルなものを感じさせます。民間ならここまで放置しては置かないでしょう。この白っぽいペンキの羽目板や、緑の屋根などイメージとしては米軍キャンプの倉庫ですね、国立や鶴見なんかにもありましたよ。オキュパイト・ジャパン時代のものなのでしょうか。進駐軍といえば旧一中のイメージともダブります。
小国町(米沢市内の)の芦川医院もこんな感じの日本でない空気がありました。何となく野口英世がジャングルで黄熱病の研究をしている病院のような、、、待合室も、診療ベットも日本ではなかったなぁ。
子供の妄想は留まるところを知りません。
まじまじと写真をみると、観音開きの戸が結構大きいので、かなりな大きいものが入っているのでしょうか。舟でしょうか?窓が割れているので、見れば何か分かるのでしょうが、「やぶこぎ」はいやなので、、、詳しい方、ご教示願います。
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