上杉家が入る前より、米沢は水利があまりよくないためなのでしょうか、米よりも果実が多く栽培されていたそうです。
そして入府以降、栗、胡桃、梅、桃、杏、すもも、いちじくなど推奨され随分栽培されていたようですが、その痕跡は館山のりんご(これは無論明治以降)以外あまりありません。
イザベラバードが来た頃は桃源郷と思ったほどなので、明治以降の経済になってから養蚕、たばこなどより現金収入になるものに変っていったのでしょうか。
毎日通ってくる福田町は栗の産地だったそうです。(胡桃は表町周辺だったということです。)目立った栗の木は3本ほどしかなくなりました。
その近くにいちじくが実っていました。やっぱり甘露煮でしょうか。ジャムにしてもおいしいです。食物繊維で天然のペクチンが豊富なので、お通じにいいといわれております。
その事象と浣腸のかたちというか商標というか、どう連動しているのでしょうか?
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