という句は山頭火ではなく尾崎放哉だったでしょうか?昨日は気管支炎持ちの私も喘息持ちの息子も夜中ゲホゲホが始まり、咳ふたり、ひとり眠れず といった具合でした。咳をしているほうは寝ているような起きているような中途半端な状況ですが、そばで聞いているほうは、うるさくて眠れなかったみたいです。
自由律の俳句は中学の教科書に載っていたでしょうか?あっ、これはいい!と思いその当時自分で作ったものでした。
足がかゆいので、左手でかく
トンボ家の中、駆け抜ける
朝顔、赤いのと青いのとある
学校に自転車で行った
とかなんぼでも作れるわけですが、先生に持って行ったら、こういうのは俳句とは言わない、とかいわれました。
まあ、いいでしょう。
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