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さらば、キハ52。

  • さらば、キハ52。
今日は11回目を迎える南原音楽祭で演奏してきました。急いでいたからでしょうか。店に帰る途中、かなりの確率の悪さで米坂線につかまってしまいました。日中につかまるなんて、ほとんど走ってないのに。

上りだとすぐに通り過ぎたのでしょうが、運悪く下りなので、南駅からなかなか発車しません。対抗の車もずいぶん並んでしまってます。

そして、かなり悠長にやってきました、写真も止まったように撮れています。現在JR東日本ではここでしか見られないキハ52(多分)です。11月1日より順次新型車両に交代されるとのことで、この朱色と肌色のやつはもう見られなくなるわけです。

新型車両はキハE120型というのになるのですが、製造は新潟トランシスという会社です。名門、新潟鐡工所がいつのまにか会社更生法でいろんな会社にバラバラになってしまっていたのですね、知りませんでした。

しかもつぶれた理由が同時多発テロによる受注の減少ということに二度びっくりです。トランシスはその継続会社(IHIが出資)なのですが、是非新しい車両に乗って鮎貝ののろま食堂にラーメンでも食べに行きたい秋の昼下がりです。
2008.10.26:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

よっ、なかむらやぁー

  • よっ、なかむらやぁー
歌舞伎座の三階席ではありません。そういえば閉演1時間前ぐらいから3階席はするりとロハで入れたことがありましたよ。なんか坂東なんとかとかいう子供の初舞台の披露口上をやってました。いま考えると非合法だったのでしょうか。いや、申し訳ない、、、

さて、出勤途中に、新宿某カレー屋のピザまんが落ちていました。工場は栃木でしたっけか?

昨日は天気もよく、わが町では「おしょうしなマラソン大会」というのが開催されており、そのコース上に落ちていたのが件の饅頭です。食べながら走っていたのでしょうか?
それはないやろーーー。

そういえば新宿の紀伊国屋の前のカレー屋さんは月餅でも有名ですし、そしてピザまん、、、インド、中国、イタリア、、、まさに世界の料理の饗宴といったところでしょうか。


そういえば、歌舞伎座の建て替えが本日発表になりました。前に立ってみてみると、不思議建物です。上杉神社の稽照殿にもその風貌はありますね。
設計者は吉田五十八、大田胃散創業者の子息で、数奇屋造りを現代建築に持ち込んだ先生です。建築家では伊東忠太に続き二人目の文化勲章受勲者だそうです。もちろん稽照殿の設計は伊東忠太その人です。

2008.10.20:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

まつぼっくりがあったとさ、、、

  • まつぼっくりがあったとさ、、、
昨日は幼稚園の相撲大会、揺れる日本相撲協会に対して、こちらは非常におだやかです。対戦までみたかったのですが、挨拶やらお父さんの取組み(ちょっと初っ切り風のコントっぽいやつ)などがあり、なかなか子供たちの取組が始まらないので、途中で開店準備に向かいました。

本人は「まけたけど、がんばった!」といって帰ってきました。みんなが赤かて、白かてと応援しているときに、勝手気ままにまつぼっくりをひらう、うちの息子でした。

そういえば、一歳の頃はまつぼっくりのことを「まっくり」といってましたよ!
2008.10.19:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

いちじくはどうなることかと思いました。

  • いちじくはどうなることかと思いました。
上杉家が入る前より、米沢は水利があまりよくないためなのでしょうか、米よりも果実が多く栽培されていたそうです。

そして入府以降、栗、胡桃、梅、桃、杏、すもも、いちじくなど推奨され随分栽培されていたようですが、その痕跡は館山のりんご(これは無論明治以降)以外あまりありません。

イザベラバードが来た頃は桃源郷と思ったほどなので、明治以降の経済になってから養蚕、たばこなどより現金収入になるものに変っていったのでしょうか。

毎日通ってくる福田町は栗の産地だったそうです。(胡桃は表町周辺だったということです。)目立った栗の木は3本ほどしかなくなりました。

その近くにいちじくが実っていました。やっぱり甘露煮でしょうか。ジャムにしてもおいしいです。食物繊維で天然のペクチンが豊富なので、お通じにいいといわれております。

その事象と浣腸のかたちというか商標というか、どう連動しているのでしょうか?
2008.10.10:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

東京タワー、空を仰ぐ。

  • 東京タワー、空を仰ぐ。
久々の東京、久々のタワーです。威風堂々であります。

コーヒーマイスターの講習ということで、タワーの近くにある司厨士会館で講習がありました。ホテルオークラの故小野庄吉シェフの写真などがありました。

来たる11月7日(金)にマイスターの試験になるので店は休みになります。ご了承ください。


深夜バスを上野で降りて、6時に燕湯という朝風呂をやってる銭湯へ。
背奈に鐘馗様の紋々を入れている鳶職風情のかたがいたりして、「ちょっくらごめんなさいよ、えぃ、」といった面持ちは古今亭志ん朝描くところのまさに江戸情緒。緒形拳が亡くなったというニュースが流れていて、番台のご主人が新国劇の頃ちょっと知りあったことを常連に話されていました。

神田万惣までそぞろあるき(ここであがってホットケーキ食べながらシェリー酒飲んだりすると、いきなり鬼平、池波正太郎に早変わり、、、そういえばこの先生は新国劇の座付作者だったんですよねぇー)銀座線に乗って虎の門へ、階段を上り金毘羅様を横目にそのまま国道一号を西へ西へ、神谷町の駅を過ぎて飯倉の坂の上り口右側に八幡神社があったのでお参りをしました。なんといまどきみくじが10円でしたので、さっそく運試し、見事6番大吉でした。

飯倉の交差点を過ぎて鰻の野田岩、熊野神社を過ぎると赤羽橋に出ます。東京に住んでいた頃はこの辺は車屋というか、修理工場がずらっと並んでいたのですが、いまもトヨタ、BMW、ワーゲンの販社があるようでした。なんといっても都電絶滅後、陸の孤島といわれていたこの場所に地下鉄ができていたのが大きな変わりようでした。

そういえば、ほとんどコースが落語の「黄金餅」とおんなじです。
麻布絶口釜無村の木蓮寺についた時は私もずいぶんくたぶれた、、、
その後コーヒーマイスターのテイスティングの講習、終わってから銀座5丁目ライオンでの一人酒盛りとなるわけですが、、、
お後がよろしいようで。
2008.10.08:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]