というエッセイが山形新聞に掲載されていました。現在は「やまがた橋物語」というのに替わっています。こういうのは地方紙の楽しく、しかも重要なところだと思います。
多分というか、おそらくといおうか「最上川」を世界遺産にというキャンペーン企画の流れなのではないでしょうか。これを目指すのは取り敢えずやめることになったと聞いています。
世界遺産といえば私にとっては「イタリア」「ギリシャ」と「京都・奈良」です。見てきたのは、どちらかといえば自然遺産ではなく人為的なものなのですが、やはり素晴らしいものでした。
それを最上川に置き換えると??という感じはしていました。
世界遺産に登録されると観光客が増えるとか、儲かるとかそういうふうに流れていたような気がします。それも大事でしょうが、私は最初に目指した出羽三山のほうがインパクト的にはよかったのではないかと思います。多分外人観光客にもああいう日本文化の神秘みたいなもののほうが、これからの観光には必要だと思うからです。
最上川は昭和天皇の作った歌を歌いながら県民が愛していけば、それはそれで素晴らしいことだと思うのです。
写真はたんぼに流れる山の水がすがすがしいのです。
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かぁーっ!んだがら寒いわげだ!!
22時ごろに寝たので、5時ごろに起きてしまったのですが、実際は寒くて目が覚めました。窓の外は天気はいいのですが、吾妻には黒い雲が立ち込めています。
少ししてまた外に目をやると雲はすっかりどこかへいってしまい、なんと雪の吾妻が広がりました。
外へ出て写真を撮りに出かけました。山上と南原を結ぶ新大橋からの眺望です。ちょうど吾妻が全部入りました。この橋は羽越水害(昭和43年)で流され、水防団の方が犠牲になられた場所です。
そのころはまだ木の橋で、壊れた橋の欄干が土砂に埋まっていたのを記憶しています。
この橋はうちの親父が実家に行く道筋で、何度も車に乗せられて通った道です。あのころ通町からこの橋まで抜けるところは鬱蒼としていて、昼でも暗く仁科工務店のところにその面影が残ります。
少ししてまた外に目をやると雲はすっかりどこかへいってしまい、なんと雪の吾妻が広がりました。
外へ出て写真を撮りに出かけました。山上と南原を結ぶ新大橋からの眺望です。ちょうど吾妻が全部入りました。この橋は羽越水害(昭和43年)で流され、水防団の方が犠牲になられた場所です。
そのころはまだ木の橋で、壊れた橋の欄干が土砂に埋まっていたのを記憶しています。
この橋はうちの親父が実家に行く道筋で、何度も車に乗せられて通った道です。あのころ通町からこの橋まで抜けるところは鬱蒼としていて、昼でも暗く仁科工務店のところにその面影が残ります。
祭りの後の、、、
小学5年生の時だったと思います。
学校で先生がお祭り出たい人はクレジットします、みたいなことがありました。
もの好きな私はさっそく友人と応募して今から35年前の今日、上杉神社内の臨泉閣の2階大広間に集合しました。
少年武者というもので、裃を着て大小を指して草鞋ばきで街の中を練り歩くのです。
思っていたよりも重労働で、わらじで親指の付け根は痛くなるし、のどもからからに乾きました。ああ、こんなことをするんじゃなかったと思いながらずーっと歩いていたわけで、こういうふうに後ろ向きの時は時間のたつのもかなりゆっくりなのです。
道路の上で休憩し、牛乳とパンだかが出たのではなかったでしょうか。終わってからも多分おにぎり弁当のようなものがあったような気がします。
それでもギャラが出ました。五百円札でした、岩倉具視の。薄いハトロン紙の封筒ぎりぎりにはいっていて、封筒の上の方を手でやぶいたら、五百円札も破れてしまい、なかりマイナーな気分になりました。
その五百円で買い食いをしたのは言うまでもありません。かたぬきは痛い目に逢っているのでやらずに帰りました。
写真は2日の朝、K看板で待機する、山車車両です。
学校で先生がお祭り出たい人はクレジットします、みたいなことがありました。
もの好きな私はさっそく友人と応募して今から35年前の今日、上杉神社内の臨泉閣の2階大広間に集合しました。
少年武者というもので、裃を着て大小を指して草鞋ばきで街の中を練り歩くのです。
思っていたよりも重労働で、わらじで親指の付け根は痛くなるし、のどもからからに乾きました。ああ、こんなことをするんじゃなかったと思いながらずーっと歩いていたわけで、こういうふうに後ろ向きの時は時間のたつのもかなりゆっくりなのです。
道路の上で休憩し、牛乳とパンだかが出たのではなかったでしょうか。終わってからも多分おにぎり弁当のようなものがあったような気がします。
それでもギャラが出ました。五百円札でした、岩倉具視の。薄いハトロン紙の封筒ぎりぎりにはいっていて、封筒の上の方を手でやぶいたら、五百円札も破れてしまい、なかりマイナーな気分になりました。
その五百円で買い食いをしたのは言うまでもありません。かたぬきは痛い目に逢っているのでやらずに帰りました。
写真は2日の朝、K看板で待機する、山車車両です。