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米澤 たちつけ美人 其の10
後ろに植えてあるのは、何なのでしょうか。
東京に住んでいたころのことです。日本橋浜町から三鷹のアパートに越してきたころに、三鷹駅の北口に珈琲豆の専門店が出来ました。
今から25年ほど前だと思います。北口には店らしい店はほとんどなかったと思います。
駅を背にして真ん中の道より左側の斜めに切ったビルの一階にその店はありました。
小洒落たちょっとカフェバー風のガラス張りの店でした。
豆が何種類あったとか、いくらぐらいだったとか何も覚えていませんが、なんとも素敵な空間でした。で、コーヒーをはじめておいしいと思って飲んだのがその店だったと思います。
マスターは若い人で、そこのお客さんとも自由に話をしたりして楽しんでいました。
その後酒飲みに忙しかったり、吉祥寺に引っ越してしまい、三鷹駅から乗り降りすることがなくなったので自然店からは遠のくようになってしまいました。
一年後ぐらいにちょっと行ってみたのですが、残念ながらそのお店は跡形もなく、まったく違う店になっていました。
たまに思い出してみる自分の心象風景ですが、そのころは珈琲屋になるなんて、これっぽっちも思っていなかったのです。
でもこのことが珈琲との出会いの大きな一つになっています。
東京に住んでいたころのことです。日本橋浜町から三鷹のアパートに越してきたころに、三鷹駅の北口に珈琲豆の専門店が出来ました。
今から25年ほど前だと思います。北口には店らしい店はほとんどなかったと思います。
駅を背にして真ん中の道より左側の斜めに切ったビルの一階にその店はありました。
小洒落たちょっとカフェバー風のガラス張りの店でした。
豆が何種類あったとか、いくらぐらいだったとか何も覚えていませんが、なんとも素敵な空間でした。で、コーヒーをはじめておいしいと思って飲んだのがその店だったと思います。
マスターは若い人で、そこのお客さんとも自由に話をしたりして楽しんでいました。
その後酒飲みに忙しかったり、吉祥寺に引っ越してしまい、三鷹駅から乗り降りすることがなくなったので自然店からは遠のくようになってしまいました。
一年後ぐらいにちょっと行ってみたのですが、残念ながらそのお店は跡形もなく、まったく違う店になっていました。
たまに思い出してみる自分の心象風景ですが、そのころは珈琲屋になるなんて、これっぽっちも思っていなかったのです。
でもこのことが珈琲との出会いの大きな一つになっています。