米澤市松ヶ岬公園ノ櫻 (盛文堂発行)
降ってくるような見事な桜の枝ぶりです。
その後ろには今はなき松岬館が見えます。
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昔の久保桜
昔の、といっても久保桜の歴史からすればごく最近でしょうが、まだまだ素晴らしい樹勢でした。
いつのころからの写真かは分かりませんが、大正後期か昭和初年の絵葉書と思われます。
記載してある解説によれば
山形県東置賜郡伊佐沢村にあり。稀代の巨木にして天保・弘化の頃は枝葉繁茂して四段歩を蔽へりと。現今周囲三丈五尺余高八間東西十八間南北十七間あり。一名阿玉桜という。延暦年中坂上田村麻呂の手植なりと伝う。将軍奥羽鎮撫として此地に来り。土豪久保氏の女玉と契る。将軍帰洛の後玉女情死綿々終に病を得て没す。将軍之を聞き再此地に来りし時、一株の桜を植て墓標となす。即ち此櫻樹なりと。花は単弁淡紅色なり。長井駅より三十町 西大塚駅より三十三町。
いつのころからの写真かは分かりませんが、大正後期か昭和初年の絵葉書と思われます。
記載してある解説によれば
山形県東置賜郡伊佐沢村にあり。稀代の巨木にして天保・弘化の頃は枝葉繁茂して四段歩を蔽へりと。現今周囲三丈五尺余高八間東西十八間南北十七間あり。一名阿玉桜という。延暦年中坂上田村麻呂の手植なりと伝う。将軍奥羽鎮撫として此地に来り。土豪久保氏の女玉と契る。将軍帰洛の後玉女情死綿々終に病を得て没す。将軍之を聞き再此地に来りし時、一株の桜を植て墓標となす。即ち此櫻樹なりと。花は単弁淡紅色なり。長井駅より三十町 西大塚駅より三十三町。