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お待ちかね!春摘み珈琲入荷しました。

  • お待ちかね!春摘み珈琲入荷しました。
エル・サルバドルといえば現在良質なコーヒーを産出する国として有名ですが、その昔はいつも内戦している国として、NHKが特派員を送っていたイメージが強い時代がありました。
75000人にも及ぶ死者を出して92年に内戦が終結、本日もコーヒーは無事届きました。勿論エアメール・スペシャルです。

エル・サルバドルの位置は中米メキシコの次がグァテマラ、その次がエル・サルバドルで太平洋側に位置しホンジュラスに囲まれており、スペインとポルトガルの関係に似ているようにも思われます。アメリカ大陸の中で一番の小国です。
生産している農園はサンフランシスコ農園、ここは山脈の太平洋側に位置しており、海からやってくる湿潤な風が山脈にぶつかり、豊かな降雨をもたらします。
コーヒー畑は四方をコパルチーと呼ばれる、高さ約10メートルの木のカーテンで仕切られています。このコパルチーは強風からコーヒーの木を守り、シェードツリー、土壌流失を防ぐ役割としても機能しています。農園を遠方から見るとちょうどワッフルの表面のようにみえ壮観です。
また、当農園はアパネカ・イジャマテペック火山帯の恩恵を受け、ミネラル分を多く含んだ黒土の土壌を擁します。収穫はワインレッドに熟したチェリー(実)のみを摘み取ります。この紫色の時点が果実に糖分が一番多いからです。

カップ(味・風味)の特徴は強い甘みとチョコレートを思わせる風味、またレーズン、柑橘系の「春」を思わせる爽やかな酸味です。是非お試しください。

≪データ≫
生産国:エル・サルバドル共和国
農園名:サンフランシスコ農園
農園主:ホセ・アントニオ・サラヴェリア
栽培地域:フアユア
農園総面積:210ヘクタール
コーヒー栽培面積:203ヘクタール
年間生産量:4000袋
栽培品種:ブルボン、パカス
標高:1260~1670メートル
土壌:砂を含んだ黒土(泥土)
年間降雨量:2800ミリメートル
コーヒー精製方法:パルプド・ナチュラル
2009.03.14:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

本日7日の営業時間。

諸般の事情により、本日は12時~18時までの営業となります。
ご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願いします。

豆いち
2009.03.07:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

春珈琲と、、、

  • 春珈琲と、、、
3月の珈琲、花見月が本日より発売になりました。
春珈琲はさっぱりとしたブレンドで飲みやすい珈琲です。
また花見月はすっきりとしたクリアーなブレンドです。是非お試しください。

米沢では当然まだ花見はできませんが、桜が咲くころ外で宴会を開くのはこの辺ではちょっと無謀です。たまに山大の学生が上杉神社の招魂碑のところで寒そうにやっていますが、今年の人出では宴会は無理かもしれません。はずかしいので。

朝ドラに出ている石倉三郎がラッキー・パンチかコント・レオナルドという名前で、故レオナルド熊とコントをやっていました。その時のネタで、自殺しようとしている人(石倉)を引きとめようと「死んで花実が咲くものか」というところを「死んで花見ができるか!」とレオナルド熊が叫ぶところが好きでした。

レオナルド熊には相当裏切られたらしいです、石倉さんは。でもこの人も這い上がってくるんですよ。
2009.03.01:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

愛珈琲好評です!

  • 愛珈琲好評です!
今年の1月から発売した愛珈琲ですが、おかげさまで好評をいただいております。
缶入りは豆が中挽きで挽いてあり、ご進物用に2個入りの箱も用意いたしました。

そして商工会議所から天地人のポスターが配給されました。管理が厳しく、勝手にヤフオクなどに流さないようにとのことでありました。これは、したり、、、

今日より愛の商品券でお買い物をされた方には『愛珈琲』の試飲ができます。
是非どうぞ!

そういえば昨日の『天地人』ご覧になりましたか?来週は謙信亡くなっちゃうんですね。残された人たちだけでは心配ですよね。
明日は定休日となります。水曜日にまたお待ちしております。
2009.02.23:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

絵葉書を出します。

  • 絵葉書を出します。
以前から収集していた米沢を中心とした古い絵葉書を復刻して販売することになりました。
外の看板にも「絵葉書」の文字を入れました。

日本での絵葉書の歴史は明治38年に遡ります。米沢でも明治後期から昭和の戦前まで盛んに出版されました。カメラを個人で所有するのはかなりの贅沢な時代であったためでしょう、絵葉書はよく売れたようです。

当時の日本は大陸進出を試み、軍人、役人、商売、開拓団などの多くの人が国外に暮らす状況が終戦まで続きました。そのため故郷の風景を写した絵葉書は人々の慰めになったのだと思います。私が持っているものの中にも、清国北京に出したものや朝鮮に宛てたものなどがあります。

今回は明治41年に時の東宮、後の大正天皇が東北巡幸の折米沢を訪れ、学校、工場視察などを行った後松川で川中島合戦の模擬戦をお見せしたときの写真が9枚、それに直江兼継の墓所を加えて第1集、第2集と各5枚づつ分けて販売します。

またその当時の米沢の町の様子を写したものを6枚別途販売いたします。
内容は「門東町界隈俯瞰」「掘立川雪景」「立町電話線架設風景」「米沢駅頭旅行団到着風景」「上杉神社子供参詣図」「並松園桜桃園満開風景」です。

その頃の版元2店舗の後継の方には連絡がつき復刻することに了承をいただきました。来週からの販売を予定しております。画像は順次アップしていきたいと思います。
2009.02.07:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]