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あけぼの小路慕情

  • あけぼの小路慕情
昨日通りかかったので、ちょっと写真だけとってみました。

昭和35年頃の地図には、興正市場となっているところでしょうか。
平成21年の今も見事に昭和で、映画やコントの舞台の雰囲気が横行しております。
若き日の故川谷拓三とか、朝丸といっていたころの桂ざこばがやくざにからまれて、看板とともにボコボコにされるシーンが目に浮かびます。

この近くに以前柳屋という酒屋さんがございました。最近まであったと思うのですが。
子供のころ図書館に通っていた頃のことかと思われます。図書館は現在の南堀端、上杉記念館(伯爵邸)の隣にありました。
暑い夏だったと思われます。帰りにのどが渇いたからファンタでもと思ったのでしょうか。この酒屋に寄りました。ファンタが50円ぐらいだったのでしょうか。だけど残念ながら10円足りませんでした。その時同じファンタの瓶に透明な液体が入っているものを見つけました。聞くとこれは炭酸水だとのことでした。価格は40円なので購入可能です。あくまでも焼酎とか、メロンソーダなどの希釈用として販売していたのでしょう。
これを下さい、といったらこれは甘くもなんともないのでおいしくないからやめておきなさい、とのことでした。シュワシュワするのに甘くない。子供心にどういうものか非常に興味がわき飲んでみたい衝動にかられました。
それでもいいのでください、というとおじさんは悪いことは言わないからやめた方がいいということを強くおっしゃり、ファンタグレープを10円負けてくれました。

その後ツアーでイタリアに行く機会があり、食事のとき好んでガス入りの水を飲む日本人親子がいました。
なんだ、飲んでもいいんじゃん、と思いました。
2009.04.05:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

昭和の顔でやってます。

  • 昭和の顔でやってます。
昭和をどうとらえるか、ということですが。

私が子供の頃、太平洋戦争というか第二次世界大戦のことを、ちょっと年配の人は「この前の戦争」といっていました。満州事変、日華事変(これは別々でしょうか)とかを一つ一つの戦争と考えており、まだ日清戦争、日露戦争に従軍した人もいるので、「この前」なのでしょう。

昭和は結構長かったので、戦前も当然昭和になるわけですが、今の子供たちは昭和=30年代~50年ごろまでをこう呼んでいるらしいです。
それは「三丁目の夕日」とか「こち亀」あたりのイメージなのではないでしょうか。

写真は新型車両、山形新幹線の平成の顔、E3系2000番と思われます。 
2009.04.01:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

商売の先輩。

  • 商売の先輩。
今日かみさんの爺ちゃんが店を訪ねてくれました。御年101歳、今まで来たお客様の中でも最高齢でしょう。

米沢の旧市内の学校の校庭の端っこには、大概小山があります。名前がついていたりして、冬はスキーにも活躍します。南部小学校の山は三の丸の土塁のあとではと思っているのですが、どうでしょう。

私が通っていた東武小学校にも、米坂線と道路が走っている脇に東栄山という相撲取りにいてもおかしくない、立派な名前の山があります。東側が急で道路に近く、西側はなだらかになっています。
その南東裏に小さな商店があったのを憶えているでしょうか。(東武地区限定)
仮にG商店としましょう。私も時々行っていました。通常買い食いや怪獣の写真を買うのは、信濃町大日堂前の吉野屋(吉野家ではありません。毎日通いました。)なのですが、グランドで遊んでいて、のどが渇いたときにファンタを買ったりするのはG店(みせ)でした。

その店は随分前に廃業して、今はないのですが、そこの店主がかみさんの爺ちゃんを訪ねてやってきた話を聞きました。
現在93歳位で福島に住んでおり、米沢が懐かしくてやってきたというのです。しかも知り合いの人に乗っけてもらって。
その知り合いの人も断ったのだが、何回も頼まれるので情にほだされてきた様子だったとのことでした。
それがただ会いに来たのではなく、リンゴを仕入れてこれを買ってくれという販売だったというから驚きです。
現在でも福島で現役で行商をしているそうで、現役バリバリなのです。
但し今回の米沢遠征はそのお付の人によると、訪ねた人の殆んどが亡くなっていて、空振りが多かったそうです。

でも、商売元気だったらいつまでも出来ますね。

写真は数日前のカレー&フルーツサラダ、息子に大好評でした。
2009.03.28:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

あき竹城の名の由来。

  • あき竹城の名の由来。
米沢駅から田村電機に至る道路は、以前は信濃町の真木呉服屋から小国町に抜ける道はなぜか、砂利道で昼でも暗い怪しげな道路でした。脇に竹林もあり、夕方ここを抜けるのはちょっと怖い感じがしました。

そこからマルサン醤油の前を通り、左に宮坂さんのぶどう園を見ながら左にゆるいカーブを曲がり、少し上がると右にソバ屋(ラーメン屋)がありました。そしてその店はお菓子屋もやっていました。その中でもフライまんが有名でした。今はやっていませんが。


あき竹城はと東京に出てから、日劇ミュージックホールで踊り子をしていたといいます。ここはちょっと高級なストリップ劇場というところだったらしいです。ストリップとコントが抱き合わせとなっており、若き日の立川談志師匠も随分出演したらしいです。
この劇場から巣立ったのは春川ますみさんが有名です。エロから普通の女優という流れは、その後美保純、飯島愛という系譜へと続きます。

まだ米沢から出てきてそれほどたっていないときに、武田明子という踊り子が伴淳三郎とどこかで出会ったと思し召しください。
郷土米沢の大先輩です。米沢出身ということは知っていたのでしょう。
「お前、なんちゅう名前だ?」
「あぎだげんじょ」(あきだけど、、、)
=あき竹城になったといいます。ほんとのような、嘘のような。
うちの親父から聞いた話です。

そしてお菓子屋の話ですが、フライまんはとにかく表面が硬いのです。
その後、作っていた親父さんが急に亡くなり、家族はその固くなるフライまんの製法を知らされていなかったとか。
その菓子屋があき竹城の親戚だということを知ったのは、随分あとの事です。


最近の天地人などの演技は素晴らしいと思います。
トヨタのCMは驚きました。時代は今彼女なのでしょうか。


なお28日土曜日は、都合により18:30までの営業となります。ご迷惑をおかけいたしますが、何とぞよろしくお願いします。
2009.03.27:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]

肉球でしょうか?

  • 肉球でしょうか?
大きなカレー皿があります。粉引きという白い器で信楽の古谷信男製陶所の作品です。その中の文様が猫の肉球に見えるのですが、いかがでしょうか。
肉じゃがなんかの煮物を大胆に盛っても面白いと思います。

マグカップも古谷さんの作品は人気です。是非手にとってご覧ください。
2009.03.25:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]