ペットボトルは3種類、ブルマン入りアイス、うまかアイス、特上アイスがございます。
豆は豆いちアイスと特上アイスの2種類です。
暑くなりそうな日はアイスコーヒーの試飲もご用意しますので、お問い合わせください。
おいしいよ!
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お疲れ様です!アリナミン
という山形放送のラジオCMに先週から出させてもらっています。お聞きいただいていますか?
この商売を始めてから、様々な方のご厚意により、いろいろなメディアに取り上げていただいております。
テレビではNCVに出させていただきました。今でもテレビで見たよっ!といっていただくことがあり影響力の大きさを感じます。
折込情報誌では「すきです山形」と「読売ウェイ」で取り上げていただきました。山形方面からのお客様に来ていただいております。
新聞は山形新聞に2回書いていただいたのですが、その記事が新潟日報と福島民友新聞にも掲載頂き、今日は福島から愛珈琲を買いに来ていただきました。そして新聞を見たということで酒田市、天童市、最上町、新潟県上越市などからもご注文いただきました。
ネット優勢が伝えられる中で、既存メディアの力を感じておる昨今です。
写真は私が赤ちゃんだったころ、私のじいさんが日本橋三越で買ってくれた「みつこしつみき」です。
製作者は家の息子で題名は「ふね」です。45年使ってます。
この商売を始めてから、様々な方のご厚意により、いろいろなメディアに取り上げていただいております。
テレビではNCVに出させていただきました。今でもテレビで見たよっ!といっていただくことがあり影響力の大きさを感じます。
折込情報誌では「すきです山形」と「読売ウェイ」で取り上げていただきました。山形方面からのお客様に来ていただいております。
新聞は山形新聞に2回書いていただいたのですが、その記事が新潟日報と福島民友新聞にも掲載頂き、今日は福島から愛珈琲を買いに来ていただきました。そして新聞を見たということで酒田市、天童市、最上町、新潟県上越市などからもご注文いただきました。
ネット優勢が伝えられる中で、既存メディアの力を感じておる昨今です。
写真は私が赤ちゃんだったころ、私のじいさんが日本橋三越で買ってくれた「みつこしつみき」です。
製作者は家の息子で題名は「ふね」です。45年使ってます。
ホンジュラスより到着!!
エルサルバドルとの国境にほど近いホンジュラス・マルカラ地域で栽培された希少な珈琲。
ブルボン/ティピカ種ならではの上品な酸味とまろやかさ、重厚なコクが楽しめる逸品です。
ドン・マニエルを作るマルチネス農園では、珈琲の樹が鬱蒼と茂り、複雑に絡み合った枝から手間ひまかけて真っ赤なコーヒーチェリーが収穫されます。
農園主マニュエル・アントニオ氏は、生産性向上だけの近代化を良しとせず、昔の樹種を伝統農法を頑固に守り続けている。そんなマニュエル・アントニオ氏の「譲れない」こだわりこそが、類まれな珈琲を生み出す最大の条件なのかもしれません。是非お試しください。
ちなみに仙台のある著名な牛タン屋はあれ以来試行錯誤して、現在ホンジュラス産を使用しているらしいです。
商品名 ホンジュラス ドン・マニエル
原産国:ホンジュラス
販売単価 100g上代価格(税込) 525 円
生産地域:マルカラ地域
品種:ブルボン種
規格:SHG
精選方法:ウォッシュド
標高:1,200m~1,400m
収穫期:12月~3月
農園名:マルチネス農園
農園主:Manurl Antonio Martinez
ブルボン/ティピカ種ならではの上品な酸味とまろやかさ、重厚なコクが楽しめる逸品です。
ドン・マニエルを作るマルチネス農園では、珈琲の樹が鬱蒼と茂り、複雑に絡み合った枝から手間ひまかけて真っ赤なコーヒーチェリーが収穫されます。
農園主マニュエル・アントニオ氏は、生産性向上だけの近代化を良しとせず、昔の樹種を伝統農法を頑固に守り続けている。そんなマニュエル・アントニオ氏の「譲れない」こだわりこそが、類まれな珈琲を生み出す最大の条件なのかもしれません。是非お試しください。
ちなみに仙台のある著名な牛タン屋はあれ以来試行錯誤して、現在ホンジュラス産を使用しているらしいです。
商品名 ホンジュラス ドン・マニエル
原産国:ホンジュラス
販売単価 100g上代価格(税込) 525 円
生産地域:マルカラ地域
品種:ブルボン種
規格:SHG
精選方法:ウォッシュド
標高:1,200m~1,400m
収穫期:12月~3月
農園名:マルチネス農園
農園主:Manurl Antonio Martinez
ルワンダコーヒー入荷。
現在豆いちではキリマンジャロ(タンザニア)、ケニア・ムカング農園を取り扱っていますが、本日ルワンダ・千の丘というコーヒーが入荷しました。
ルワンダは国土の大部分が標高1500メートル前後の高原からなり、南西部には標高2000メートル以上の山脈が走り、さらに西は大地溝帯に落ち込んで、ギブ湖やルジジ川を形成しています。北部にはビルンガ火山群が噴出して、標高4507メートルカリシンビ山、4127メートルのムハブラ山などを筆頭に、3000~4000メートル級の山々が連なっています。マウンテンゴリラの生息地もこのビルンガ火山群にあります。
ナイル・コンゴ・マウンテンズ・コーヒー「ミビリッチ」は、ルワンダで初めてコーヒーが栽培された地区です。1904年にドイツの宣教師使節団がこの地にグァテマラのブルボン種を持ち込みました。
最初の収穫は1906年。今年初めに収穫100周年ということでお祭りがあったそうです。このオリジナルのブルボン種は、地元ではその地名から「ミビリッチ」と呼ばれています。会社名の「ナイル・コンゴ」は、この近くにコンゴ川とナイル川の源流があることから、その名をつけたそうです。
データ
品名:千の丘
生産国:ルワンダ共和国
生産地区:西部州、ルシジ郡、ミビリッチ・セクター、チャト
農園名:ミビリッチの農民がチャト・ウォッシングステーションに持ち込んだ豆
規格:グレードA
スクリーン:16アップ
品種:ミビリッチ(ブルボン種)
標高:1600~1800メートル
精製方法:フルウォッシュド
カップ特徴:魅惑的な香りと甘い柑橘系のアロマ、バランスノトレタテイスト、スムースな味わいと柑橘系、綺麗な甘みを体全体で感じる。
アフリカの大地の香りがする、ボディ感のしっかりしたコーヒーです。是非お試しください。
ルワンダは国土の大部分が標高1500メートル前後の高原からなり、南西部には標高2000メートル以上の山脈が走り、さらに西は大地溝帯に落ち込んで、ギブ湖やルジジ川を形成しています。北部にはビルンガ火山群が噴出して、標高4507メートルカリシンビ山、4127メートルのムハブラ山などを筆頭に、3000~4000メートル級の山々が連なっています。マウンテンゴリラの生息地もこのビルンガ火山群にあります。
ナイル・コンゴ・マウンテンズ・コーヒー「ミビリッチ」は、ルワンダで初めてコーヒーが栽培された地区です。1904年にドイツの宣教師使節団がこの地にグァテマラのブルボン種を持ち込みました。
最初の収穫は1906年。今年初めに収穫100周年ということでお祭りがあったそうです。このオリジナルのブルボン種は、地元ではその地名から「ミビリッチ」と呼ばれています。会社名の「ナイル・コンゴ」は、この近くにコンゴ川とナイル川の源流があることから、その名をつけたそうです。
データ
品名:千の丘
生産国:ルワンダ共和国
生産地区:西部州、ルシジ郡、ミビリッチ・セクター、チャト
農園名:ミビリッチの農民がチャト・ウォッシングステーションに持ち込んだ豆
規格:グレードA
スクリーン:16アップ
品種:ミビリッチ(ブルボン種)
標高:1600~1800メートル
精製方法:フルウォッシュド
カップ特徴:魅惑的な香りと甘い柑橘系のアロマ、バランスノトレタテイスト、スムースな味わいと柑橘系、綺麗な甘みを体全体で感じる。
アフリカの大地の香りがする、ボディ感のしっかりしたコーヒーです。是非お試しください。
鳥取りの系譜。
私の先祖は鳥取りをして生計を立てていた時期があるらしいです。
明治32年の免許町火事の時に、東部小学校の前身である華渓学校が焼失しました。その学校は常信庵の隣にあり、須藤兵八郎という剣術指南でその後消防の隊長になった方の道場だったと思います。
そこが焼けたので今の米坂線のカーブのところになったわけですが、ここのグランドの土地の一部は、実はうちの土地だったのです。簡単にいうと原野で、ここでかすみ網を張って取り鳥をしていたらしいのです。
元々は武士というか足軽のなかの足軽というか、参勤交代のとき先頭でしたにぃー、したーにぃーという係りだったとも聞いたことがあります。実家には江戸侍の武鑑などもあったので、江戸詰めのときもあったのでしょう。
江戸にいる時、足軽なんぞは何をしていたのでしょうか。門番とか警備員のようなことをやったりしていたのでしょうか。
我が家は、その当時ハリセンボン同様結核の巻きだったらしく、あまりちゃんとした仕事が出来ない人もいたようで取り鳥でしのいでいた時期もあったようです。場所柄新築といった福田遊廓の料理屋などに納めていたのでしょうか。
そういえば、かみさんの生まれが堂森なのです。そして、最近有名になってしまった前田さんが月見をしていた堂森山で、こちらのご先祖もなんと取り鳥をしていた時期があるらしいのです。東京庵あたりに納めていたのではということなので、もしかしたら先祖同士が料理屋の裏木戸で鉢合わせしていたかもしれません。
こんなわけで、鳥取り繋がりというのは結構珍しいのではないでしょうか。
写真は堤防の桜ですが、この向こうにも先祖が無駄に残した微妙な杉林があるのです。その話はまた後ほど。
明治32年の免許町火事の時に、東部小学校の前身である華渓学校が焼失しました。その学校は常信庵の隣にあり、須藤兵八郎という剣術指南でその後消防の隊長になった方の道場だったと思います。
そこが焼けたので今の米坂線のカーブのところになったわけですが、ここのグランドの土地の一部は、実はうちの土地だったのです。簡単にいうと原野で、ここでかすみ網を張って取り鳥をしていたらしいのです。
元々は武士というか足軽のなかの足軽というか、参勤交代のとき先頭でしたにぃー、したーにぃーという係りだったとも聞いたことがあります。実家には江戸侍の武鑑などもあったので、江戸詰めのときもあったのでしょう。
江戸にいる時、足軽なんぞは何をしていたのでしょうか。門番とか警備員のようなことをやったりしていたのでしょうか。
我が家は、その当時ハリセンボン同様結核の巻きだったらしく、あまりちゃんとした仕事が出来ない人もいたようで取り鳥でしのいでいた時期もあったようです。場所柄新築といった福田遊廓の料理屋などに納めていたのでしょうか。
そういえば、かみさんの生まれが堂森なのです。そして、最近有名になってしまった前田さんが月見をしていた堂森山で、こちらのご先祖もなんと取り鳥をしていた時期があるらしいのです。東京庵あたりに納めていたのではということなので、もしかしたら先祖同士が料理屋の裏木戸で鉢合わせしていたかもしれません。
こんなわけで、鳥取り繋がりというのは結構珍しいのではないでしょうか。
写真は堤防の桜ですが、この向こうにも先祖が無駄に残した微妙な杉林があるのです。その話はまた後ほど。