ヨーロッパというイメージもありますが、英語で蓮(ハス)の意味です。
だから車のエンブレムにもこの菓子にも蓮の絵が書いてあります。
カラメルビスケットで有名なメーカーですが、ベルギーという土地柄なのでワッフルの菓子も多く発売されています。
ソフトワッフル、チョコワッフルとハードワッフル、ハードチョコワッフルが入荷いたしました。
分かりやすい、間違いのない味です。是非お試しください。
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朝の松川橋。
嘉永5年東北を旅した吉田松陰は、この松川橋を渡って米沢城下に入ったといいます。
その頃の橋は、丸太を三本ほどつなぎ合わせただけの簡単な橋で、川が増水するたびに流されたとのことです。
明治26年に米沢の絵師浜崎木麟の書いた米沢市明細絵図に書いてあるのは本当に簡単な橋です。
昭和8年に現在の永久橋が架けられ現在に至ります。
多分橋がかけられてすぐ、橋の西袂の割出町に五光自動車というバス会社が東京から進出します。路線は米沢-高畠間で、妻の祖父が運転手としては働いていました。
朝散歩に行くと、昨日珈琲を買ってくれた同級生が、6時30分前に自転車で出勤していきました。
そして雨が降ってきたので、ちょっと濡れながら走って家に戻りました。
その頃の橋は、丸太を三本ほどつなぎ合わせただけの簡単な橋で、川が増水するたびに流されたとのことです。
明治26年に米沢の絵師浜崎木麟の書いた米沢市明細絵図に書いてあるのは本当に簡単な橋です。
昭和8年に現在の永久橋が架けられ現在に至ります。
多分橋がかけられてすぐ、橋の西袂の割出町に五光自動車というバス会社が東京から進出します。路線は米沢-高畠間で、妻の祖父が運転手としては働いていました。
朝散歩に行くと、昨日珈琲を買ってくれた同級生が、6時30分前に自転車で出勤していきました。
そして雨が降ってきたので、ちょっと濡れながら走って家に戻りました。
セールやります。
10月1日は珈琲の日です。それに合わせて10月1日(土)から3日(月)まで開店3周年記念セールを行います。
ご住所を戴いているお客様には告知の葉書をお出ししましたが、ブログを見てくださっている方も是非いらしてください。
内容は画面のとおりです。この他にもいろいろあるのでお楽しみに。
そして本日1,000円均一の器が到着しました。取りあえず並べていますので、下見に来てくださるのも一興かと思います。なかには5,000円の鉢などもありますよ。
大好評!ラウシュのチョコレートは本日入荷いたしました。
またコーヒーも2品種新しい豆が入荷いたします。
絶対オトクの3日間なので、皆様お誘い合わせの上豆いちにお越し下さいますようお願いします。
追伸;駐車場ですが、豆いち北の空き地をお借り出来ましたので是非ご利用ください。
そこも埋まっている時は、信号を北方面にわたり、前山輪店脇の下山㈱駐車場にお止め下さい。
ご住所を戴いているお客様には告知の葉書をお出ししましたが、ブログを見てくださっている方も是非いらしてください。
内容は画面のとおりです。この他にもいろいろあるのでお楽しみに。
そして本日1,000円均一の器が到着しました。取りあえず並べていますので、下見に来てくださるのも一興かと思います。なかには5,000円の鉢などもありますよ。
大好評!ラウシュのチョコレートは本日入荷いたしました。
またコーヒーも2品種新しい豆が入荷いたします。
絶対オトクの3日間なので、皆様お誘い合わせの上豆いちにお越し下さいますようお願いします。
追伸;駐車場ですが、豆いち北の空き地をお借り出来ましたので是非ご利用ください。
そこも埋まっている時は、信号を北方面にわたり、前山輪店脇の下山㈱駐車場にお止め下さい。
深夜緩行
明日は早く出ていくといったら、息子が目覚ましを貸してくれた。
時計の針はまだ1時。2時に目覚ましをかけていたのだが、さすがにあの音が鳴り響けばみんなに迷惑がかかる。まだ眠いがセットした時計を止めていざ、出発することにした。
珈琲屋さんの展示会が高崎であるのだ。息子の土産のリクエストは「だるま」。この約束が後半大きな足かせとなる。
通常のルートは高速で福島飯坂‐佐野藤岡からR50で約5時間の行程だが、私の場合はいつもの通り、会津西街道から日光、足尾を抜けて高崎に至るルートをひた走る。
日光に入ったのが4時30分ごろ。いいペースだ。あとはひと山越えて足尾より高崎は1時間半ぐらいなので、途中待避所で仮眠を取れるなどと考えていたら、目の前の電光掲示板に「桐生通行止」とある。
しょうがないのでかの有名な「いろは坂」を登り中禅寺湖に出て、金精峠を超え片品村尾瀬入口より沼田に出るルートをとったのだが、現在その辺の道路情報を見ても、全く通行止の様子はなく、実際はどうだったのだろう。
江戸時代であれば、たぬきに莫迦された気分なのだ。
いろは坂-中禅寺湖-戦場ヶ原-金精峠というのは初めて通るルートで、見事に観光地しているが、東北から行く人はあまりいないだろう。イメージからすると裏磐梯とかぶるのだ。
金精峠は学生の頃ボーリング工事のバイトで何となく聞き覚えがあるので、昭和の終わり頃来ているはずだが、全く分からなかった。間違いなく東京電力関連の仕事だったと思う。
途中1時間ほど仮眠、生き返る。
沼田に出ると17号線は利根川伝いに降りていく。川はまだ大きく濁っていた。
いつものところでご飯を食べる。
写真はいろは坂上、明智平から見た男体山。
続きはまた明日。
時計の針はまだ1時。2時に目覚ましをかけていたのだが、さすがにあの音が鳴り響けばみんなに迷惑がかかる。まだ眠いがセットした時計を止めていざ、出発することにした。
珈琲屋さんの展示会が高崎であるのだ。息子の土産のリクエストは「だるま」。この約束が後半大きな足かせとなる。
通常のルートは高速で福島飯坂‐佐野藤岡からR50で約5時間の行程だが、私の場合はいつもの通り、会津西街道から日光、足尾を抜けて高崎に至るルートをひた走る。
日光に入ったのが4時30分ごろ。いいペースだ。あとはひと山越えて足尾より高崎は1時間半ぐらいなので、途中待避所で仮眠を取れるなどと考えていたら、目の前の電光掲示板に「桐生通行止」とある。
しょうがないのでかの有名な「いろは坂」を登り中禅寺湖に出て、金精峠を超え片品村尾瀬入口より沼田に出るルートをとったのだが、現在その辺の道路情報を見ても、全く通行止の様子はなく、実際はどうだったのだろう。
江戸時代であれば、たぬきに莫迦された気分なのだ。
いろは坂-中禅寺湖-戦場ヶ原-金精峠というのは初めて通るルートで、見事に観光地しているが、東北から行く人はあまりいないだろう。イメージからすると裏磐梯とかぶるのだ。
金精峠は学生の頃ボーリング工事のバイトで何となく聞き覚えがあるので、昭和の終わり頃来ているはずだが、全く分からなかった。間違いなく東京電力関連の仕事だったと思う。
途中1時間ほど仮眠、生き返る。
沼田に出ると17号線は利根川伝いに降りていく。川はまだ大きく濁っていた。
いつものところでご飯を食べる。
写真はいろは坂上、明智平から見た男体山。
続きはまた明日。