ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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ニワトリたちは玉子を産み始めて一年ぐらいすると少々くたびれてくる。産む玉子は大きくなり、そのぶん水っぽくなる。産卵率がガクッと落ちる。体を覆う羽もみずみずしさを失い、少し歳をとったかなという感じになる。たくさん玉子を産んでくれたのだからしょうがないけど。

そんな時に行うのが「強制換羽」という名の「断食」だ。これは「自然」ではない。でもこれによってニワトリたちは見事に変わる。玉子を産み始めたばかりの若どりと比べても区別がつかないほどに若返るのだ。およそ13日から14日間エサをきる。ニワトリたちには常日頃いかにお世話になっていたとしても、ここは情け容赦なく行わなければならない。

断食はつらい。10日目ぐらいからフラフラするものもでてくる。ニワトリたちにとっては何のためにエサを与えられないのか、しかもこの苦しさがいつまで続くのかも分からないはずで、不安といえばとてつもなく不安だろう。

鶏舎の中に入っていくと「私たち、なんか悪いことした?」という目で僕を見つめる。僕だってつらいのだ。191センチ、96キロの僕は、食事を一食抜くだけでも大騒ぎするぐらいなのだから、二週間の断食は気が遠くなるぐらいのつらさだろうと・・・考えただけでもいやになる。

そして断食があける。人間で言えば「おかゆ」のようなものから少しずつ与えていくのだが、想像できるでしょう?ニワトリたちがエサに飛びつく様子。エサをもらえないという苦しさも、エサを与えないというつらさもこれで終わりだ。

食べ始めてから4、5日もすると一斉に「換羽」が始まる。ニワトリたちの古い羽が抜け出し、若々しくみずみずしいものと交代する。姿かたちはまったくの若どりになっていくのだ。それだけではない。やがて産み出す玉子も若鶏と違わないプリンとしたものに変わっていく。ニワトリたちの体の中で何が起こっているのだろう。

「老化」、「働きすぎからくる疲れ」、あるいは「容姿の衰え」→「断食」→「若返り」。ニワトリたちのたどった過程はこういうことだ。
再び溌剌として遊びまわるトリたちを見ていると、これって人間でもできないだろうか、いけるかもしれないと思う。

そのこととは別に、若返るためとはいえ、ニワトリたちに断食を強いてきたこの僕は、当然のことながらそのつらさを一度体験しなければなるまいと考えている。



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ニワトリの鳴き声は様々だ。メンドリは小さな声で「クワックワッ」とか、「コーコー」と鳴く。オンドリの鳴き声は大きく、鳴きかたもメンドリとは違っている。「どんなふうに鳴くの?」と問われれば、ほとんどの人達は口をそろえて「コッケコッコー」と答えるだろう。マンガや絵本にもそう書かれている。でも実際は一様ではなくオンドリはそれぞれの声をもっている。

ある日、「おまえのところに、『おかぁさぁーん』と鳴くオンドリがいるなぁ。な
んだかしみじみするよ。」そう教えてくれたのは隣の家のおばあさんだった。注意し
て聞いてみると確かにそう聞こえる。ニワトリ達は玉子からかえってすぐに我が家に
来る。だから当然のことながら親を知らない。せつないのかい?淋しいのかい?と尋
ねたくもなるが、これはおもしろい。
他にも意味をともなって聞こえる鳴き声はないだろうかとさがしてみたら、いるい
る。こんどはこうだ。「ちょっとだけよぉぉー」。まぎれもなくそう聞こえる。オン
ドリがこのように鳴くのはいったいどんな背景があってのことだろうかと、ここでも
しんみりしてしまうのだが、このことを近所の人達に話したらニワトリ小屋の周りに
人が集まるようになった。

遠くからわざわざやって来る人もいる。「本当だ。ちょっとだけよと鳴いてい
る」、「こんどはおかあさんだ」としばしの時間にぎやかに楽しんでいく。玉子でもなく、草地の上をのびやかに遊んでいるニワトリ達の姿でもなく、鳴き声が人を呼ぶなんて考えもしなかったことだ。人が来てくれるのはうれしい。僕の単調な農作業の
日々に彩りが一枚加わった。

この二羽以来、僕はヒヨコがオンドリとして成長し、やがてトキの声をあげるのを
心待ちするようになった。 でも5,6年の間、意味を含んだ声にはであえなかっ
た。日々の忙しさの中でオンドリの声を楽しむ気持ちが薄らいでいたせいかもしれな
い。

ところがこの秋、ついにやってきた。春に入れた二羽のオンドリが、それぞれに意
味を持った鳴き声を放ちはじめたのだ。一羽は「よっしひでっくぅーん」二羽目が
「よかったねぇー」って。うそのような話。ちなみに僕の名前は「よしひで」だ。
朝の早いうちから「よっしひでくぅーん」と繰り返されると「早く起きて働けよ」と言われているようで寝ていられなくなるが、気持ちが沈んでいるときの「よ
かったねぇー」はありがたい。これから数年間、この声と一緒だ。そう思うとたのしい。
ニワトリの声は「コッケコッコー」だという先入観で聞けば、「おかぁさぁーん」
にも「よっしひでくーん」にも出会えなかったとおもえる。先入観を離れてこそ、多
様な声に気づく。それを教えてくれた隣のおばあさんには感謝だね。







「よしひでぇ−、早く来てくれぇ」
この間のことだ。お昼の少し前、大声で呼ぶ親父の声が聞こえた。あぁ、またか。そう思いながら僕は急いで声のする方に走っていった。

やっぱりそうだった。ニワトリ達が畑一面に散らばって野菜を食べている。ここは両親が作っている野菜畑。ばあさんも加わり一緒に棒をもってニワトリ達を出口に追い込もうとするが、すばしっこく、なかなか思い通りの方向には行ってくれない。逃げるニワトリ、追う僕たち。80才を越える両親はよたよただ。後でこってりと怒られることになるなぁ。そう覚悟しながらニワトリたちを追い続ける。

僕は1,000羽のニワトリをなるべく自然に近いかたちで飼いたいとおもっている。健康な玉子を得るためだ。ニワトリたちは壁のない開放型鶏舎の中で暮らしているが、3〜4日に一度は外に出る。広い草地、お日さまが照り、虫達がいて・・・。これで充分だと思うのだが、まだ足りないらしい。わずかなすき間を見つけては畑の方に侵入してくる。両親には悪いがこれも仕方がないことだと思っている。それだけ元気なニワトリがいるということだから。

僕がこのようにニワトリ達を飼っているのは、健康でストレスの少ない毎日をおくりたいという彼等の願いと、おいしい玉子を食べたいという僕たちの願いとはかなりの点で一致すると思っているからだ。だから僕はニワトリ達にとってこのほうがいいのではないかと思えることをできるだけやるようにしてきた。鶏舎の中では一羽あたりの空間を広くとり、エサはなるべく多くの種類を与え、水は朝日連峰の地下水だ。外にでて一日中あそぶこともできる。

話しは変わるが、鳥インフルエンザの事件は、テレビを通してケージに飼われたニワトリたちの過酷な日常生活を写し出した。薄暗い鶏舎の中、小さなカゴにぎっしりと詰め込まれているトリ達。ストレスのなかで、いのちのない卵を産み続ける毎日。
このニワトリ達ほど不幸な動物は他には思い当たらない。動物園の象だって動き回ることはできるのだから。僕がその中のニワトリだったら、よしんばインフルエンザにかかることなく生きながらえたとしても、そのことを素直にはよろこべないだろう。
ニワトリ達を閉じ込めているのは、その方が手間がかからず効率的に卵をうむからだ。ここにはニワトリを不幸にしても人間の利益になればという構図がある。でも僕にはどうしてもニワトリを不幸にすれば、まわり回って人間もまた不幸になっていくように思える。

だから僕にはカゴはいらない。
 







もちろんオレは百姓だ。それも191cm、100kgを越す大男の百姓だ。だけど気はやさしいぞぉ。あとは・・・あとはない。

このブログはそんなオレの・・・山形のあくまで気ままな百姓暮らし・・・ニワトリたちと一緒に作る身辺雑記のあれやこれや・・・自然に翻弄される団塊世代の七転八倒記・・・農と食の危機に対する独断と偏見に満ちたアジテーション・・・生ゴミとまちづくりの涙をさそう物語・・・越境する百姓のホラ話<アジア編>・・・酒飲み百姓のたわごと・・・・だ。


グウタラな性格はいまさらどうしようもない。よって、気分が乗れば筆も動くが、そうでなければ、いつまでも書かない。書けない。

その辺をご考慮のうえ、末永いお付き合いを。


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我が家は私と妻、両親と長女、長男の総勢6名。長女は東京で学生生活。2005年4月から長男が、2006年4月から妻が農業に従事する。

 放し飼いの自然養鶏が800羽、水田が2ヘクタール、野菜畑が少々の「有畜複合経営」だ。かつてNHKの番組にあった「大草原の小さな家」のように暮らしていければいいかなと思っている。ちょっと格好のつけすぎかな。

 今からおよそ30年ほど前。26歳の春。農家の後継者として農業を継いだときは、農協が指導するからとか、改良普及所がこういうからではなく、農業するものの生き方、哲学が反映する農業を志したいと思っていた。

 金太郎飴のようなどこにでもある類型化された農業ではない農業、それを表して「芳秀飴農業」といっていた。

 その中味は「二つの大切、四つの基準」と言っていたのだが、大切なことは「楽しく過ごすこと」と「豊かに暮らすこと」の二つだ。それを実現するための四つの基準は「食の安全と環境を大切にする」「暮らしの自給を追求する」「きれいな景観をつくる」「家族みんなが楽しく農業に関れるよう努める」だった。

 気負っていたねぇ、あの頃のオレ。

 子ども達には「今日は田植えなので学校を休みます。」とか「稲刈りなので・・」、「雪下ろしのために・・」などと理由をくっつけながら、よく小学校を休ませていた。

 「楽しくなければ人生じゃない、おもしろくなければ百姓じゃない。」今はこれかな。

 「おもしろきことのなき世をおもしろく」という高杉晋作の辞世の句のパクリだけどね。

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お久しぶりです。

さて、インターネット上の毎日新聞に「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」と題する駄文を書き、26回目からは「個人的なメールマガジンにおいて・・」と宣言したのが昨年の12月、今はもう4月下旬だからもう半年のご無沙汰だ。

 締め切りがないというのはとても自由だけど、ぼくのようにグウタラな人間にはマイナスにしか作用しない。まったくダメ。書けません。それに「メールマガジンにおいて」とは言ったけれど、肝心のその世界のことをほとんど知らなかった。

じゃ、宣言しなければいいじゃないかともお思いでしょうが、ま、最初に広く宣言し、逃げられないようにしてから事に向かうというのは、禁煙の時も同じで、ぼくのやり方。方法としては手慣れたものだ。あとはグウタラを我が家系の遺伝子のせいにして機会を待てばいいというわけだった。

 そして機会はやってきた。筆不精のぼくの背中をドンと押してくれたのは、友人からのメールだ。そこにはびっくりするような話があった。これは書かないわけにはいかないぞと。ぐうたら人間をやる気にさせたメールとはどんなものか。少し長いが引用する。

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菅野 芳秀様

 すばらしいシフォンケーキが出来て,初めて家族にほめられました。本当に素
晴らしい卵力です。ありがとう。

白身を泡立ててレンゲを作ったのですが,泡立ちのしっかりさ,泡の艶色,いき
いきとした感じがいままでの卵とちがう。

オーブンで焼いてみてさらに違いが分かりました。ふくらみの高さが焼き型の煙
突のところまで膨らんでいるのです。これは初めての経験でした。食べてみるとなめらか,しっとり,ふわふわ。

焼いた翌日はどうしてもやや堅くなるのですがそれがあまり感じられません。

そしてもうひとつ決定的な素晴らしいことー焼いたときの香りのすばらしさです。

今まで「平飼卵」というのを使っていたのですが,焼き上がった直後、オーブンを開けると魚滓の油の酸化した臭いがしてせっかくのリキュールやラム酒のにおいが消えてしまい,それが気になってしかたがありませんでした。それがすべて解消したのですから驚きです。

もっと,価値高く売れる卵だと思います。「NPO虹の駅」で、この卵でシフォンケーキを作って売って名物にしてはいかがですか?

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びっくりしたよねぇ。写真の左がぼくの自然養鶏の玉子で作ったシフォンケーキだ。右が生協の平飼い養鶏のたまごで作ったもの。比較のために条件は全く同じにしたという。でもこの差はなんなんだ。友人は農芸化学の専門家で、もと農水省の技官。「たんぱく質の組成の違いが原因だとは思うけれど、調べてみなくちゃね。」と言ってくれた。

 ぼくはその違いを少しロマンチックに考えたい。いのちを持ち、暖めればヒヨコになる玉子と、いのちを持たず、暖めれば腐ってしまうたまごとの違い。持っている生命力、含まれているいのちのパワーの違いだろうと。

いのちはいのちをいただくことでふくらんでいく。いのちは、いのちに加わってもらうこと、参加していただくことで強くなっていく。「食べる」ということはそういう事だ。参加する「いのちの質」(嫌な言葉だけど)によって生命力が決まっていく。

 たまごの外見は同じだ。区別がつかない。だけど、その違いは歴然としている。これは生協の「平飼い養鶏のたまご」との比較だが、ゲージ飼い養鶏との比較ならどんな結果が出ただろうか。

本物の食べ物、生命力あふれる食べ物をしっかりと食べたいものだ。


自然養鶏を始めて25年。いのちを育む百姓として、人間として(わっ、はずかしい!)いい玉子を作りたいと思い続けてきたが、なんだかその努力が報われたようでうれしかった。


P・S ★ 自然養鶏の玉子を食べてみたい方はご連絡ください。当然のことながら数にかぎりがありますので、お受けできないこともありますが、その時は不運と思い、あきらめて下さい。

     
            

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