ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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座標塾第19期第4回

悪戦苦闘する農業――いま、農村で何が起きているか
山形県百姓 菅野芳秀

好きではないが、書き始めたら悲観的な話、暗い話になる。
それも仕方ない。3割を超える非正規の日本の労働者の現状を悲観的にならずに、明るく話せるかと言えば、ま、出来なくはないかもしれないが、多くの場合は失笑を買うだろう。冷めた笑いを誘うかもしれない。
農業もそれと同じですね。ここでは無理して明るい話題を拾い集めたとしてもあまり意味が無い。だから、力を抜いて、農村の現状をそのまま話したいと思う。

 私は、山形県長井市で百姓をして50年になる。経営の中身は水田が5ヘクタール(5町歩)。それと玉子を得るための放し飼い養鶏を1000羽。
 鶏の出すフンを田んぼや畑に。田んぼや畑が生み出すくず野菜は鶏の餌に。他に豆腐工場のおから、学校給食の残飯など有機廃棄物を混ぜながら地域の中でうまく活用し、農業と繋ぐ。自分では地域循環農業あるいは地域社会農業と言っている。
 中心は40歳の息子。朝早くから夕方まで働いている。
 去年、その息子が百姓やめていいかと言い出した。10年ほど前まで集落40戸のうち30軒が農業をやっていた。たった10年で20軒余りやめた。今は10軒にも満たない。更にここ数年でそれも半分以下となるだろう。
 40歳と言えば、地域農業の中心的働き手。地域からもいろんな役を要請され、それを断らずに頑張っていた。そんな息子がそういうことを言い出した。
 それはなぜか。おいおい話すが、一緒に考えていただければありがたい。

 
1)いま、稲作、畑作の現場では・・ときがくる、ときになる

 「ときがくる、ときになる」。つまり工業系の時代から農業系、生命系の時代への大きな転換期がやって来た。待望の時代の転換期だ。だけれど、本来、その中心にいなければならない俺たち百姓は、佐渡のトキのように絶滅危惧種になろうとしているよ。「ときがくる、ときになる」。
そんな実感を言葉にした。我ながらいい造語だと思っている。
 我々の村には、山形新幹線で赤湯駅、そこから長井線に入り、約50分。水田がやけに目につく。平地のほとんどが水田かと思うような風景が続く。
 その水田がいま、あっちこっちでブルドーザーが動き、大型基盤整備の最中にある。秋田も新潟も岩手も・・東北各地にも同じような光景が見られる。

 我が家の田んぼは1区画15〜30アールぐらいに整理されている。日本は山国、傾斜地が多い。大きな区画の水田はなかなか作れない。だから、1区画1・5〜2反くらいの水田になっている。そこに新しい基盤整備事業。1区画1町歩だ。100メートル×100メートルの大型区画。今、その基盤整備の工事でブルドーザーがフル稼働している。この事業は無料。工事費は農水省が払う。農家の持ち出しは無し。ただ、基盤整備工事中、米は作れないから、そこは黙って了解してくれと。
結果として、小農が生きていけなくなった。つまり1区画1町歩にするが、おまえさんところは出来るのかと問われる。その段階で、機械も買えない、後継者もいないとなると、大型化に抵抗のない農業法人に預けるか・・となってしまう。さながらブルドーザーで小農を潰し乍ら大型化が進んでいるかのようだ。言うまでもなく、大区画の水田には、新しく小農、兼業農家、新規就農者の参加する余地は全く無い。
 その農業の担い手は農業法人。中には建設業などが控えている場合もある。その場合、農業従事者は農民ではない。場合によって地域生活者ですらない。
 一口に言えば、大農経営には農民がいなくていい。農村すらなくても構わない。それを先取りする様々な現れが既に始まっている。風景が少しずつ変わってきている。

2)生産費を賄えない低米価政策が続く

 農民が農業から離れていく・・。そこには様々な原因がある。けっして一つではないだろうが、一番大きな問題は、米価を始めとする農産物の安さ。コメを言えば、ご飯一杯白米で70g。1キロ400円の米を買ったとしても一杯は28円だ。ポッキー4本分。これでもコメが高いと言って穀物を外国に依存しようとする。棄民政治。
 今、JA=農協の仮私金で一俵60キロ1万2000円前後。かつて、その価格に近い価格だったの今から50年前の1974年。玄米で一俵1万3615円。当時の新聞価格が月1700円。私は新聞奨学生で新聞配達していたからよく覚えている。今その新聞代が月4900円。1974年から2023年の間で2・9倍になっている。74年当時のコメのJA買取価格をそのまま2・9倍すると、1俵39,483円にならなければならない。だが、現在1万2000円。かつ、4割の減反。減反補助金があるという誤解が結構全国に広がっているが、何もない。
  米作りから農家が離れていくのは当然だ。暮らしていけないのだから。こんな国で稲作農業やって苦労するのはごめんだよという事だろう。

 日本の米の生産は年間670万トン。一方、輸入される小麦は550万トン、大麦200万トン。それが年々増えている。それが自民党政府の政策だ。農民はどんどんやめていく。離農奨励金が出ているうちにやめようか・・。奨励金・・農業に就くための奨励金ではない。離農奨励金だ。まさに棄農政治だ。
 
3)農機更新時期が離農時期

 
 息子の春平が農業やめていいかと言ったのは乾燥機が壊れたからだった。乾燥機は約200万円。どこをつついたってそんな資金は出ない。「友人の工場できてくれないかと言っているから農業やめてそこで働こうか、迷っている。」
 結果的にもう少し続けようとなった。家族でお金を捻出して、200万の乾燥機を更新した。次は精米籾摺り機、田植え機。その後はコンバイン、トラクターなどが待っていて
その都度やめるかどうかという深刻な崖っぷちに立たされる。春平だけではない。どこの百姓も同じだ。
 次に富夫君の場合。彼は30頭の米沢牛を飼っていて、先日チャンピオン牛を出した。一頭180万円近くで売れる。彼は30頭の和牛と7ヘクタールの水田の組み合わせで、水田の複合経営をやっている。藁を牛に踏ませ、堆肥を作り、それを水田にという循環農業をやっている。白鷹町の誰もが認める農業リーダーだ。
 彼も農業機械の更新の為、補助申請に役所に行ったら、規模拡大の成長路線を書けと言われたという。
 皆さんは、そこはうまく立ち回り、便宜的に書けばいいと思うでしょうが。職員も地域の人だから、そんなウソは通用しない。筒抜けだ。
 富夫君は、成長路線は自分の農業の理念と違うと言って、申請を撤回して帰ってきたという。彼は今もって農業をやめてないから何とか農業機械を買ったのだろう。。
 これが全国の水田百姓たちの現状だ。俺が百姓して50年経つけど、50年間では経験したことないようなスピードで家族農、小農が離農していく、やめていく。
 あの人は地域のリーダーだったのに・・と、意外な人も、普通の人もやめていく。

4)春、大規模化が作る赤茶けた田んぼ。生き物がいない水田

 農水省の推進する「みどりの食糧システム戦略」は、2050年までに有機農業の割合を25%にする。農薬の「使用効果」(使用量?)を5割に、化学肥料を3割削減するとしている。
 これは農水省官僚が、ヨーロッパとか近隣諸国に押されながら、やむなく、根拠なく、こういう数字を出さざるを得なかったとしか思えない代物だ。
 今のような大規模圃場の広がり、小農の切り捨ての延長線上に有機農業の割合を25%にするなんて不可能だ。かつ化学農薬、化学肥料の3割削減なんてのも無理。論理がめちゃくちゃだ。
 大規模化とはケミカル依存農業とセットだ。誰にだってそれは分かる。小農なら有機農業は可能だけど、大規模農業では出来ない。大規模になればなるほどケミカル依存になっていくしかない。それをどんどん水田を拡大し、一方で農薬を1/2以下に減らしていく・・無責任なことを言うな、農水省。遊休農地はたくさんある。だったら見本を見せて欲しい。
田植え直後、一面に広がっている真っ赤な畦畔。除草剤だ。本来、畔とは水田のダム。小さなダムを決壊から護っているのは畔の草。草の根が土をしっかり繋いでダムが破れないようにしている。そこに除草剤を撒くことは、そんな草を根から枯らすこと。雨が降ればボロボロ崩れ、作業のために上を歩けば、ずずっと崩れていく。これでは水田を維持できない。そのことは百姓自身が一番よく知っている。それでも除草剤を撒くのは、畔草を刈れないからだ。労力が無い。
 田植えと同時に、除草剤も殺虫剤、殺菌剤、化学肥料も撒く。そして農薬の効力期間が長くなって来た。労力削減のためだ。その結果、田んぼの中の小動物がいなくなった。夕方うるさいぐらいだったカエルは少なくなった。田んぼの虫を食べるツバメもスズメもトンボも少なくいなくなった。沈黙の風景が広がっている。赤茶けた水田、生き物がいない水田。これが大規模化の作る春の風景だ。

5)農業の地域離れ

大規模農業は地域を全く相手にしてない。首都圏、遠くは東南アジアの大都会。置賜の地域なんか相手にしたら、大規模農業なんて成立しない。地域にしてみたらの農村風景は、まさに風景でしかない。自分たちの生活とは関係ない。農産物の地域離れ。
 ただでさえ村の過疎化が進むなか、規模拡大によって農業で暮らす人は少なくなっていく。農民であることをやめた人は、村に留まる必要がない。農民の農業離れ、村離れ。総じて家族農業(小農)の消滅。。


6)大規模化の渦中では

 大規模化を進めているの渦中の人にインタビューした。
 Fさん(小国町)は本業がプロパンのガス屋。従業員からの依頼で田んぼをやり出したら他の従業員も、近所の人もやってくれということで、年間10ヘクタールずつ増えていった。今、60ヘクタール。
 山間部で大きな農家と言っても4hを越えなかった地域で、大豆が20ヘクタール、水田が40ヘクタール。農業始めて6年目。さらに増え続けている。
 彼の言葉。「小国町で家族専業農業は無理だ。会社勤めプラス二種兼業でどこまでやれるか。やれなくなって俺んところに農地を持ってくる。今、俺の村の農家の平均年齢は75歳を超えている。多くは俺の代で辞めると言っている。新規就農者が水田農業をやるのは無理。1台400万もする機械が必要。同じような価格の田植え機、トラクター、稲刈り機を買いそろえて水田農業なんて採算が合わない。結果的に土建業の方々にお願いするしかない。」
 Fさんは、「地域農業を維持する上で、異業種の参入はもう欠くことのできないことだと思うよ。」と言っていた。いまの条件ならば全くそうだ。建設業だってできるかどうか・・。
 もう1人の大規模化の渦中の人はBさん。彼は15町歩。彼はコンバインが壊れて、新しいコンバインを見に行ったら1台2000万円。15ヘクタールならそうなるだろう。農協から借金して買った。ところが、下がる一方のコメ価格。ローンが払えない。大規模だから逆にマイナスが大きい。営農資金を貸した農協が機械を持っていったという。彼は農業を続けられなくなって、より大きな農業法人(会社)の職員となった。それで生活がむしろ安定したと喜んでいた。
 これが日本を代表する穀倉地帯の置賜地方の中の出来事。雰囲気は分かると思う。



1,地域農業のもう一つの途

 いきなり、まったく違う話を接ぎ木するようだけど、ここからは違う角度で見てみたい。我々は1989年の国際民衆行事であるピープルズ・プラン21(pp21)を開催し、以来、目指すべき農業・農村の有り様を7つの要点に整理し、それを行動規範として現実に挑んで来た・・と書けば勇ましいが・・。共有できる観点だと思う。まず、それを取り組んで来た地域実践と共に、簡単に紹介したいと思う。

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農薬の大型ヘリコプターによる空中散布の反対運動。そしてその地域的展開。それを皮切りに、置賜(3市5町・・20数万人)から空中散布を無くした。そしてゴルフ場反対運動。ゴルフ場はすごく農薬を散布する。それが流れて水田に至る。土壌汚染を招く、水質、飲料水の汚染も。それへの反対運動を行い、その計画を断念に追い込む。河川の飲料水取り入れ口の上流への大型焼却所建設計画を中止に追い込む。ほぼ1ヶ月で住民の9割の反対署名を集め、中止に追い込む。減農薬米運動を地域的に展開する。(「七転八倒百姓記」現代書館参照)
◆崕朶帖廚鮹楼菘に実践する。
 循環を地域的に考えるレインボープランなどの実践。それがやがて、自給圏を担っている運動になる。これも「七転八倒百姓記」現代書館を参照
 レインボープランは町の生ゴミを活用して、消費者、生産者の区別なく、土に関わり、農に参加する地域づくりだ。堆肥がないから土作りができない。土作りができなければ、農薬散布やむなしという農協の論理とずいぶんやり合いながら、農協を批判するだけではなく、ともに課題を解決する方向で連携し、建設的な減農薬運動を進めてきた。
 
B人誉の共生社会としての地域社会の実現。
 多様性の共生社会として、共に生きていける社会をどう作り出していけばいいのか。様々な方々と連携しながら同じ地域の生活者として、イコールの立場で協力し合いながら、ともに生きれる地域社会を作り出していく取り組み。
っ楼茲亮立と自給。
新しいローカリゼーション。都会の植民地にならない自律的な地域をどう作るか。そこから「置賜自給圏」につながって行った。
セ臆談閏膽腟繊
地域の命運を国家に預けない。操縦桿を地域住民が握る。住民自治
 廃県置藩。藩とは自給圏。置賜自給圏を建設する取り組みにつなぎ、今日に至る。
γ狼綸視点。
Г箸發棒犬るための農業。
農家に限らず、望めば農に関われる「国民皆農」への道づくり。
 これも置賜自給圏を建設する取り組みにつながって、今日に至る。

 この7つの条件を重ねて向こう側に見える社会こそ、我々が目指すべき地域社会ではないか。そう捉えながら、地域実践を重ねて来た。

2)新しいローカリゼーションへ

 今の国の農政にあっては、経済効率一辺倒で、兼業、専業問わず、家族農、小農を淘汰し、規模拡大をすすめること。これは「鉄の法則」として位置づけられている。そんな嵐の中、俺たちは小農と市民の生活者連携を主体に、次代に向けた食といのちの連携を足元から築いて行こうとする。その陣地を地域的に築いていく。その規範が「七つの条件」だった。俺たちは、その道を歩み続けてきたし、これからもこの道を歩み続けたいと思う。
 
 今は時代の転換期。理想を決意に変え、創り出す時代。単に克服すべき時代のものさしを批判するだけでなしに、それを乗り越える新しい基準を提案すべき時代だ。
転換期の時代性・世界性・地域性を孕んだ地域政策を持って難局に参加をする。
 経済効率一辺倒のグローバリズムの限界はとっくに明らかだ。それとはまったく違う、新しいローカリゼーション。地域自給圏。その具体的建設に向けた農民と市民の連携。
 国民(市民)皆農を織り込んだ新しい道。我々もその道を行く。

だが、農業・農村では今まで見てきたように、自民党政治の中、効率性と大規模農業が大きな勢いをもって跋扈している。食の安全性、食の持続性、自然環境を守らんという視点は、後方に引っ込められてしまったかのようだ。具体的に小農、家族農が離農に追い込まれ、いまや「農仕舞い」の言葉すら農村では交わされている。
 そのただ中、そうじゃない地域政策、そうじゃない地域作り、そうじゃない人と人との繋がりをどう作っていくのか。繰り返すが、みんなが農業に関わり、みんなが土と関わり、みんなが命の世界と関わる農的世界の実現。地域の操縦桿を国から地域住民に取り戻す。自民党から民衆に取り戻す。国は沈んでも自分たちが生活は破綻しない地域作り、地域の主体性・自立性を地域のローカリゼーションとして作り出していく。その為にも農民と市民の連携が求められている。
 
 3)新しい希望の創造に間に合うか

 小農こそ、社会性、地域性をはらむ希望への架け橋。可能性である。ただ、次代の希望に間に合うのだろうか。ボロボロと小農がこぼれていく。
 数十町歩、新潟では1000町歩を超える大規模農業が始まっているという。それは小さな農家をつぶしていった結果だ。村には累々たる小農の屍が横たわる。
 農の持つ全ての可能性が壊されつつある。先日、百姓交流会の有力メンバーが「菅野、俺百姓を辞めることにしたよ。これ最後のブドウだ」と言って持ってきてくれた。
 彼に今回のレジュメを見せた。
 「その通りだな」と言う。「次の希望に間に合うと思うか。家族農、小農が絶滅的寸前になっている現状を克服し、次の代にタスキを渡せるか?」「まずねえべな」と彼は言っていた。
 
 ほぼ50年間、農業、農村の中でいろんな運動を続けてきた。戦後、475万自作農家が、村からこぼれていく過程を脇で見ながら、そうではないオルタナティブな運動を提案し実践的にも関わってきた。楽しみも、困難さも含めて経験してきた。今、突き当たっているのは、この先がないことだ。安易に展望は描けない。
 こんな現実に囲まれているからこそ、悲観的な話だけでなく、前を向くような話が大事。その視点がなければ橋が出来ない。だけど、肝心の未来への橋をかける百姓が、目の前でこぼれて行く。この現実はとても重い。
「ときが来る」ことは間違いない。でも、佐渡のトキになっている各地の百姓たちとともに、どういう未来作りが可能なのか。それぞれの持ち場の中からいろんな提案をいただきながら、共に未来への架け橋を作っていければと思う。

以上

...もっと詳しく
人(他人)に迷惑をかける喜び
人(他人)に迷惑をかけられる幸せ


つながるということ
信ずるということ


生産効率を何よりも優先される社会では
生きていけない人がたくさんいる
俺も決して楽しくはないな


百姓と市民がともに作り出す社会
土といのちと感謝でつながる社会


えっ、何を夢みたいなことを言っているんだって?
いいじゃないか、にんげ・・、あ、違う・・一年の終わりなんだからよ。

 
まるで・・思春期の、社会的に幼い少年が書くような・・だって?
俺はこれでも74だよ。文句あっか!


少し酒を飲みすぎた・・かな。
熊が来た。それも我が家の庭先に。庭にぶら下がっているリンゴが喰われた。
 後ろ隣の寺の干し柿が全部喰われてしまったとの話を聞いて、近くで活動している、気を付けなければと思いつつ、あらためて周りを見たら、我が家のリンゴが落とされ、喰われた後があっちこっちにあった。昨夜の事だろう。
 「あそこに行けばリンゴが喰える。明日も行こう」となるのは必定。彼等は夜行性だから、しばらく夜は外に出ないようにしよう。共生?ま、そうだろうな。
 熊が里まで下りてきて、柿やリンゴの実を食べていく。
わが家のすぐ近くにも熊に食べられた柿や、木に登った痕跡が見られるし、熊の糞もあっちこっちに落ちている。そのフンを見ると、種の様なものがたくさん含まれている。
「あ、これだな・・。」
糞を棒で突っつきながらよく見ると・・やっぱり種だ。

 朝日連峰は日本最大級のブナとナラの森を有する広葉樹林帯だ。その広大な面積の隅々までブナやナラの種を運んだのは熊だと言われている。彼等は25〜100㎢をテリトリーに行動するという。その広さにブナの実やナラの実(ドングリ)を食べ、幾つかを糞(肥料)と共に種を落としていく。その数百年、数千年の営みが広大な広葉樹林帯を作って来た。熊は自然の一部なのだ。

 それを考えると、危険だから・・と殺してしまう前に、考えなければならないことがありそうだ。
「菅野さん、こんなものが出て来たよ。」
一週間ほど前、おコメの配達先の元高校教師の知人に呼び止められた。それは以前、乞われて、山形県教職員組合の機関誌に書いたものだった。題して「一寸法師・桃太郎症候群」俺の写真入りの文章。まだ頭が禿げていない。ずいぶん前に書いたものだ。
 みなさん、お忙しい中での「閑話休題」、お酒でも片手にお読みいただけたらうれしい。
            以下 
春の眠りは気持ちがいい。冬の寒さが緩み、身体の緊張がほぐれて来たこともあってか、いつまでも布団の中でトロトロとしていたい。そんな朝の、まだ眼が覚めぬが眠っているともいえない「まどろみ」の時間には、夢とうつつが重なり合って、思わぬ方向に発想がふくらんでいくことが良くある。
 ある日のフトンの中、「20才の頃の私」と「桃太郎」と、「一寸ぼうし」が突然つながった。
 以下、その話を紹介するが、多少の飛躍や、突然の転換には眼をつぶっていただきたい。なにしろ、半分寝ぼけている世界でのことなのだから。
 20才の私はどういうわけか生き方を求めていた。自分らしい生き方をさがしていた。
 人生の岐路に立った時は、たいていの場合、自分がそれまでにたどってきた道を振り返り、どこかに何かヒントがないかを捜そうとする。当時の私に最も大きな影響を与えていたのは高校時代の三年間のはずだった。しかし、思い出すのは三角関数や英単語だけとはいわないが、頭の中をさぐっても、出てくるのは生き方とはあまり関係のない、あれやこれやの雑多な(と思える)知識がほとんどだった。
 そこでようやく私は、「いかに生きるか」を全く考えることなく、また学ぶこともなく20才になってきたという、それまでの人生の浅薄さに気付いた。    
 やがて、どうも、その浅薄さは私だけのものではなく、おそらく程度の差こそあれ、同時代人にかなり共通しているもの、あるいは大部分の日本人にさえ言えることなのではないかと思うに至った。
 何故かといえば、その根っこは、だれもが幼児の頃から、くり返し、くり返し聞かされてきた「桃太郎」と「一寸ぼうし」の中にあるのではないかと思ったからだ。
 まずは「桃太郎」。自分のものではないお宝を戦利品として自宅に持って帰るのはいかがなものかとも思うが、最大の問題は話の終わりかたにある。荷車いっぱいにそのお宝を満載して桃太郎は村に帰って来た。桃太郎は「お金持ち」になった。そして・・。話はそれで終わっている。手に入れたお金で川に橋を架けたり、学校を造ったり、貧しく苦しむ人たちに・・・そんな話はまったくない。 そして「一寸ぼうし」。彼も鬼退治をして、助けたお姫様と結婚し、やがて「エライお役人様」となった。そして・・、この話もそれから先がない。話はそこで終わっている。
 手に入れたお宝を使って何をしたのか、あるいは「エライお役人様」になって何をしたのかは全く語られてない。つまり、さながら、何かお金を得ること、あるいはエライお役人になることが目的であるかのように描かれているのだ。こんなお話を、小さい時から、くり返し聞かされてきた結果、「お金」や「出世」が人生の目的であり、その成功、不成功もそこにある、と考えるようになってしまったとしてもおかしくはあるまい。「一寸法師、桃太郎症候群」。志を失った高級官僚から「オレオレ詐欺」の若者まで、幅広くこの類に入る。その正体は「生き方」、哲学の不在。
そして・・、まどろみながら、論理の飛躍を楽しみつつたどりついた結論は次のようなことだった。私たちは「桃太郎」と「一寸ぼうし」に変わる「新しい童話」を子どもたちに語り聞かせなければならない。それは俺たち自身の物語だ。あっちでぶつかり、こっちで泣いた、けっしてカッコイイ話じゃないけれど、自分がたどってきた中から得た「生き方」を子どもや孫たちに伝えること。じいちゃん、ばぁちゃん、母ちゃん、父ちゃんの話、近所のおじさん、おばちゃんの話でもいい。子どもたちはそれらを聞きながら、これから歩む自分の人生を考えるだろう。夢中で生きて来たけれど、振り返ってみれば泣き笑いの連続だった。子どもたちに伝える材料には事欠かない。
 これが、まどろみの中の結論だった。
どうだろうか、ご同輩。

パレスチナに関わる、ハーバード大学の学生団体らが発表した共同声明の全文です。長い文章ではありません。ぜひお読みいただきたい。
 この文章はネット上に木村太郎さん(元NHKニュースキャスター)が取り上げたモノを、天木直人さん(元レバノン大使、作家)がご自身のメールマガジンに掲載されたものです。(菅野は天木さんのメルマガの読者です。彼におことわりして転載いたしました。)
 天木さん「日本のメディアが報じるガザの戦況ニュースほど無意味なものはない。
 そんなニュースよりも以下の文章を読む方がよほど為になる。
 これは、米国の「学問の府」ハーバード大学で、10月9日、30以上の学生団体が共同で発表した声明文の全文だ。
 私が注目したのは、最後の部分で植民地的という言葉が出てきたことだ。反植民地の動きは、これからの国際政治の中心的テーマになるだろう。後戻りのできない歴史の進歩ととらえたい。」
  引用開始
 我々は、次々に明らかになるすべての暴力について、イスラエル政権に全責任があると考える。
 今回の衝突は、何の背景もない真空状態の中で始まったものではない。この20年間、ガザ地区に住む何百万人ものパレスチナ人は、屋外監獄での生活を強いられてきた。
 イスラエル当局は「地獄の門を開く」と宣言し、ガザ地区での虐殺はすでに始まっている。
 ガザのパレスチナ人は避難場所も逃げ場もない。
 今後数日間でパレスチナ人はイスラエルの暴力の矢面に立たされることになるだろう。
 責められるべきはそのアパルトヘイト(人種差別)政権だけだ。
 イスラエルの暴力は75年間パレスチナ人の存在のあらゆる側面を規制してきた。
 組織化された土地の強奪から日常的な空爆、恣意的な拘留から軍事検問所、強制的な家族分離から標的を絞った殺害に至るまで、パレスチナ人は緩慢かつ突然の死の状態の中で生きることを余儀なくされてきた。
 今日パレスチナ人の試練は未知の領域に突入した。
 これからの日々は、植民地的な報復に対する断固たる態度が必要となる。
 私たちは、ハーバードのコミュニティーに、現在進行中のパレスチナ人絶滅を阻止するための行動を起こすよう呼びかける。

菅野農園の「お米通信」10月号からです。毎月、こんな通信をだしています。今回は初荷のコメに入れ、お配りしました。<以下>
       
お米通信 2023,10月 菅野農園 fax0238-84-3196 携帯090-9636-0360
☂皆様には、いつも変わらずに菅野農園の作物をご愛用頂きありがとうございます。
暑い夏でした。
田んぼでの労働は息子が引きうけてくれるようになり、親父の私は主に実務担当となっていますが、日陰の無い田んぼでの毎日の農作業。上からの熱い日射しと、下からの沸騰したお湯が発するような熱気。そんな中に挟まれての農作業。辛そうでした。
そのかいもあって、おコメの方は減収したとはいえ、何とか稔ることが出来ました。
農村に蓄積されている稲作技術と稲自体の生命力に感謝しています。

☀10月は新米の初出荷です。減収が避けられませんでした。原則的に菅野農園では化学肥料を使いません。また、殺菌、殺虫剤も使用しません。10月からお届けする「つや姫」はそのように作ることが出来ました。
ですが、「ひとめぼれ」は農薬8割減(山形県特別栽培米は5割減)に留まりました。来年こそは「ひとめぼれ」もゼロとなるよう頑張ります。

☀おコメに限らず、作物は育ったところの土から水や養分を吸い上げ、その実に蓄えます。ですから私たちは作物を通して周囲の土を食べ、水を飲んでいるのと同じです。菅野農園に入る水は、裏山にある朝日連峰から直に入る自然水。また、40年間に渡って化学肥料を排除し、有機肥料のみで作物を作ってきました。きれいな土と清冽な水。作物はその合作。どうぞ安心して食べてください。これからも食べる者の健康、自然環境に最大限の気を配る農園として、小さいけれど、だからこそ確かなものをしっかりと作っていきたいと思っています。

☂ 苗が成長し、稲になった。一粒の種から一本の苗が生まれ、それがやがて20本の株となって穂をつける。一つの穂には80前後のモミをつけたとして、春の一粒が秋になると約1,600粒になる計算だ。一杯のご飯は2,500粒前後と言うから、元をたどればわずか二粒にも満たない。植物の恵。ありがたいことです。

☂猛暑の夏もようやく峠を越え、朝、晩に涼しさを感じるようになりました。
今年のコメを他の農家に聞いてみると、高温障害(白濁米)が出ていること、全体的に取れて無いこと・・などがあります。これだけの暑さ、何らかの障害があって当たり前ですが、この程度で済んだことは、稲作農家の技術力の高さでしょう。
我が農園でも、例年の対応以外に、息子は時期を見ながら田んぼの水を抜く、冷たい水を引く・・を繰り返し、田んぼを冷やす。周囲の草を回数多く刈って風の通りを良くするなどの努力をしていたようです。こんなにも長く続く夏の高温は今まで経験したことがありません。今年は色んな意味で、未来を予感させる年ですね。

   菅野農園;山形県長井市寺泉1483 tel、faxは0238-84-4196 
      代表;菅野春平

 
 我が家の稲刈りがようやく終わった。
83歳の重太郎さんも終わったが、その直後からの長雨。85歳のけんちゃんは、なかなか作業が出来ず大弱り。息子夫婦が手伝いに来て、雪に変わる前に何とか・・と必死だ。
 重太郎さんは10aあたり8俵。例年の8割しか取れなかったという。わが家では7俵。稲株の間に、充分な空間をとり、健康な稲を作ることで、殺菌剤、殺虫剤、化学肥料に頼らないコメを作ろうとする。もともと作り方が違う。例年、目標が8俵なので7俵も仕方ない。

 なにしろ今年の暑さは稲にとっても俺たち百姓にとっても過酷だった。今年は品質が悪いというが、取れただけでもありがたいとしなくちゃな。

 後は隣組の人たちと一緒に山形の秋、恒例の「芋煮会」だ。
こんばん、今年の新米を家族みんなで味わった。
まず、ご先祖さま、仏様、八百万の神さまに炊いた新米をお供えし、一年間の無事を報告し感謝した。
 おコメに限らず、作物はこの地の水と土と労働の合作。何を祈っていたのだろう?3人の孫娘たちも交互に長いこと仏壇の前で合掌していた。
 
 今年の新米もまた、美味さは申し分ない。香り良く、ほんのりと甘い。
「おかずは要らないね。」「うん、ご飯だけで何杯も美味しく食べられる。」
 孫娘たちは何回もおかわりして食べていた。
 
こんばんは、コメ作り農家にとって至福の時だった。

「日本人は農なき国を望むのかー農民作家 山下惣一の生涯」(9/23:NHK総合・午前6時10分〜)は示唆に富む、とてもいい番組でした。 

過去を回顧するというのではなく、これからの農業、これからの日本を考える上での、大きな視点に立った問題提起となっています。
 見逃した方は再放送があります。真夜中ですが、ぜひ、ビデオにとってご覧ください。

 9月26日 同じくNHK総合TV 午前1;20〜2:03 「日本人は農なき国を望むのかー農民作家 山下惣一の生涯」
さすが日本農業を代表する百姓・山下惣一。私は彼の生涯のほんの一部でしかありませんが、行程をともに出来たことを誇りに思います。

 写真は山下さんと若き頃の俺




        山形・置賜の百姓 菅野芳秀


記録的な猛暑となった今夏、山形県畜産振興課によると、今年の7月1日〜8月31日の2か月間に、山形県内で暑さが原因で死んだと報告があったのは、牛が91頭(昨年同期33頭)、豚が78頭(同39頭)、鶏が5630羽(同527羽)だそうです。昨年同期と比較すると、牛が2・75倍、豚が2倍、鶏が10・6倍に増えているといいます。
 菅野農園には1,000羽のニワトリたちがいますが、暑さが原因では1羽も犠牲になっていません。工業養鶏のように狭いカゴに入れられて身動きが出来なくなっている訳ではなく、お日様の動きに合わせて、日陰の涼しい所を選んですごしているからだと思います。
 菅野農園では放牧養鶏。でもでもこの季節、鶏舎の扉を開けても、日中は外に出ようとはしません。風通しのいい鶏舎の中ですごしています。それももう少しですね。やっぱりニワトリ達には秋の野花の咲く野原が似合います。
まだ30℃台の暑さが続くが、確実に秋は始まり、成長している。
コスモスの花が咲き、庭のリンゴも大きくなっている。田んぼでは緑が黄緑に変わり、早い農家ではすでに稲刈りを始めている。
「去年より10日は早まる。」と我が家でも、稲刈りに備えて田んぼの草刈りや、コンバイン整備に忙しい。
 今日、9月14日。ミンミンゼミも最後の一声を絞り出してはいるが、コオロギたちの声が賑やかになって来た。朝、タオルケットだけでは寒い。

 それにつけても今年の暑さ。人類の生存の危機さえ予感させるものだった。
更に加えて、原発とその放射能汚染。農業、食料危機・・。
 求められているのは今までとは違う時代認識。今までとは違う政治選択だ。お互いしっかりしようぜ。
原発の汚染水は福島に放出するな。

これ以上、福島に犠牲を強いてはいけない。
汚染水は一滴漏らさず、東京湾に持って行く事。放出せざるを得ないならそこでやればいい。
「汚染水だ」,「いや、人が飲めるほどだ」
 そんな議論は、東京湾に運んだうえでやればいいこと。
 とにかく、福島にこれ以上犠牲を強いるな!

原発という国策の失敗を福島に押し付ける。そもそも福島は東電の電力をまったく使ってはいない。貧しさを背景に、敷地の提供を押し付けられただけだった。

「日本という国の尊厳」はそれでいいのか!
「日本人としての誇り」は傷つかないのか!

何よりも人として恥ずかしくはないのか!
 親しい友人で、ライターの小野田明子さんから、拙書「七転八倒百姓記」へのありがたい書評を戴きました。書評を書くのは如何に大変な作業かは理解しています。お忙しい中、恐縮です。ありがとうございました。

        以下

 農業従事者の数の減少が止まらない。高齢化もすすむばかりで自給率の向上を叫ばれて久しいのに、と食べる側としても頭を抱える事態だ。当事者である農家の深刻さは想像にかたくない。
 20代で故郷に帰り農家を継いで「堂々たる田舎」を目指した著者50年の歩みは猫の目のように変わる農政とは関係なく、都会と田舎をつなぐ独自の手法を生み出そうとする。
 1つは家庭の生ごみをツールにした生ごみ循環の町づくりだ。レインボープランと呼ばれるこの取り組みは、山形県の長井市を一躍有名にし、視察者が絶えなかった。  次に着手したのが「置賜(おきたま)自給圏構想」だ。グローバル化が限界にきた現在、地域でエネルギーも食糧も自給する取り組みは様々な地域で挑戦されている。
 
 著者は常に現実的な対案を提案し、あらゆる人たちと共に活動することを信条としてきた。土、食、いのちを扱う農業の現場から社会を具体的に変えたいという意思が溢れている。構造を変えるという過程には苦悩はある。しかし考え続け、やり続ける先に失敗はない。地域を創るタスキを受け取る人々がいると信じたい。
全水道新聞に拙書「七転八倒百姓記」の紹介記事が掲載されました。光栄です。書かれたのは全水道東京水道労働組合で組織部長をされている 国谷武志さん。以下はその本文です。

 山形県の農家に生まれ育った菅野芳秀さんの「自分史」。
表紙に刻まれた言葉、「地域を創るタスキ渡し」は、まさに今の私たちに求められていることだ。

 都会の生活の快適さのために、地方に犠牲を強いる社会。より安いものを求める消費行動は、「効率」の名の下に農業の大規模化、法人化を促進させ、生産者や生産地を疲弊させる。気がつけば日本は世界一の農薬消費国。私たちの生活スタイルが自らの命や健康を脅かしている。
 高齢化や土地の荒廃により離農が進み、国内から海外へと供給元が移りつつあるが、その構造は変わらない。
地球規模で農業が、環境が、地域が壊されてゆく。こんな社会が持続可能なわけがない。

 一度は逃げ出した農業、故郷を、三里塚や沖縄の農民、漁民の生き様に学び、ただ嘆くのではなく、地域、行政を巻き込み、持続可能な社会へと変革していく。子供や大地を危険にさらす農薬空中散布の中止から、生ゴミを通じた消費者と生産地を繋ぐレインボープラン、置賜自給圏へと実践を重ね、土を育むことで台所と農地、都市と農村、現在と未来へのタスキが繋がれていく。

 決して容易ではなかった闘いの記録には、これからの社会を切り拓くヒントが散りばめられている。まさに次の時代へのガイドブックである。