ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

寒さが足りない・・・
12月に入るというのに温かい日が頻繁にあり、
その影響が作物に現れ、果物や野菜の登熟が進まない。
例えば「ふじ」に代表される冬のリンゴ。なかなか甘くならない。密が入らない。
野菜も同じ。大根や白菜の外見は同じでもやっぱり「甘く」なっていない。旨味が足りない。原因は寒さが足らないこと。霜が降りた日数不足。

 その点では作物も人間も同じだね。世間の冷風、寒さにあたらないから二世議員はいつまでも育たない。・・あ、この話はここでは関係ないか。
 話を戻せば、今年は大豆畑の葉がいつまでも枯れずに青かった。だから刈り取りが進まない。息子はかなり焦っていた。
 このままでは、果物王国山形はその座をもっと北の地方に明け渡さなければならないかもしれない。
前にも書いたが、寺山修司の脚本の中にこんな一節があった。ちょっと長いが引用する。
「中学校の頃、公園で トカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの瓶に入れて育てていたら、だんだん 大きくなって出られなくなっちまった。コカコーラの瓶の中のトカゲ!コカコーラの瓶 の中のトカゲ!おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。(後 略)」
 コカコーラの瓶はアメリカ、トカゲは日本。その一節はやがて有名な「身を捨て るに値すべきか、祖国よ。」と続くのだが、最近とみにそれらの言葉が骨身に染みる。

 1949年生まれの俺は、植民地日本の中に生を受け、植民地日本の中で生を閉じるだろうな。このままならば間違いなくそうなっていく。切ないねぇ。

「杉作、日本の夜明けは近いぞ。」
これは幕末の京都を背景に奮闘した、大仏次郎原作「鞍馬天狗」のキメ台詞だが、鞍馬天狗よ!それから160年経っても「日本の夜明け」は遠いぞ。悔しいが更に遠くなっていく感じだ。団塊の世代の仲間たち!もう一度かつての「こころざし」を・・・。
 え?おれ?俺は君の後ろからついていくよ。
 青森県は弘前の敬愛する友人である小野田明子さんより、
拙本「七転八倒百姓記」に対する有難い一文を戴いた。
感謝と多少のテレをもって友人の皆さんにご紹介したい。

       以下

 今回の衆議院選挙の結果に落胆した方。私もその一人ですが一人で日本の将来をしょいこんでいるわけでもない。自分の持ち場で頑張ろう、降ってくる火の粉は払いつつ、いい人生にしていこうと思うわけです。
 たぶん、そんな気分の友人の皆さんにおすすめの一冊が、菅野芳秀著「七転八倒百姓記 地域を創るタスキ渡し」。

 1970年代、学生運動に身を投じ、三里塚闘争で権力に対する農民の抵抗を目の当たりにし、自分はどう生きるべきかを自身に問う。労働組合の仕事で赴任した沖縄で自らの使命に目覚め、帰郷し農家の後継者として百姓となる。

 田舎の「出世」は都会になることではない。 

 高度成長期にこの台詞は、示唆にとんだ名言である。
以後、堂々たる田舎をめざして、多くの人を巻き込み、まさに七転八倒が始まる。
 それはやがて大きな視点に立ち、農業を基礎とする循環型地域社会づくり、レインボープランを経て、食料からエネルギーまで地域で自給しようとする「地域自給圏構想」に行き着く。

 農政ジャーナリストの大野和興さんは、著者を「差別的な百姓という言葉をポジティブに変えた男」と評している。耐える百姓ではなく、闘う百姓だけでもなく、変革し、創造する百姓。このような百姓は、食べる私たちとも合流し、私たちの暮らしの有り様にも変革を求める。事実、私の暮らす田舎と呼ばれる地域にも、希望の種を蒔く百姓が何人かいる。彼らは、農業を変えるだけではなく、社会を変えている。

 野党は、選挙で「変える」という中身を説明できなかった。国政を変えるのは単純ではない。同じように地域を変えるのも単純ではない。しかし、単純とは行かないが、地域は国政よりも身近にあり、人々が参加して地域を創造することが出来る。出来るというより、その責任があると言った方がより適切か。自分たちでできることから、より良くしていくしかないということだろう。こんな当たり前の結論でいかがとも思うが。

 堂々たる田舎へ!
 堂々たる日本へ!

ぜひ、お読み下さい。
厚かましくも拙本についての第2報です。

「七転八倒百姓記−地域を創るタスキ渡しー」(現代書館)

 1977年、百姓として生きようと、志を立てて村に帰ったのだけど、「学生運動をやっていた過激派」。こんな包囲網がすでに地域中にあふれていた。さらに百姓1年目から始まった「減反」を拒否したことで、「農協や行政に従わない男」、「多数に同調しない男」・・・生きづらいこんな空気に満ちていた。
 口笛を吹きながら、七転八倒・・。やがて近隣の農家や、地域の支持を受け、農薬の空中散布を中止に追い込み、そこから循環型まちづくりに漕ぎ出していく。 

「自分史」として書くならば、市井の一人でしかない私には始めからその資格はないし、出版する意味もない。
 私が百姓の七転八倒記を書けるとしたならば、農民であるかどうかを問わず、同じような孤軍奮闘の日々を送っている友人たちに、何らかの連帯のメッセージを伴ったものでなければならず、また同時に私の体験が少しでもその方々のお役に立てること。これがあって始めてその資格ができ、出版する意味もあるだろうと思ってきた。果たしてそのような一冊になれたかどうかは、今でもまだ心もとない。(本文あとがきより)
 
この本を、年齢を問わず同じ時代を「七転八倒」しながら生きている、まだ見ぬ仲間たちに。そして同じ世代の仲間たちにも心からの連帯の気持ちを込めて送りたい。特に同世代には「すでに一つの山を越えたし、七〇歳だから」という人もいるが、自分の生き方を決めるのは志と情熱であって、自然年齢ではない。そんなものに左右されてたまるもんか。対象は、よりひどくなって我らの前にその醜態をさらしている。
「帰(かへ)りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。」である。ともに参りましょうぞ!

菅野芳秀  山形県長井市寺泉1483
携 帯:090-4043-1315
メール:narube-tane@silk.ocn.ne.jp
どうにかここまでたどり着きました。
拙書のご案内です。
「七転八倒百姓記−地域を創るタスキ渡しー」(現代書館)2000円+税 

 病気になんか縁がないと思っていた私が倒れてしまったりして・・3年ほど病気と格闘し、周りに迷惑をかけまくりながら、ようやく書き上げた本です。でも、そんなことは本の良し悪しとは関係ありません。
 出版社よりありがたい内容紹介をいただきました。少し高いですが、お読みいただけたらありがたい。
 ご住所をお送りいただければ、私の方からも送料、税抜きの定価(2,000円)でお届けすることが出来ます。

内容紹介(出版社より)
著者は、長年にわたり農民として可能性に満ちた地域を守り、次世代に手渡すために、減反拒否、村ぐるみの減農薬運動、生ゴミと健康な作物が地域を循環するまちづくり等々に取り組んできた。
グローバリズムを背景に小さな農家が切り捨てられていく危機に直面しながら、地域自給圏の創出、都市と農村の豊かな連携に今も力を注ぐ。
アジア各国の農民リーダーと共に変革を生み出し、互いに学び合う関係を築いてきた著者のバイタリティーが、リズム感ある筆致から溢れ出す。
コメの大変な暴落が始まっている。
「原因は業務用を中心とした消費量の落ち込みと、今まで持越した在庫量とが重なって、市場価格を更に押し下げ、生産原価をはるかに下回る価格となっていること」(JA山形おきたま職員)。
それは、コメ作りの大規模化を進めて来た法人経営の農家にとっても、我々の様な家族経営農家にとっても、どの層の農家にとってもやって行けない価格となっている。
「これでまた離農者がたくさん出るだろうなぁ。」と先のJA職員は言う。
これまでもコメ価格の原価割れは長年続いていて、そのことが増え続ける離農者の原因になっていたが、今年の価格の落ち込みは更にひどい。
 「でも、なんで静かなんだ?農家の誰も大騒ぎしてないよな。」
「ええ。きっとみんな諦めているんだべな。それに農家だけが苦しいのではなく、商工業者などを含めてみんなが苦しいのは分かっているから・・。」
だからみんなが我慢しているのではないかと言う。
 その言葉に、かつて良く聞いた「ゆでガエルの話」を思い出した。水槽の中のカエルに、熱い湯を加えたら、びっくりして逃げ出すが、徐々に時間をかけて温めて行けば、ゆでガエルになるまで逃げだそうとしないというあの話。
 そのことは、すでに絶望している水田農家にのみ言える事ではなく、無権利状態におかれている都市の非正規労働者や、女性労働者などにも言えるのではないか。この両者に共通していることは、自分を取り巻く深刻な事態が、政治や社会の仕組みの問題としてではなく、自分の個人的な努力の足りなさ、力不足にあると思っていること。そう思い込み、自分を責め続けていることなのではないか。
 もしそうなら、それは違う。そう思わされているだけのことだ。それは政治や人為的に作られてきた社会の仕組みの結果なのであって、それらを変えれば境遇を変えることが出来る。未来を変えることが出来る。社会や経済の為の一つの駒の様な状態から、人の為の社会や経済の仕組みに替えていく。事は単純にそういう問題なのだ。
 求められていることは、「ゆでガエル」直前とも言える俺たちの様な人々が、農村と都市の枠組を越えて連携し、ともに生きて行ける、生き続けて行ける社会を求めて「世直し」の1歩を踏み出すこと。そのための声を共に上げていくこと。そこからだろう。黙っていたのでは殺される。
 農業の現場から追い立てられる(られた)農民と、労働の現場から追い立てられる(られた)労働者とがのっぴきならない暮らしを抱えて相互に助け合おうとする。同時に、共同の未来に向けて歩み出そうとする。そんな「貧民連合」を作れないか。
 夢かもしれないが、そんな構想を単なる絵空ごとで終わらせない知恵者はいないか?
 こんなプランを具体的に実現しようとする情熱の持ち主はいないか?
 私たちはまず、少数の友人たちと「コメと野菜でつながる百姓と市民の会」を立ち上げた。
 検索してみて下さい。
この8月14日に母親が102歳で亡くなった事で、連れ合いとの2人暮らしとなった。
隣に息子家族はいるが、基本は二人。
26歳で結婚してから今日までの40数年間、ずっと両親や家族との同居だったから、これは始めての経験だ。
「どうだ、これを機会にもう一度結婚しなおそうか?」
冗談を含んだ軽い気持ちでこう聞いた。
答は「考えさせてくれ」だった。えっ?想定外の答えに多少動揺し、よせばいいのに更に聞いた。
「いつ答えが出る?」
「年内かな・・」
なんでこうなるのか・・俺も思い当たることがない訳ではない。
千葉で教員生活していた妻が、そこを辞めて山形の農村家族の一員となって再スタートしたのだが、「男子厨房に入らず」という当時、ぼんやりとあった「封建的名残」に甘え、まだ現役だった母親の「邪魔だから向こうで待ってろ。男は台所の周りでウロチョロするもんじゃない」という言葉にも甘え、またその方が楽だからという事もあり、家事、炊事などを分かち合うという結婚前のかた〜い約束は反故にしてしまっていた。たまに替わることはあっても、ほとんど妻に頼りっきりだった。
あっ、これだな。今のところ、このこと以外に思い当たることはない。
台所に入らなかった原因は他にもあった。
俺の身長が190cmで、厨房の高さは全く俺向きでなく、中腰での台所作業は辛い。農作業で常に痛みがあった腰にはかなりの負担でもあり・・。あ、こんないい訳がダメなのか・・・。
「でも、どうして?」と更に突っつけば、二匹目の「ヘビ」がでて来そうで、当分、黙ってここで努力してみることにした。

友人の熊坂かよし君は山形県白鷹町のリンゴ専業生産農家です。
毎年、米沢市にある生活クラブ生協にリンゴを納めていましたが、この度、その生協職員からコロナ感染者が出たということで、リンゴが全て入庫停止となってしまいました。
リンゴに限らず、当分のあいだ生活クラブ本店からの仕入れ以外、地元の物は全て扱えないということだそうです。
 今年のリンゴは春先の遅霜によって大打撃を受けました。ようやく残ったリンゴに、今度はコロナです。
 彼は行き先を失った大量のリンゴに頭を抱えています。品種は「つがる」。
試食してみました。リンゴ特有の甘い香りと甘ずっぱさが口いっぱいに広がります。さわやかな秋。
 美味しい秋の前触れとしては充分にその役割を果たしています。いかがでしょうか?
価格;5kgで2,500円、10kgで5,000です。(送料別)
ご注文はFAX、携帯メール、郵便にて直に熊坂君に。
〒992-0779 山形県西置賜郡白鷹町大字簑和田1261―15
TEL・FAX0238−85−1021/携帯080−5564−4531
 熊坂嘉代司
です。どうぞよろしくお願いします。
どこまでも広がる濃緑の田園風景。点在する屋敷林,
散居集落。朝日連峰の雄大な青の山並・・・。
うっとりするような夏の風景が広がっている。ここで生まれ、ここで育ち、今もここで暮らしているのに・・朝といい、夕といい、しばし足を止めて眺めているほどだ。
 もう穂が出た。もう少しでこの風景に黄金の稔りの色が加わる。紅葉にはまだ早く、山々は濃緑と青の風景だけど、黄金色の田んぼとの取り合わせがまた美しい。稲の葉の緑がうっすらと加われば目を細めたくなるほどの眩さとなる。
 散居集落と山と田んぼの取り合わせは日本の原風景の一つ。この風景は遠くから足を延ばしてでも一見の価値がある。
うなぎ・・世界のウナギの70%を日本人が消費しているという。その陰で、古来生息してきた日本のウナギが絶滅危惧種になりつつある。でも国民の多くはこのことにはあまり関心がない。スーパーには外国産のウナギがあふれているからだ。
 古来「生息」してしてきた日本の家族農家が絶滅危惧種になりつつある。でも国民の多くはこのことにはあまり関心がない。スーパーには外国産の食料があふれているからだ。
今日のウナギが食えればいい。今日のコメが食えればいい。
おもしろい国だよ、日本は。
暑い日が続いている。 
夏と言えばセミ。今が盛りに鳴いている。ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ・・。暑さの中、彼らはますます元気だ。でもこれをうるさいとは思わないのはどうしてだろう。少なくてもそれらの鳴き声は暑さでイライラしがちな我々にとっても優しく響いていて、受け入れやすいものだ。決して攻撃的ではない。
「閑さや岩にしみいる蝉の声」
これは松尾芭蕉が1689年に出羽の国(山形市)の立石寺で詠んだ句だ。
その時のセミはニイニイゼミだと言われ、おそらくその日も盛んに鳴いていたと思われるが、それをやかましいとは思わずに「閑さや」としたのは、その俳人の心の在り方を物語っているのだろうが、セミの鳴き声には旅先の詩情を誘う、えもいわれぬ力があるように思える。
さて、同じセミでも山形や東北のモノとは全く異質な鳴き声を聞いたのは2年ほど前の夏のことだった。暑い京都の町を歩いていた時のこと。ガシガシガシガシ・・・。かなり大きな鳴き声が街中に響いている。これは何の鳴き声だ?えっ、セミ?これがセミか!まったく風情がなく、ただうるさいだけだ。ガシガシガシ・・それにまわりと協調せずにあたりを圧倒しようとする。
これを聞いて、「閑さや」とはどんな俳人の豊かな感受性をもってしてもならないだろう。
話は変わるが、京都は常に日本史の中心に君臨してきた。東北、羽前(山形県)などというのは、その京都に言わせれば蝦蟇(がま)の一字をもって「蝦夷(えぞ)」と蔑んできたように、人間の住むところとは考えていなかったようだ。歴代の京都の朝廷が送って来たのは征「夷」大将軍に象徴されるように、東北は攻めの対象、征伐の対象、征服の対象でしかなかった。侵略の末に彼らが奪っていったのは金、鉄などの鉱物資源に、馬、それに民人。強制的に連れて行って奴隷として使った。時には当時の中国に貢物として差し出したりしたという。それにもかかわらず一度たりとも東北、山形からは、京都に攻め入ったなどということはなく、幕末の会津藩のように、逆に京都を守ってやって悪者にされてしまうという貧乏くじばかり引かされてきた。
ガシガシガシガシ・・。この声の中にも、京都に共通する傲慢さを感じ、さらに不愉快になってしまうのは東北人としての俺の狭隘さのせいだろうか。 
 大正大学出版部 月刊「地域人」所収 拙文 抜粋
我が家では二回目のツバメが今にも巣立ちそうです。1回目は3羽が巣立って行きました。今回も同じぐらいの羽数かと思いますが刺激しないようにしていますので覗きません。
 先日、すでに電気を消して休んでいたら蛍が入ってきました。あの蛍は亡くなった○○さんかな。あの飛び方からすると○○かもしれない・・。部屋を舞う青い光の点滅を見ていると何やら幻想的な感じがしてきます。
ヒグラシが鳴きはじめました。アブラゼミ、ミンミンゼミも鳴いています。ツバメのさえずりにニワトリ達の声、沢から池に注ぐ流水の音・・重なる村人たちの生活の音。
この間、孫が学校から「熊が出始めたので・・」との注意書きをもらってきました。
ホタルにツバメにセミに熊。ニワトリがいて、タヌキがいて、キツネがいて・・村の夏はとても賑やかです。
<豚の角煮> 
梅雨に入り、暴雨こそありませんが、山形でも毎日が曇りか雨の日が続いています。それに、コロナに、無茶なオリンピック、雇止めへの不安や小粒になった国会議員たちの汚職がらみの政治・・と。鬱陶しさが増すばかりです。
 こんな時には酒でも飲んでフトンかぶって寝るのが一番なのでしょうが・・雑務に追い回されている身としてはそれもできません。
そこで・・と考えたのが、せめて夕方まで待って、日ごろ食べていない大好きなモノでも食べること。根が単純なんです。昨晩、まちの居酒屋から「豚の角煮」を買って来ました。小皿の上に並べてしばし眺めてみました。バラ肉が黒っぽく照っています。沖縄のラフティのように黒砂糖と泡盛を入れて煮込んでいるのかな。
ずいぶん久しぶりだが元気だったか?角煮は当然何も応えてはくれませんが、だけど返事の代わりにタマラナイ香りをあたり一面に放っています。箸を入れてみました。スッと入ります。柔らかい。そしていよいよ角煮を口に・・。たまらんですねぇ。口の中でゆっくりと溶けて行きます。それを味わいながら、グビッと酒を飲む。しばし続く至福の時間。口に運ぶほどに、飲むほどに肩のコリが取れていくような良い時、良い酒、いいツマミ。実際、あれやこれやの出来事はどうでも良くなっていったのです。

ずいぶん安上がりな男ですねぇ。志の低い男ですねぇ。小粒なんですねぇ。
南国タイの農民たちの話だ。俺は日本各地の仲間や、タイ、韓国、フィリッピンなどの農民たちと一緒に「アジア農民交流センター」を作っていて、農業を中心とした経験交流を行っている。立ち上げたのは1990年ごろからだから、かれこれ30年ほどになろうか。分けてもタイの東北部(イサーン)には幾度も訪れている。
そんな我々の事業に対して「タイの村に行って、何か参考になることってある?彼らの農業は遅れているだろう?」との反応が多い。確かに我々が行く村には日本のように圃場整備が行き届いている水田があるわけではない。水は雨期を利用して貯めた天水。田植えは、ほとんどが手植えで、稲刈りも人力だ。このように日本とは大きな違いがあるが、土を耕す同じ農民として考えさせられることは実に多い。
その一つが、「生きるための農業」と呼ばれているものだ。そう、生産性を上げて利益を増やす為の農業ではない。もちろん生きて行くためには利益も必要だが、それを他の何よりも優先させるということではなく、穏やかに暮らし行くことを目的とした農業。生きるための農業。生きていくための農業だ。
 背景には、農民たちが政府から奨励された輸出専門の換金作物生産によって借金まみれになってしまった現実があった。利益を目的に誘導され、破たんした農業があった。それまでの自給自足を中心とした農業には、貧しくはあっても借金苦はなかったという。
それを政府の方針で、自給中心型から換金を目的としたサトウキビだけ、あるいはキャッサバだけを作る輸出作物栽培に切り替えた。しかしその作物価格は国際市場の動向に左右され、浮き沈みが激しい。
また、それらの作物は土壌からの収奪性が高く、継続して栽培するには作物とセットになって奨励されていた高い化学肥料と農薬を使うしかなかった。作物が暴落しても経費は安くはならない。それまでの自給的暮らしと比べれば、とてもお金のかかる農業に変わってしまった。
やがて輸出作物が暴落し、借金だけが膨らんだ。農民たちは農業を捨て、出稼ぎに活路を見出さざるを得なくなっていく。イサーン農村は出稼ぎ労働者を多く生み出す地域となっていった。家族はバラバラになってバンコクへ、中東へ、トウキョウへ、ソウルへと出て行った。
 そんな中で、かろうじて残った農民から始まったのが「生きるための農業」である。当初、それは村の中の「変わり者」の農業だったという。変革者は必ず「変り者」として登場するのが世の常だが、「生きるための農業」は間違いなく少数者の農業だった。そこには生活を守ろうとする自給の為の様々な工夫があった。農地の真ん中に池がほられ、魚を飼う。台所の生ごみは細かく刻まれて魚たちに与えられた。池の周囲にはマンゴなどの果物が植えられ、木陰には小さな豚舎や鶏舎を建て、家畜を飼う。堆肥を作り、肥料も自給する。その外周には水をうまく活かして野菜畑を作る。いわば、自給と資源循環の農業である。農業と暮らしの操縦桿は再び、国際市場から農民の手に取り戻した。

 さて、日本である。自由主義市場経済の名のもとに、あくまでも「利益と効率」が中心で、水田や畜産、畑作の大規模化が半ば強引に進められ、たくさんの家族農業、小農の淘汰が行われている。経営の操縦桿は、大規模化が進めば進むほどに農家の手を離れ、機械、肥料、農薬関連の企業の手に移り、他方で健康や環境問題への不安が広がっている。この利益と効率のレースにはゴールはなく、勝者もいない。少なくとも身近なところには、それで幸せになった人はいない。ただ辛い日々が続くだけの毎日。
 近頃、農水省から「みどりの食料システム戦略」なるものが出されたが、遺伝子組み換え技術やゲノム編集などの上に農薬や化学肥料の削減などを接ぎ木しようとする訳の分からないものとなっている。
我々はいったいどこに向かおうとしているのか。自分たちで操縦桿を手にしたタイの農民のように、そろそろこの辺で立ち止まり、穏やかに暮らすことを目的とした農業、みんながともに生きて行けるための社会づくりに舵を切ってみたらどうだろうか。

今から60年ほど前のことになるが、母親はよくカレーを作ってくれた。それは俺たち兄妹にとって、とても楽しみなご馳走だった。小麦粉とカレーの粉を水で溶き、肉の代わりにクジラの白身。ニンジンやジャガイモ、ネギなどを加え煮込んでくれたもの。
夕方、遊びから帰ると、その香りが近所まで広がり、「あ、今日はカレーだ!」と、とても誇らしく、うれしかったことを覚えている。皿にご飯と香り豊かなカレーをかける。福神漬けなどのコジャレタものはなかったが、それがとってもおいしく、腹がはち切れるまで食べた。
それから随分時が経った。102歳になった母親は今も健在だ。何年か前に、子どもの頃に食べたカレーを再現してもらったことがあった。小麦粉にカレー粉、クジラに野菜は昔と一緒。出来上がった香りも、黄色の色合いも当時と同じ。
「よし!」とスプーンですくい口に運ぶ。ん? これがあの頃食べたカレーか? 味が淡白過ぎてコク感じられない。深みもない。まずくはないがおいしくもなかった。あんなに喜んだ味だったのに。母親には申し訳ないが、全く期待外れだった。
「お前たちはこのカレーをおいしい、おいしいと、いつも喜んで食べていたんだよ」と、母親は笑みを浮かべてはいたが、どこか淋し気だった。
なぜおいしく感じなかったのか?それは俺の味覚が変わり、昔の味では満足できなくなったからに違いない。今のカレーに感じるコクや深みは、カレーのルーの中に含まれている化学調味料の力なのだろう。母親が作った昔のカレーには、そうした調味料は全く含まれていなかった。
  
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