ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
TPPに反対する寄り合いが12月15,16日の両日、東京で行われ、以下のような呼びかけを発しました。ご紹介いたします。あなたもいかがですか?
TPP(環太平洋経済連携協定)というのをご存知ですか。まだ正体のよくわか らないこの妖怪がわたしたちに襲いかかろうとしています。 もともとは2006年に発効したニュージーランド、チリなど4カ国の小さなFTA (自由貿易協定)だったものが、新たにアメリカ、オーストラリアなど数カ国が 参加を表明したため「バスに乗り遅れるな」とばかり菅首相が飛びつき、財界や 大手マスコミが政府の尻を叩き、その賛否を巡っていまや大論争となっています。 それぞれの家庭にそれぞれの事情や都合があるように国や地域にとってもそれ は同じです。相手の立場に配慮して協議をすすめるのが貿易交渉ですが、TPP は例外なき自由化を強引に進めようとするものです。菅首相はこれに参加するこ とを、明治維新、敗戦に次ぐ「第三の開国」と述べました。 これが実行されたら、コメをはじめとして畑作物、乳製品から沖縄のサトウキビ までほとんどが輸入物に置き換わり、食料自給率は14%まで低下すると農水省は 試算しています。これは地域の崩壊を意味し、人が暮らし続けることができるバ ランスのとれた社会としての「日本」の終わりを意味します。 マスコミの一部は「牛丼が200円になる」とはしゃいでいますが、労働力も自由 化され、際限のない賃金水準まで下がりつづけ、安い牛丼すら食えなくなること を覚悟しておくべきでしょう。ワーキングプア、非正規社員はふえつづけ、農村 からの離村者なども含め、都市に失業者があふれることにもなりかねません。 いったい、誰のための自由化でしょうか。私たち農民はもとより、多くの人たち にとって、なんのメリットもありません。どうか、みなさん。この愚挙、この暴 挙を阻止するために、私たちと共に立ち上がってください。 2月26日に全国の百姓が東京に集まり声を挙げます。多くのみなさんの参加を呼 びかけます。 【日 時】 2011年2月26日(土)13時〜17時 【会 場】 東京都千代田区神田駿河台「明治大学リバティータワー2階1021教室」 最寄り駅:JR中央線・総武線、東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」下車徒歩3分 (地図)http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html 【参加費】 500円(予定) 【内 容】 参加者が3分間スピーチで語る。農民だけでなく、TPPやグローバリゼーション の影響を受ける人たちにも参加してもらい、様々な視点から発言してもらう。また、 グローバリゼーションとたたかう韓国農民をゲストとして招く。 座談会の後、街頭行動を行う。18時〜19時(キャンドルデモなどを予定) 【問合せ先】 事務局の市村まで(平和フォーラム事務局内) Tel:03(5289)8222 Fax:03(5289)8223 メール:ichimura@gensuikin.org 「TPPに反対する人々の運動」の動きはこちらをご覧下さい。 http://www.geocities.jp/yaoyahyakusho/muramachi/home.html ...もっと詳しく |
反TPPの「寄り合い」を呼びかけている。
“かねてご相談していた件(TPP)について、どう考えるか、何がもとめられているか、 どのような視点が必要か、どんなアクションをおこすべきか、それをいつするか・・。 などについて、寄り合いを持ちたいと思います。 それぞれの方は各県の農民に大きな影響力をお持ちの方々、お忙しいとは思いますが、ぜひともお集まりください。 まずは寄り会ってみようということですので、わきあいあい、ざっくばらんにやりたいと思います。 他にもご紹介したいという方がおりましたらメールを転送してください。 千葉の友人からは 「ただ一発やるだけのことはしたくない。どうせやるならば展望の伴ったものにしたい。 それが見つかれば命がけでしたい。」 との意見が寄せられています。 昨日、隣町の友人がやってきて 「俺が農業についてから三十数年たったけど、これほど危機感を持ったことはなかった。輸出したり、規模拡大したり、消費者と直につながったり・・とさまざまなことが言われているけど、それで何とかなるのは、稲作に限って言えば1%にもみたないだろう。あとの99%はやめるしかない。」 一昨日は別な友人がきて 「これまでも自然死への道だった。TPPやめてそこに戻ればいいというわけではない。反対と同時に何を創っていくかが問題だ。そこを議論しよう。」 またある友人は 「農、食を織り込んだこの国のかたちを議論する最後の機会だろう。」 さまざまな意見が出ています。 まず、寄り合いです。“ 単なるコブシをあげる反対運動にはしたくない。 個人的には,家族農業をそれ自体としてどう守るかというだけではなく、たとえば、農を志す都会の若者たち、市民、貧困層など、農を織り込んだ暮らしを実現したいと思う人々、自給的な生活を望む方々にも広く農地を解放するような仕組み。農民的土地所有(利用)から市民的土地所有(利用)への転換。望めばできる国民皆農への道作りなどを織り込みながら、単なる反対運動ではない、TPP反対運動を作り出したいと思っている。「環境」、「循環」、「健康」、「福祉」、「自給」の視点から新しい農(土)と人々の関係を築いていく。そんな思いを持ちながら意気揚々・・とまではいかないけれど、張り切っているよ。 第一回は20名ぐらいの参加と思っていたけど、30名を超えそうだ。今月の15日。場所は東京だ。 ...もっと詳しく |
お米が安い。
今年の生産者の売り渡し価格は1俵(玄米60kg)あたり9,000円で、ついに10,000円を切った。1972年(昭和47年)の米価が一俵9,030円だったから40年前の価格に戻ったことになる。ちなみに40年前の朝日新聞の一ヶ月の購読料はいかほどだったかといえば900円。それが今日では3,925円となっている。およそ4・36倍だ。それを米の価格にあてはめれば一俵あたり39,370円とならなければならない。それを9,000円で販売しているのだから、つらい。民主党の「戸別補償」を入れても10,500ほどにしかならない。 新聞がほぼ毎日のように書いてきた「日本の米は高い」。新聞にそんなこといえるか?今日、一ヶ月の新聞購読料が900円でやれますか?お前たちもそれをやってみたら、農家の気持ちがわかるだろう。それをやった上でなお、「日本の米が高い。」といえば話を聞こうじゃないか・・・なんてね、だんだんムカムカしてくるのですよ。 東北農政局の発表したお米一俵あたりの生産原価は昨年産(H21)で14,617円。これが通常栽培の原価だという。実際はもっとかかっているのが実感だが、ま、いい。今年も似たようなものだろう。それを9,000円で農協に売り渡たす。ちなみに生産資材は一切値下がりしてはいない。下がっているのは農家の売り渡し価格だけなのですよ。 水田とともに、数千年の歴史を刻んできた村はいま、少しづつ崩壊に向かっている。わが村の水田農家の平均年齢はおよそ67歳。日本の農家の平均年齢とほぼ一緒だ。後継者なんて育つわけがない。大規模経営の農家の方が立ち行かない。おそらく後3年ほどこの価格が続けば、都会に大きなスラムが生まれていくだろう。そう思っている。 我が家の米は無農薬にできるだけ近づけた栽培なので、当然リスクを負っている。春から秋まで決して気を抜けない。それを白米10kgで5,000円、玄米では4,600円で買い求めていただいている。そのおかげでようやく息子の家庭ともども暮らせているわけだけど、その価格は高いのだろうか。ごはん一杯が70gのお米から炊かれるというから、10kg5,000円の一杯の価格は35円ということになる。10kgあたり630円の送料がかかったとしても39円だ。二杯食べても78円。ペットボトル500mlの水の代金120円にもならない。 こんなことを書かずとも、我が農園のお米をとっていただいている方からの、高いという声は聞こえてこない。支えられているんですね。ありがたいことです。それでもさ、年々安くなっていくお米代金に囲まれていれば・・、「高いなぁ。」と思うようになってしまっても無理からぬこと。我が農園としましても申し訳ないなぁという気持ちになっていく。 でさ、息子と二人、来年は値下げしなければならないだろうなぁと話し合っているわけですが・・・我が家の米の話はさておき、問題はこの国。この先の食と農、この国のかたちはいったいどうなっていくのだろうということなのですよ。 ...もっと詳しく |
ちょっと前のはなしですが・・。 長井市報のレインボープランのコラム「虹の駅発希望行き」に一文をお寄せいただくようお願いしたところ、「仙台のコンサートのあと、長井によりましょう。見なければ書けないので。」とおっしゃり、市内のホテルで一泊したあと我が家で朝ごはんを食べてくれました。以前、私が鴨川自然王国の加藤さんのお宅に泊めていただき朝食をご馳走になったことがありましたので、せめて朝食は我が家でとなりました。目玉焼きと漬物の朝食を「おいしい」と言ってくれましたよ。もっとも家の住人を前にしてそれ以外、言いようがないでしょうが。 彼女は「満州」からの引揚者。同じ引揚者の91歳の母は加藤さんの母親世代で、ほとんど加藤さんを独占し、当時の話に盛り上がっていました。本当にざっくばらんで気さくな方でした。 ☆ その時の加藤さんのお誘いで10月17日、稲刈りの最中でしたが東京日比谷公園で行われた「土と平和の祭典」に行ってきました。あの広い日比谷公園一帯に農作物の直売所、出店、コンサート、トークショウなどが行われており、ごった返すほどの人だかりでした。そこで10分間ほどいただいて、マイクを持たせてもらいました。 ここは日比谷公園。そして人だかり。マイクをもった俺。思わず40数年前にタイムスリップしましたよ。だんだん声の調子が若いころのように変わっていくのがわかるのです。まさか「われわれはぁ・・」などとはいいませんでしたが。終わった後、埼玉県小川町の金子美登さんや生協のパルシステムで理事長をしている若森君、ジャーナリストの小野田さんたちと地ビールを楽しんできました。写真の左の方は、菅野が話すならば・・・と、地元長井から駆けつけてくれたレインボープラン初代会長の横山太吉さん。ありがたいですねぇ。 それにしても加藤登紀子さんはよくやりますねぇ。 「土と平和の祭典」は娘さんで、半農半歌手の藤本やえさんと一緒にやられているのですが、もちろん多くの農業関連団体の支援をもらいながらとはいえ、都心に4万〜5万の老若男女を集めて、農の大切さ、農業の現状を正面から訴えられていた。 鴨川では、自らも農を担うだけでなく、新規就農者を応援する鴨川自然王国 「里山帰農塾」を主催してもいる。きっと、歌手としての活動の収入のかなりの割合を、それら農を起こそうとする資金として使われているに違いない。彼女と話していると、農業に対する豊富な知識におどろく。我が家へ向かう道すがら、話してくれた宮崎の牛たちをめぐる解説の切れ味には、俺もうんと勉強になった。 がんばらなければ・・・な。 来年は俺が稲を刈り、息子を日比谷公園にやろう。 あっ、そうそう、息子の春平は、明日から行われる国際有機農業映画祭の実行委員として、今朝(11月26日)、東京にむけ出発しました。 その映画祭の日程を下にあげておきます。 ぜひ、時間をつくれる方は出かけてみてください。 日時;2010年11月27日(土)9:30〜20:20(9:00開場) 会場;国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟大ホール 参加費;一般 2,000円、若者 1,500円(25歳以下の証明書が必要) また、今日はプレイベントがあるみたいなんですよ。 近くなら・・ね、行くんだけどもなぁ。 下に書いておきます。これも行ける方は行って見てください。 前日企画「1%を選択した人々」(上映会+交流会) 日時:11月26日(金)18:00~21:00(開場17:30) 会場:国立オリンピック記念青少年総合センター・センター棟402号室 上映作品:『ビヨンドオーガニック』(米国)、『未来を見つめる農場』(日本) ゲスト:林重孝さん(佐倉市)、窪川典子さん(佐久市) 料金:無料(空席あり) ...もっと詳しく |
秋の空は変わりやすい。 裏日本の気候は特にそうだ。午前中は晴れていたと思ったら、午後には曇りとなり雨が落ちてくる。 困るのは外に干している洗濯物や布団。へたすると間に合わずに雨にあててしまうことになる。秋に入ればこんなことはいつものことだ。 さて、昔からこのように移ろいやすい秋の天気を、これまた変わりやすい男心にたとえ「男心と秋の空」といってきた。近年『女心と秋の空』などと言われたりもするが、たとえの始まりは「男心」の方がであって、「女心」ではない。開いたことはないが、広辞苑などにもそのように掲載されているらしい。 ちょっと前になるけれど、我が家に東京から男4名、女4名の8人の友人が訪ねて来たことがあった。それぞれが社会運動に何らかの形でかかわっている人たちだ。全員理屈はたつ。 秋の空はそもそも「男心」か「女心」か・・・このことをめぐって議論になった。「男心」と言ったのは俺一人で、あとは全員「女心」。シャンソンから、あるいは東西の詩から・・、あれやこれやと「女心」であることの理屈を並べる。頭でっかちの世間知らずが!! 男と女ではことにあたっての腹のすえ方が違うんだよ。ちょこっと世の中を見渡してみても、女のほうが「決意」を育てながら人生を送っていることが分かる。どんなに屁理屈を並べようと移ろいやすいのは「男心」であることに変わりはないべ。 「そうか、それじゃお酒一升を賭けよう。負けたほうが勝ったほうにお酒を一本送るんだ。」 一対八の勝負。みんなで調べてみた。その結果は・・・やっぱり俺の勝ち。「男心」だった。ざまぁ見ろ。いっぱいの理屈をこねたあとだけに、彼らの落ち込みは大きかった。源氏の若旦那の例を持ち出すまでもなく、男なんて・・・なっ。まぁ、彼らにはいい薬になっただろう。八人全員が俺にお酒を送ることを約束して帰っていった。 後日、お酒が届いたのは女からだった。女の全員がそれぞれにお酒を送ってくれた。でもな、男からは一本も・・一人も送って来なかったよ。 やっぱりな・・・、ここでもまた証明された。ほんに移ろいやすいは「男心」だ。どうしようもないね。 社会運動でも政治運動でも、俺はもう女しか信じないな。男はだめだ! (写真は我が家の後ろにそびえる朝日連峰。11月の初雪。半分が紅葉初期、半分が雪だ。よく見られる秋の光景。写真はダブルクリックで拡大します) ...もっと詳しく |
いま、田んぼに出ている人はいません。水田はひっそりとしています。そんな中、春先の作業の一部を秋のうちにやっておこうと、息子の春平は田んぼで一人、鶏糞散布を行っています。
土が健康であることが作物の充実の絶対条件であると、あくまで土にこだわる我が家の田んぼには、化学肥料ではなくレインボープラン堆肥と鶏糞の二種類を撒いてきました。 春は一年中で最も忙しい季節です。 二種類の堆肥を撒く。 それにはそれなりの時間と労力がかかるのですが、だからといって我が家の田んぼだけが特別にまわりの農家の作業から遅れていい訳ではありません。水の活用が共同であるために、田んぼに水を引く時期をあわせなければならないからです。 まわりの農家が水を引き入れる前に肥料の散布から耕運まで終わらせていなければならず、とはいっても限られた労力、どうしても遅れがちになっていたんですね。その上最近、田植えしながらぱらぱらと苗の側に化学肥料を落としていく機械が普及するようになってから、その時期がさらに早くなってきていまして、いっそう苦しくなっていたんです。 何とか方法がないだろうか・・。とった方法の一つは鶏糞散布機を購入したことです。トラクターにくっつける機械を友人と共同で買いました。これまでは運搬機に鶏糞を摘んで田んぼの中をスコップで撒いていくやり方でした。それを機械にしたことでずいぶん時間を短縮できましたし、身体も楽になりました。とった方法のもう一つは、秋のうちに一種類だけでも撒いておこうということです。そこには心配なことがありました。堆肥の成分が雪解けと一緒に流れてしまわないかということです。昨年から今年にかけて実験してみた結果・・・大丈夫でした。問題なく成果を挙げることができました。それで、今年は本格的にやってみようとなったわけですね。 「男ごころと秋の空」といいます。秋は天気が安定しません。 少ない晴れの日を利用して、せっせと鶏糞散布に精をだしています。 ...もっと詳しく |
800haの田んぼを前に立小便をする。
放出しながら、稲刈りが終わったあとの広大な水田風景を見わたす。横たわる朝日連峰を眺める。田んぼを渡る風はほのかにわらの香りを運ぶ。薄くなってきた頭髪がさわやかに揺れる。山々は少しずつ赤みをまし、天は高く、心地いいことこの上ない。 山での、畑での、野原での、もちろん便所での・・・いろんな放尿があるけれど、やっぱり田んぼのこれが一番いい。タヌキやカモシカなどと一緒。いのちが満ちる母なる大地を通して食と排泄の滑らかな循環がめぐっている。でも、こんな理屈いらないね。理屈抜きで大好きだ。 かつて娘が小学生のころ、「お父さん、外でおしっこしないでね。今日、学校で先生が、西根は遅れている。立小便している人がいるからっていってた。恥ずかしかったよ。」 西根というのは娘の通う学区で長井市のなかでも農村部だ。もちろん誇りある俺たちの村。そばにいた妻も「そうだ、そうだ」という。 な、な、なにおぉぉ!オレのおしっこ、誰かに迷惑をかけたか?ここは都会のアスファルトの上じゃない。田畑に吸い込まれ、土の養分となって草や作物に活かされていくだけじゃないか。自然のめぐりだ。それだけじゃないか。 お前達だって立ち小便すればいいんだ。オレが子どものころには、ばあちゃん達はみんなやってたぞ。女の立ち小便はガキの俺達から見たってなんの違和感もなかった。普通の光景だった。 あのな、この際だからいうけどな。お前達の自覚の無さゆえ、あるいは都会の文化に無批判に迎合する浅薄さゆえ、今まさに大事なものが消え失せようとしているんだ。なにをかって?女たちの立小便にかかわる文化だ。方法や作法だ。あのな、それは、はるか縄文の大昔から、ついこの間まで、母から娘に、娘から孫へと、ずうーっと受け継がれて来たはずだ。腰の曲げ方、尻の突き出し方、両足の広げぐあい、隠し方など・・・。その歴史的文化が、まさにいま、ここで潰えようとしている。いまやそれを知る人は80代以上の女性、それもほとんど田舎の女性のみとなっている。やがて彼女らがいなくなったら、知っている人は日本列島から完全に消えてしまうだろう。どのようにその文化を伝承していけばいいのか。それを考えたら夜も眠れない。 オレは男だからしょうがないけれど、お前達のなかに、我こそは・・・という志をもった人間はいないのか!その復権を!という人間はいないのか! 循環の時代だというのに! 話の途中から、妻娘はいなくなっていたが、まぁ、失ったものの大きさに、あとで 後悔するだろうさ。残念だが、せめて銅像でもたてて、その最中の姿、形を後世に残したいものだと思っている。俺間違っていっか?どんなもんだべ? 写真は・・・載せられないよなぁ。 ...もっと詳しく |
驚きましたねぇ。
熊ですよ、熊。 学校にガラスを割って入り込んできたなんて。 いままで聞いたこともない。 山から2km以上はなれた町の側にある中学校だよ。 まちの中にも入った形跡もあるらしい。 おなじ日の朝、近くのりんご農家に電話したら、 「熊が罠にかかった。80kgぐらいの熊だ。」 えっ、何時の話しだ? 「たったいまよ。目の前にいるんだ。ほら聞こえないかな、この音。」 えぇぇーっ、そんな・・。 地元の新聞社に電話したら、あなたで4件目だという。 それぞれ違う熊か? あっちでも、こっちでも熊が出てきた話で持ちきりだ。 市の広報車が熊への注意を呼びかけて走る。 警察の車も。 そんな中にいると、今にも目の前をスーッと奴らが歩いていくような錯覚に襲われる。 何でこんなにたくさんの熊がでてきたのかといえば、山のナラ枯れも一つの原因だろう。朝日連峰の山々のナラの木が一面枯れ始めているのだ。 枯れたナラの木々で、夏なのに山が紅葉で彩られているように見えたぐらいだった。決して大げさではなくさ。 その原因はナラの木の根元に侵入する虫にあるらしいのだが、ここ1〜2年の間に一挙に広がったのは、気候変動などのせいもあるに違いない。 その結果として山にドングリの実がなくなった。 熊は冬を前にしてたくさんの食べ物を取り込む必要があるのだが、それがない。そして、里へ、町中へということだろう。 腹をすかした熊はどう猛になる。 これからは夜中にニワトリが鳴いてもうっかり外にはでれないね。 タヌキやキツネの類ではないかもしれないからだ。 危なくってしょうがない。 オレはそんな空気の中に、食料不足になったときの人間を思っていた。その原因はナラ枯れならぬ、農の崩壊とそこからくる国の破綻。 腹をすかした人間はどう猛になる。 熊以上におっかない人間が、熊以上の数で徘徊するようになるだろうな。 ここのところ、この話も妙に現実味を帯びてきていて、おっかない。 写真は長井の町の遠景。熊がすむ小高い麓から町を眺める。 ダブルクリックで大きな写真になります。 ...もっと詳しく |
暑い夏から一転して雨続きの秋。田んぼがぬかるみ、稲刈り作業が思うように進まない。それでも何とかコンバインが稼動できる圃場はあるのだが、中には全く入れないところもある。写真の田んぼは地下水が高く、雨が続けばすぐにぬかるんでしまう。おまけに稲が倒れていて、無理に入ればキャタピラーの押し出す泥で隣の稲が埋まってしまうのだ。こんな田んぼが4枚、あわせて75a(75m×100m)もある。 というわけで稲刈りを一時中断し、息子と二人で田んぼのなかに排水のホリを掘る作業を続けた。例年ならばこうなることを予想して、8月の早い時期に掘るのだがあの天気、今年はいらないだろうと思っていた。事実、圃場は乾き、中を歩いてもくるぶしより下に沈むことがなかった。ところが一転して雨が続き、歩けばズブズブと30cmは沈んでしまう。読みが甘かった。仕方がない。ぬかるんだ田んぼに足を取られながら、稲を掻き分けホリを掘っていく。一枚の田んぼの特にぬかるみの強いところから排水路まで「U」字型のホリを何本も掘っていく。腰の痛む仕事だ。 あぁあ、夏のお天気の何分の一でもいいから、この圃場に分けてくれないだろうか。乾かないと作業にはいれない。 ま、こんなことをですね。情けなく繰り返し思いながらですね。泥まみれになっての作業をやらざるを得なかったわけですよ。 少しましになった田んぼから順に刈り進んでいく。写真の田んぼは一方からしか刈れなかった田んぼ。 稲刈り終わったなら、温泉に湯治に行くべ。 ...もっと詳しく |
毎日が雨、稲刈りができずに待機の日々が続いています。うるち米の田んぼはいいのですがもち米の方が問題。倒れてしまっているところが多く、その穂から芽が出てきたところもあります。
コンバインは倒れている稲でも刈ることができますが、隣の稲をキャタピラの押し出す泥で埋めながら進んでいきます。これでは動けません。田んぼに堀をほって排水につとめ、土壌が乾いて固まるのを待つしかありません。 あ〜あぁ・・、夏の天気がうらめしい。あの一部でもこの秋に分けてくれたらなぁ。東京では今でも夏日が続いているという。我が田んぼにそのカケラでも持ってこれないか。 そんなわけで、家の中でたまった実務仕事をしていたところ、思い出したのですねぇ。飼い犬のモコにまつわるおもしろい出来事を。それをご紹介いたしましょう。憂鬱な日々には楽しい話を。これに尽きますね。 <以下> 我が家にはモコという飼い犬がいます。中型犬でオスです。モコは気立てのいいこと、器量のいいことでは近所の評判です。ある晩、モコは鎖がとれて、月夜の村に散歩に出かけました。そして・・・出会ったのです。一夜限りではありましたが・・・妻となるべき運命の方に。朝までその方と一緒に過ごしました。それは人生で一番ステキな夜だったといいます。その当然の結果というべきか・・六匹の子どもが授かりました。オスもメスもいます。 人間たちは生まれたばかりの子犬たちを前に 「川に流してしまうべぇ。」、「どこに捨ててくる?」 などと無慈悲な言葉を投げかけています。 どなたか子犬を引き取ってくれる方はいないのだろうか?幸せな出会いから産まれた子犬、きっともらっていただける方にも幸せの波動が届けられるにちがいありません。散歩のお供に。日々の暮らしの同伴者に。あなたの暮らしにもう一つのメロディが奏でられるでしょう。モコも言います。 「太古の昔から、私ども犬はあなたたち人間のよき同伴者でした。あなたのそばに私の子がいることで、あなたを幸せにこそすれ、絶対に不幸にはいたしません。もらっていただけませんか?あなたのご連絡をおまちいたしております。」 こんなことを書いて、およそ200軒の方々に配りました。そしたらさっそく反応がありまして6匹の子犬はそれぞれの家庭に引き取られていきました。だけどその後も「子犬はまだいますか?」という問い合わせが続きました。なぜだい?自慢じゃないが、堂々たる雑種だよ。その疑問に業界に詳しい獣医の友人が応えてくれました。 「雑種の犬はいまや貴重価値なんだよ。血統書を持つ犬はペットショップで取引されるからビジネスとして繁殖されるけど、雑種犬はそうはいかない。でもビジネス以外の繁殖の道ってあるかい?鎖につながれているだろう。だから自然繁殖の道はない。異性との出会いもままならず、減少の一途をたどっているというわけさ。中には雑種の犬が欲しいという人もけっこういて問い合わせが来るんだが肝心のその子犬が見つからないんだよ。」 我が家のモコの場合は鎖を解いて散歩に出かけた結果として子どもができたけど、それがなければ、子を持つことなく終わってしまったわけで、多くの雑種はその運命にあったわけですね。それを知って少し複雑な気分になりましたよ。 ほとぼりが冷めた頃、知らぬ振りしてまたモコを放してやろっと。村の犬は放し飼いが一番だよ。 ま、こんな話なんですが、憂鬱が晴れるほどのこともなかったですね。あ〜ぁ。 ...もっと詳しく |
copyright/kakinotane
下の文章は、あるところに載せようとして書いたものですが、あまりに回りくどい文章になってしまったので“ボツ”にしたものです。また、土に対する俺の考え方なんて、ここ十年は同じで今まで書いてきたものの焼き直しにならざるを得ないけど、ま、いいよね。
<以下>
TPPについてはすでに多くの視点から論じられている。私はここで、同じことを繰り返すよりも、その方々の論を踏まえながら、主に土に限定して書きたいと思う。 長年、百姓してきてつくづく思うことは、「土はいのちのみなもと」ということだ。土を喰う。そう、私たちはお米や野菜を食べながら、それらの味と香りにのせてその育った所の土を喰っている。私たちはさながら土の化身だ。もしその土が汚れた土ならば作物も汚れ、食べる私達も汚れていく。もしその土が疲弊した土ならば作物のもつ生命力は弱く、それを食べる私達の生命力、免疫力も弱くならざるを得ない。「土はいのちのみなもと」なのだ。
多くの農民にとっては今さらということなのだろうが。
作物は言うまでもなく土の産物であり、その育った場所の土の影響を全面的に受け、その汚れはそのまま作物の汚れにつながっていかざるを得ない。山形県でキュウリの中からおよそ40年前に使用禁止となった農薬の成分が出て問題になったことがあった。40年経っても土の中に分解されずにあったのだろう。そこにキュウリの苗が植えられ、実がつき、ふくらんで汚染されたキュウリができてしまった。隣の市ではかつてお米からカドニュウムがでたこともあった。
つまり、作物は土から養分や水分だけでなく、化学物質から重金属まで、いい物、悪い物を問わずさまざまなものを吸い込み、実や茎や葉に蓄えるということだ。それらは洗ったって、皮をむいたってどうなるものではない。何しろ身ぐるみ、丸ごと溶け込んでいるのだから始末が悪い。土の汚染はそのまま食べる者の汚染につながっていく。
一方、土の力の衰えは作物を通して食べる者の生命力免疫力に影響を与えていく。
作物の中のビタミンやミネラルなどの養分をみてみよう。「食品成分表」(女子栄養大学出版部)によって1954年と、約50年後の2000年のピーマンを比較すると、100gあたりに含まれるビタミンAの含有量は600単位から33単位へとほぼ1/18に激減している。ビタミンB1も0,1mgから0,03mgに。その他のビタミンも軒並み1/2、1/3とその成分値を下げているのだ。これはピーマンに限ったことではなく、全ての作物にあてはまることであり、また、ミネラルにも同じことが言える。
原因は何か。それは土の力の減退にある。1954年まではほぼ堆肥だけで作物を作っていた。だが、60年代に入って堆肥から化学肥料へと農法を変え、効率と増産による最大利益を追い求めて来た結果、土の力が衰え、作物の質が落ちて行ったということだ。ビタミンAを言えば昔の一個が今の18個に匹敵するが、だからといって子どもたちに18個を食えとはいえない。彼らは50年前と比べ、数分の一に成分値が下がった作物を取り入れながら、骨や肉、血液を作らざるをえないのだ。子どもを取り巻く基礎的食料の質の劣化。このことが子どもたちの生命力や精神力に少なからざる影響を与えていると言わざるを得ない。
土の健康は即、人間の健康に結びつく。食を問うなら土から問え。いのちを語るなら土から語れ。健康を願うなら土から正そう。生きて行くおおもとに土がある。そういうことだ。
土を食べ、土に依存することによって生きる。このことは我々のみならず、100年後の人たちにとっても、200年後の人たちにとってもかわらない。土は世代を越えたいのちの資源なのだ。政治や行政の最大の課題が、人々の健康、すなわちいのちを守ることであるとすれば、そのいのちを支える土の健康を守ることは第一級の政治課題でなければならない。切実にそう思う。
さて、そこでTPPだ。
農水省の調査によるとTPPに参加すれば、食料自給率が14%まで下がるという。86%は諸外国の作物だ。それらの作物を食べながらさまざまな国々の土を食べることになる。その土が食べてもいいほどに安全かどうかは誰も知らない。汚染度合いも疲弊度合いもわからない。国民の健康で安心な暮らしが量的のみならず、質的にも危機にさらされる。
海外から押し寄せる作物の安さに引きずられ、国内の農業はより一層、農薬、化学肥料に傾斜したものにならざるをえないだろう。土からの収奪と土の使い捨て。未来の世代にはぼろぼろになった土しか渡せない。そんな農業、そのような「国づくり」が進行していくのだ。それを民主党は「新成長戦略」という。でも、それがどのような意味で「成長」なのだろうか。
そのような「成長」路線から離れ、未来の世代を脅かすことのない、土を始めとした、いのちの資源を基礎とする「循環型社会」づくりを通して、新しい人間社会のモデルを広くアジアに、世界に示していくことこそが日本の進むべき道ではないかと思うのだ。
...もっと詳しく