松山先生の告別式

昨夜は1人だけ。前、新潟にいたお客様。今は名古屋へいた人が1年ぶりの御来店。彼は今は加工とスリランカの食材を扱っている店をやってるそうだ。いろいろ話は弾んだが、こっちは明日のことが心配でなので・・・

ともかく早めに帰り、11時10分にはねた。12時10分目が覚め、次は1時10分、2時20分、そして3時15分におきた。フロヘ入り頭をそり、アパートへ出たのはうちの時計で5時20分、そして駅には正確な時計で5時25分に着いた。アパートの時計はいくら進んでるのだろう。3つ時計あるが全部進んでる。

山形駅は停電だというので切符は買えずそのままのりこみ米沢までは寝てたが、あとはおきてジャイの日の料理の訳をしてた。

幡ヶ谷から歩いて行く途中で道を聞いた人が松山さんの小学校からの同級生だった。

いろいろ思い出を語りあいながら会場へ着くとうなぎが来てシモンさんがいるよとシモンちゃんの隣りの席へ。同級生の方もその隣り、うえまつようこさん。

皆んな松山さんが大好きで松山さんを尊敬している人ばっかりなので気持ちのいい式がとりおこなわれた。

火葬、そして場所を変えての打ち上げも参加し、7時12分の新幹線で帰り、店へ着いたら、ヘロヘロ、クタクタ。

明日の用意を少しし、アパートへ。帰ったら12時半。アンプル剤をのみ、今日は早寝。あんまり松山さんの思い出はありすぎるので・・・葬儀委員長の蒼一郎に感謝。

うなぎに言われた。
過去の記事でアツミ半島をアマミ大島と間違ってたという話。多田君に訂正しといた。うなぎごめん。私の字がきたなかったので多田君が読めず間違ったんだろう。

我が師 松山俊太郎4
http://samidare.jp/jay/note?p=log&lid=233869