我が師 松山俊太郎5

松山さんの家計は
加賀藩の御典医として、
次の人は俳人で、又次の人は御典医と、
そして俳人と続くそうだ。

松山さんの両親も医者で
母方のおじさんも有名な医者でした。

松山さんは昔愛国少年だったので、
鬼畜米英が本土に来たら
缶爆弾でやっつけてやろう
というので作ったが、来た人は
いい人達だったので、雷管を
はずすつもりが失敗して
自分の左手と右手の親指がふっとんでしまった。

それでも東大の空手部の三段だ。
(東大というより明治大に修行してたとのことだ)

そんな松山さんが
大好きでいつも一緒に
連れ立って飲んだものだ。

そしていつも酔うと二人で
ロリンの157(?)とスピリタス
(97度のウォッカ)のどっちが
うまいかといいあらそいになる。

もちろんロリンコは松山さん、私はスピリタス。