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252 『死刑でいいです』

  • 252 『死刑でいいです』

孤立が生んだ二つの殺人

池谷孝司:編著 (新潮文庫 2013年5月1日発行)

 

2009年7月に25歳で死刑執行された山地悠紀夫。

2005年11月、22歳の時に大阪で若い姉妹を惨殺し逮捕されたのが死刑判決を受けることに到った罪。

2000年7月、16歳の山地は母親を殺害し、その後、少年院で矯正教育を受けて、2003年10月に20歳で社会に戻っていた。

 

母親を殺害し、その五年後にまったく関わりのない姉妹が殺害されてしまった。

姉妹殺害を防ぐことはできなかったのであろうか、著者のルポルタージュはそこから始まっている。

 

「孤立が生んだ二つの殺人」という副題が付いている。

この山地の殺人事件については、この本人の社会的な「孤立」がキーワードになるということなのだろう。

 

第一の殺人は、実の母の惨殺である。

父は働きがよくなく、酒癖がわるく家庭内での暴力もあり、その父親は小学生の時に病死してしまう。

なのに、なぜ母親を殺してしまったのか。

このあたりを、親の親族や子ども時代の同級生などからの取材で様子が見えてくる。

家庭経済の貧困、母親の愛情表現の乏しさ、山地本人の性格というのか個性というべきか、そういった生活環境や社会との関わり方は、普通とは言えないものかもしれない。

けれども、彼と同様或いは同等の環境にある子どもは、全くいないとは思われず、そこに加わる要素の一つとして、ある種の発達障害ではないかということ。

実際に、犯行後にそれを調べるテストも受けている。その発達障害が発行の直接の原因ではないのであろうが、そのことによって学校や社会の中で人間関係を上手く作ることができないで孤立するということはあるのではなかろうか。

 

自ら母親を殺めたことによって、一人っ子の山地はさらに孤立することになってしまった。

 

少年院を出た後、彼には戻るところが無いのだ。

こういった矯正教育を受け、社会に戻るについては、システムとしては受け入れ先はあるのだろうけれど、実際には彼にとってよい落ち着き先が無かった、ということになるのだろう。

結局、彼が比較的心を許していた父の仕事の関わりのあった人のところに行くのだけれど、その人が非合法な仕事をしている人であった、そのことが結局第二の殺人へ導く結果になってしまっている。

ここを別な形で社会に出たならば、惨殺殺人は起きなかった、などと断言できるものではないのだが、少なくともたった2年でほとんど彼と面識のない姉妹が殺されと言うことはなかったのではないか。

 

判決確定後、わずか3年余りで、なぜ姉妹を殺めなければならなかったのかという真相が語られることなく、被害者への贖罪の言葉はおろか反省の言葉も無いまま死刑になった。

 

表題の「死刑でいいです」というのは「さっさと死刑にしてくれ」という彼の言葉の一つ。

「どうせ生まれてこなければよかった」という言葉も吐いているそうなのだが、こっちの方がまだ人間のこころが感じられるような気がする。

母を殺めたことについても、反省の言葉はなかったという。というよりも、反省という概念が欠落しているのではないかとも思われる。

 

第二の殺人後、彼が当時に正当な判断が可能な精神状態であったのかどうかという精神鑑定が行われている。

姉妹殺人事件に関して言えば、発達障害ではなく人格障害という、刑事責任能力ありという鑑定が出され、死刑が求刑されることになった。

 

はたして、これでよかったのだろうか。

被害者側としては、一刻も早く極刑に処するようにと、嘆願書を出している。

普通に考えれば当たり前であろう。

 

ただし、この事件に関して、本当に死刑にしてしまえばよかったのであろうか。

もっと時間をかけて、発達障害との関わりや、構成システムのチェックというようなことがあってもよかったのではなかろうか。

そんな気がしてならない。

 

 

 

2013.12.27:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

251 『メトロポリス』

  • 251 『メトロポリス』

手塚治虫 (角川文庫  1995年2月25日発行)

手塚治虫 初期傑作集

 

表題作の『メトロポリス』と『不思議旅行記』の2作が掲載されている、漫画文庫。

メトロポリスは1949年(昭和24年)、不思議旅行記は1950年(昭和25年)に発表されている作品。

メトロポリスは、太陽の大黒天が発する放射線の影響によって誕生した(誕生させた)人造人間ミッチィと、その超能力を使って陰謀を企む秘密結社とそれと戦うケン少年とヒゲオヤジ。

そのラストは、太陽の大黒天の消滅とともに、細胞が失われ死んでゆく(消えてゆく)ミッチィを見送ることになる。

ラストにこんなメッセージ

「おそらく いつかは人間も発達しすぎた科学のために かえって 自分を滅ぼして しまうのではないだろうか?」

手塚治虫は60年以上前にこんなメッセージを発していたのだ。

 

 

2013.12.17:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

250 『下ネタの品格』

  • 250 『下ネタの品格』

文藝春秋:編  (文藝春秋  2013年11月10日発行)

 

さてさて、下ネタであります。

といっても、古今東西の下事情に精通した作家や学者による、下ネタ披露ですからね。

 

どこに行っても、ちょっとした下ネタは人との会話を楽しくさせ、打ち融けさせるものです。

でもね、これもなかなか品がないのとあるのもありますし、心地よいのと辟易するのもあったり、なかなか難しいものです。

自分は、仕事柄、場所をわきまえなければならないのですが、時々おもわぬ下ネタに苦笑いしたり、ほのぼのしたりすることがあります。

 

けっこう好きなのはこんなの。

お宅にうかがって、その家の品の好い60代の奥さまと四方山話をしていたのでした。

旦那の服装の話しをしていたら、「あのズボンの、社会の窓・・・」というところで、なんとその方は「あのズボンの、ち○んち○こ穴・・・」と発せられたのでした。

とても普通におっしゃたので、笑いも突っ込みでみませんでしたが、その物腰と話し方からは全く予想外の言葉でございました。

その後、その方と旦那さんとお会いする度に、思い出して一人で笑っています。

 

この本の話題は、これよりはるかに大人の話題で生々しいですねぇ。

 

2013.12.12:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

249 『9条どうでしょう』

  • 249 『9条どうでしょう』

内田 樹、小田嶋隆、平川克美、町山智浩 (ちくま文庫  2012年10月10日発行)

 

 

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希

 求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、

 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保

 持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 

まずは、この条文を味わってみなければならないだろう。

そして、太平洋戦争後、65年以上この国において、戦火を交えることはなかったことも忘れてはいけないし、今後、私たちの子どもたちにも、戦禍を味あわせたくはないのである。

ただ、自らの護身法として自衛隊を持つのは、ぎりぎりのラインではなかろうか。

 

右とか左とかということでもなく、人の命を奪う戦いをしない、という誓いを立てるのは、けして腰抜けとか弱腰というものではないと思うのだ。

 

2013.12.03:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

248 『流星ひとつ』

  • 248 『流星ひとつ』

沢木耕太郎:著 (新潮社  2013年10月10日発行)

 

今年の夏、8月に自殺した 藤圭子のインタビューによるノンフィクション。

そのニュースをテレビやネットで知った。

そして、享年62歳という年齢に、あぁ自分とそんなに近い人だったんだなぁと、感じた。

彼女が歌手デビューし、テレビの歌謡番組によく出ていた頃は、私は小学生から中学生ぐらいだったのだろう。

その時代、アイドル3人娘として突出していた 天地真理・小柳ルミ子・南沙織の存在があった(年齢がばれてしまいますね)。

藤圭子は、じつはその彼女らとほぼ同年代。

シンシアがやや若干若いかもしれない、という程度。

 

当時、藤圭子が同年代だとはまったく感じなかった。

演歌というジャンルの違いだけではなく、年齢不詳、むしろ大人びた雰囲気を漂わせていたように思う。

そして、結婚、たちまち離婚、芸能界の表舞台から去り、やがて娘の宇多田ヒカルが現れ、藤圭子の娘と知りまた驚く。

その娘の存在感は十分であり、藤圭子の娘である、というレッテルはむしろ必要でないぐらいだったかもしれない。

やがて、時々芸能ネタで伝わるスキャンダルぐらいしか知らなくなった。

 

沢木耕太郎が、芸能界を引退しようとしていた、1979年にインタビューしたもの。

その当時、すでにノンフィクション作品を続けて出しており、ここでは、インタビューのみで構成したノンフィクションという、ある意味では実験的な手法で作品にしようとしたものとのこと。

しかし、書き上げてはみたものの、このままだすべきかどうか思案の挙句にお蔵入りさせることにしたという作品。

 

自殺というカタチで生涯を終えた。

その後も残念ながら、遺族がらみのスキャンダラスな報道や、ただただ精神を病んだ果てのことであるようにしか伝わってこなかった。

 

このタイミングで、30年以上も前に彼女によって語られた言葉が出されたことは、当時、アイドルとはいい難いけれど、今でも何を歌っていたかを思いだせるぐらい、鮮烈な存在感があった藤圭子に手向けるべきものであるような気がする。

まさに流星が一つ流れた、そんな感じである。

2013.11.27:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]