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356 『なめくじ艦隊』

  • 356 『なめくじ艦隊』

志ん生半生記

 

古今亭志ん生:著
(ちくま文庫 1991年12月4日 第1刷発行、2001年1月30日 第11刷発行)

 

落語家 5代目志ん生の半生記。

1890年生まれで、1973年に83歳で亡くなっている。

私は、子供の頃、テレビかラジオで噺を聴いた可能性はあるのだが、記憶が定かではない。

父と母方の祖父がお寺の奥座敷で、お祭りなどの御札づくりを何日もしている時、いつもラジオがかけてあり、落語の時間がよくあった。
後に思えば、志ん生の噺も聴いたような気がする。

 

後に、落語のテープが売られるようになり、成人になった私は、よく聞くようになった。

姿は見えないが、もう、高座に出て噺始めると なんだか可笑しいのだ。

まるで見えているように感じたものだ。

 

さて、「なめくじみたいに、切られようが突かれようがケロンとして、ものに動せず、人にたよらず、ヌラリクラリとこの世の中の荒波をくぐりぬけ・・・」というように、自分の半生を振り返って自らをなめくじに例えて語っている。
まさに、志ん生の噺に出てくるとぼけた登場人物以上に面白い。

湿地ですぐに水浸しになるような長屋に住むことになってしまい、ナメクジが大量発生して悩まされてというエピソードがある。

そのヌラリとした風貌が、ナメクジのようであり、なかなかにしぶとくもちょっと物悲しくも可笑しい、半生にふさわしいなと思ったのだした。

 

 

2017.03.11:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

355 『日本の聖域 ザ・タブー』

  • 355 『日本の聖域 ザ・タブー』

編者:「選択」編集部

(新潮文庫 平成28年11月1日 発行)

 

聖域(サンクチュアリ):〔犯してはならないとされる〕神聖な地域(区域)   ・・・新明解国語辞典

 ということからしても、タイトルは支障のないような表現になっているものの、「ザ・タブー」となればまた違った意味を持たせていることは明らか。神聖なものとして忌避する、というよりはある一定の社会における禁句であったりする。

 そして、そこに本当に神聖性があるのかどうかといこと。

 この本の原題は『日本の聖域 この国を蝕むタブー』である。

 私たちがメディアで知ることは少なくはない。けれども、その大手メディアが伝えないことが、それもとても大切なことが多いとすれば、私たちは何も知らないのと同じか、あるいは自分に迫っている危険を認識しないままで日々過ごしていることになる。

 最近、この本の帯に出ている電通などは事件が発覚し、今まで出なかった事柄がニュースで出てきて、私たちも知ることとなった。東京オリンピックの問題についても、かなりもやもやした状態で、本当にちゃんとできるのか、という思いにもさせられる。 天皇陛下の生前退位問題もだいぶ明らかなカタチで報道されてきている。

 東北のこの地に住んでいて気になるのは、東日本大震災で事故が起きた原発に関わることだろう。数十年前から心配する向きはあったものの、「原発は安全で無害」というふうに思い込まされていたことが、全く意味をなさないことが、震災以降やっと判ったのだ。 原発に近いところでもその危険性を訴える人はもちろんいた。けれども、政策として、自治体などへの交付金ばらまき政策やら様々な方法で、安全神話づけにしてきた。事故が起きて初めて人間の出来ることの無力さというものに愕然とさせられ、恐怖を感じた。

 いたずらに恐怖を煽ってはならないことは判るが、真実を伝えないというのも罪が重いと思う。今、原発処理の中で何が起きているのか、一般のメディアからは全く伝わってこない(と同じ)。あまつさえ、アンダーコントロールにあると言い、世界的なスポーツの祭典をひじょうに近い場所で開催するということになってしまった。

 そういった意味で、マスメディアでは伝わってこないことを知り、聖域と言われるていることについて知り、話すことをしていかなければならないと感じた。

 

 

2017.03.03:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

354 『回帰するブラジル』

  • 354 『回帰するブラジル』

渋谷敦志写真集

著者:渋谷敦志

(発行:瀬戸内人 2016年7月11日 初版第一刷発行)

2017.02.22:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

353 『反貧困』

  • 353 『反貧困』

「すべり台社会」からの脱出

 

湯浅 誠 :著 (岩波新書  2008年4月22日 第1刷発行、2009年1月9日 第9刷発行)

 

 ある福祉関係の会議で、行政側からの説明の際に、 本市は生活保護受給者数が減って良い傾向にある  という趣旨の話があった。

 なるほど、かつて県内で最多の生活保護受給者数となっていた時期があり、それから状況は改善されたというほどの意味であったのかもしれない。けれども、今周囲の状況を見ると、数として減ったから単純に喜んでよいという問題ではないような気がして、そのことが引っかかった。

 「すべり台社会」  とはいったいどういうことか。

 うっかり足を滑らせたら、すぐさまどん底の生活にまで転げ落ちてしまう  という、今の日本の社会状況を表しているようだ。足を滑らせるとは、例えば病気・事故などによって働けない状態になることの他に、会社自体が調子が悪くなったり、不正規雇用ゆえにバッサリと雇用を打ち切られたり・・・、離婚などによって一人親となり時間的物理的に制限ができたりとか、いろんな状況が考えられる。これらが複合的になる場合もあるわけだ。

 そんな場合にセーフティネットになるのは、自分の身内や親族の手助け、近所づきあいなどの地縁や人の縁による支え、そして生活保護などの行政による手助けが、最後の砦になるだろうか。

 滑り落ちる原因は様々あるだろうと思う。近年、それは自己責任であるという風潮があるという。自分としてもそれは感じる時がある。振り返って、あのときあぁだったから・・・というような。しかし、滑り落ちてしまったところで、自己責任だからと片づけたところでどうにもならない。しかも、現代は親族が昔から見ると薄くなっており、地域ではまだそうでもないかもしれないが、都会では近隣との人の繋がりは無いと言ってもよいだろう。

 また、地域にあっても、現代の貧困の特徴として、目に見えて解りにくいということもある。車を持ってスマホを手にして、身なりだって良く見なければそんなに汚い恰好をしていなくたって、借金に苦しんでいるかどうかなんて判りはしない。判るぐらいになったら、滑り台を落ちてしまっていると考えてよいぐらいだろう。

 困って生活保護を必要ならば、しっかり受けて、また自分の生活を取り戻す。行政の手助けを受けやすい状態にするのが本筋ではないのだろうかと思う。

 

2017.02.16:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

352 『精神科医が狂気をつくる』

  • 352 『精神科医が狂気をつくる』

臨床現場からの緊急警告

 

岩波 明:著  

(新潮文庫  平成26年1月1日 発行)

 

 精神を病んでいる人が多くなった、そんな感じは確かにしている。例えば、鬱病になったということは知人から話を聞いたこともある。

 高齢者の認知症と思われる人も身の回りに少なくない。その程度はいろいろあり、グループホームなどで過ごしている人、家庭で長い時間一人にしておけない状態になっているとか、何度も同じ話を繰り返すということに気がついたり、というように。

 それなのに、その治療や対応については、案外と知らないと感じている。

 そして、薬物の治療よりはサプリメント、或いは食事療法で治るのであればその方が良いのではないかと思うし、薬物を用いるなら、なんとなく漢方薬の方が・・・というような。

 これは、精神病に限らず、内科的な病気についても、傾向としてはあると思える。

 

 「精神科医が狂気をつくる」という言葉はインパクトがある。それが、臨床で診察・治療にあたっている精神科医によって語られているのだからなおさらだ。

 できれば、心身に副作用が無い方がよいというのは、正直そうでありたいなぁと、患者の立場でそう思う。しかし、それが、実際に効果がなくて、むしろ病状というか生命までも失われかねない事態になりかねない、ということならば、話は別である。

 病状の改善、または治癒に向かう効能がある薬物治療であれば、使用すべきものであるということ。まやかしの治療に惑わされてはいけないこと。 なるほど、と思った。、

2017.01.30:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]