「本と町と人」をつなぐ雑誌 2016年 秋
書肆ヒトハコ (2016年11月10日発行)
編集発行人:南陀楼綾繁
900円+消費税
【特集】 一箱古本市の楽しみ
『酒』と作家たちⅡ
浦西和彦:編
(中欧公論新社 中公文庫 2016年11月25日 発行)
帯に書いてあるように、雑誌 『酒』に寄せられたエッセイ集。
編集者 佐々木久子さんの名前とミニコミ雑誌『酒」について聞いたことはあったのだけれど、残念ながら、実際この雑誌を読んだことはなかった。
昭和30年八月から平成6年9月にかけて連載されたもの。
雑誌 『酒』については、古書店なので探してみたいものだ。
さて、名前を聞けば誰もが「あぁ!」と判る著名な作家から、私などには判らない作家もおり、すでに亡くなられている執筆者も少なくない。
そんな中で、幸田 文が「酔う」という文を寄せている。
父親の露伴が、おさけが大好きで晩酌を欠かさない人で、子どもの頃からその様子を見て感じてきたことを書いている。
お酒ではなく「おさけ」と表記しているのは、とりわけ女性は「お酒」と呼ぶのは下品で「ご酒」と言うように言われていたこと。自分は落語でしか「ご酒」と言うのは聞いたことないですがね。
それから、酔うと酔っぱらうことの違い。
また酔うから「酔っぱらう」に下落する経過なども淡々と書いているのである。
私も毎日晩酌を欠かせない人の一人として、はたして、娘はどんな気持ちでその様子を眺めているのだろうか。幸田文のような感受性に秀で、文章での表現ができるかなんて期待はしないものの、な何かは感じているのだろうなぁと気になる。
昭和33年(1958年)1月の号に掲載された時点で、彼女は53~54歳ぐらいである。
この文章の最後は
「なぜ小さいとき、酔うのはいゝものだと思ったか、子供の心はそれと知らずに、酔いのなかに詩と絵とを感知していたのかもしれませんし、酔っ払いはそれをこわす破壊者だから、なんとなく嫌ったのかとおもいます。」
と書いている。
思わず、なるほどと思ってしまった。
私は酒飲みのくせに酔っ払いは大嫌いなのだ。
酔っぱらったことなどない、なんてわけはないのに、苦手なのだ。
あぁ、子供の頃の私も似たような感覚があったのかもしれないと、不遜ながら思ったのでした。
OYATU TABI
多田千香子:著
(翔泳社 2013年1月30日 初版第1刷発行)
自他ともに認める? 食いしん坊である。。。
なので?! 「おやつ」という本の背表紙を見ただけで、手にとって、直ちに購入した本なのであります。
そして、この著者は並はずれた好奇心と、私なんてもんじゃない食いしん坊だということがわかる。
なにしろ、日本だけでなく世界を美味しいおやつを求めて旅するんですものね。
「思い立ったら、旅 ×おやつ。」
9カ月30地域のエッセイと 身近な材料で手軽においしく作れる 世界のお菓子レシピ40
ブータン 台湾 北京 N.Y カナダ 北京 パリ ピエモンテ
ピエモンテってどこだ?!
この中で、食べたことあるのあるかなぁ?とあちらこちら拾い読みしてもいい感じ。
岩手の「がんづき。」これは、岩手ではないけども、好きだなぁ。
鮎焼(もちろんお菓子)も食べたことがあるような・・・。
世界とまではいかなくても、近場の「おやつ」の旅をしてみたくなったなぁ。
答えにくい子どもの「なぜ?」に お釈迦さまならこう言うね!
円東寺住職 増田俊康:著
(主婦と生活社 2015年10月19日 1刷発行)
シンプルでストレートな質問って、答えにくかったりします。
なんとなく納得できるだろうなぁというような答え、よりもこれを笑いに変えてしまおうなどとあざといことを考えている私。
さて、この本の回答者はいたってまともです。
「お化けっているの?」 → 「見える人にはいるし、見えない人にはいない」
「天国や地獄ってあるの?」 → 「あの世にもあるし、この世にもあります」
「死ぬのがこわい」 → 「だったらよく生きよう」
「人の物を盗んではいけないの?」 → 「自分が安心して暮らすためだよ」
「なんで学校に行かないといけないの?」 → 「夢をかなえるためだよ」
というような感じ。
で、ちょっと引っかかったのがこれ。
「なんで子どもはお酒を飲んではいけないの?」 → 「子どもは自分でやめられないからだな」
ん~。
自分でやめられない大人もいっぱいいるなぁ、と。
20歳になったらお酒を飲める決まりなのだけれども、やめられなくて困っている(迷惑を掛けている)大人もいっぱいいる。
言いたいニュアンスは判るのだけれど、これはなぁ。
選挙権が18歳になった根拠は何でしょう。
18歳になったら、物事をきちんと判断できるということであるはず。
だとすれば、お酒を飲む判断も18才でしっかりできる人もいれば出来ない人もいるだろうと思うのだが。
こういうことを、考えるきっかけになる本だと思う。
書くことのちから ―――横浜 寿町から
大沢敏郎:著
(太郎次郎社エディタス 2003年9月18日 初版印刷、10月10日 初版発行)
識字学校、という場があることを知らなかった。
それよりも、現代の日本の社会で、読み書きがができない人が少なからずいるという認識はなかった。様々な身体的・知的障害があることによって読み書きができないということではなく、学ぶ機会がないまま生きてきた人たちがいるということ。
生きて行く上で、もし自分がそういう状態だったらどうなるのだろうと、このパソコンの文字を打ちながら考える。
学生時代出合った人のことを思い出した。
学校自体は首都圏の街中にあるのに、一般教養科と専門科目の一部が、隣県の田舎にキャンパスがある学校に通っていた。田んぼが広がる学校の近くに小さな戸建てを安い家賃で借りて学生生活が始まった。
その敷地内に、前の住人が残して行ったけっこうな量の様々な廃棄物があった。何か事情があったのか、そのせいで家賃も安かったのかもしれない。管理している不動産屋が片づけのための人夫をよこしてくれるという。
5月ごろ、浅黒く日焼けした、初老という感じの人のよさそうな人(おじさん)が、やってきた。
テキパキと片づけ、一緒に車を運転してきたもう一人の人と、10時にお茶にした。
自分は山形の田舎からでてきたばかりで、田舎言葉でもあったし、ぼそぼそとしゃべっていると、その浅黒い伯父さんは、言葉が関東とか関西とかではなく、聞いたことのないようなイントネーションの言葉だったのを覚えている。
「おじさん、どこの生まれですか?」と尋ねると、人懐こい笑顔のまま「ずっとずっと南の島からだよ~」と言った。
それ以上は尋ねなかったのだが、作業に来た二人の話を聞いていたら、この伯父さんの方は、読み書きができないということに気がついた。
思い出すに、そのおじさんは、現在の私ぐらいの年齢ではなかっただろうか。
相方に指図を受け確認しながら仕事をする、もちろん運転免許はないのだろうから、こうして誰かと組んで仕事をしていたのだろう。
この本を読んで、なぜか、その時のことを思い出した。
耳で覚えた言葉はもちろん話せるわけだが、今、いろんなこと、職を得る・住む場所を求めるにも、情報を文字で見なければわからないし、多くの書類で物事は決裁されているから字が書けなければ、更に煩雑な手続きが必要となる。
読み書きが当然できるということが、社会で生きることの前提になっているのだ。
けれど、なんらかの事情でそれができない人がいて、そのための場がこうしてあるということ、それは「生きなおす」ということなのかもしれない。