HOME > 記事一覧

ギャラリートークのご案内

 ただいま、企画展「上杉家の古写真-伯爵の暮らしと米沢-」を好評開催中です。

 

上杉家では、幕末から昭和20年にかけての古写真を1000点以上所蔵しており、

そのうち今年度に当館で整理・調査した成果を展示しております。

 

ギャラリートークのご案内です。

 

3月12日(土)14時から、当館学芸員による展示解説を行います。

今回は、古写真と上杉伯爵邸というテーマで、学芸員佐藤正三郎がご案内致します。

ギャラリートーク後は、上杉伯爵邸見学ツアーもございます。

企画展「上杉家の古写真-伯爵の暮らしと米沢-」最後のギャラリートークになります。

みなさまのご来館、お待ちしております。

※企画展入場券が必要です。

 

 

お問い合わせ

米沢市上杉博物館 0238-26-8001

2016.03.11:denkoku:[博物館情報]

企画展「上杉家の古写真」 展示資料のご紹介 3

企画展「上杉家の古写真」、好評開催中です(3月21日まで)。

今回の展示の中心は上杉斉憲・茂憲・憲章と三代にわたる当主と、上杉家の家族写真です。
茂憲については、慶応2年に京都で撮影された青年期の姿から、明治4年頃に断髪した姿、華族として活躍した壮年期、晩年の姿、そして葬儀まで、20枚ほどの写真が伝来しています。展示では、第2章で茂憲肖像写真の大部分を年代順にご覧いただけます。
最後の殿様から、英国留学と沖縄県令、そして華族としての姿まで、茂憲の肖像からは、時代の変化を読み取ることができます。

1、京都所司代邸の上杉茂憲1枚
(慶応2年・1866) 8.7×11.3cm    

 帙に「慶応元年上洛ノ節 所司代邸ニ於テ写影」と書かれています。当時、上杉茂憲(左)は米沢藩士を率いて京都の警備にあたっていました。上杉家関係の江戸時代の写真としては、撮影の時期と場所が分かる唯一のものです。

 

2、文官大礼服を着た上杉茂憲 1枚
撮影者 G.KOBAYASHI
明治40年~大正初期(1907~1916)
22.1×14.0cm    

 茂憲の肖像として、もっともよく知られた写真です。首には明治40年に授与された勲三等旭日中綬章をつけています。戦費支出協賛の功績に対して与えられたもので、その記念写真でしょうか。同一の写真が10枚以上、上杉家に伝来しています。何らかの記念に配布されたと考えられます。

展示では、茂憲の着ている文官大礼服の現物も展示しています。茂憲の体格をうかがい知ることができる資料です。お見逃しなく。

 

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001まで

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

2016.03.03:denkoku:[博物館情報]

上杉文華館「明治政府のもとで」

「上杉文華館」の3月の展示をご紹介します。

 当館常設展室内では国宝上杉家文書を常時見ることができる上杉文華館があります。

 今年度のテーマは「 国宝『上杉家文書』に見る幕末の米沢藩」です。

 上杉家文書のうち幕末期のものは未だ活字化されていないものも多く、初公開の資料もご紹介します。

 平成27年度、全12シリーズの最後は…

「明治政府のもとで」です。

【展示期間】:平成28年3月1日(火)

            ~平成28年3月27日(日)

 明治元年(1868)12月、奥羽諸藩に対する戊辰戦争の処罰が示され、米沢藩は藩主・上杉斉憲の隠居と茂憲の家督相続、4万石の減封、首謀者重臣の届け出を命じられました。この後、米沢藩は戊辰戦争での「朝敵」の汚名をそそぎ、「勤皇」の姿勢を示すため、中央集権体制構築を進める明治政府のもと、大胆な改革を進めていきます。

 明治2年3月、他藩の動向に合わせて米沢藩も版籍奉還(土地と人民を朝廷に返すこと)を願い出、6月に許可されると、茂憲は改めて藩知事に任じられました。改革は、斉憲が藩知事・上杉茂憲を助け、宮島誠一郎や大滝新十郎(忠義)といった新たな人材の意見を取りつつ、守旧派の反対にあいながらも実施されました。その背景には、三条実美はじめ新政府の有力者も関与していました。

 明治4年になると、士族の文武の常職解除、家産として売買可能な禄券の給付といった急進的な改革が、親戚でもある土佐藩にならって進められ、改革派諸藩として中央政局にも影響を与えます。しかし7月に廃藩置県の詔勅が出され、米沢藩は終焉を迎えたのです。

 

国宝「上杉家文書」

上杉斉憲宛三条実美書状

時代:明治2年(1869)12月22日

法量:18.3×144.0

所蔵:上杉博物館

〔解説〕

 明治政府で右大臣の要職にあった三条実美から、上杉斉憲宛の書状です。千坂高雅(号・嘉遯斉)を米沢藩大参事に任命した事情を説明している内容から、明治二年の文書と分かります。

 この書状に先立って、米沢藩では千坂を権大参事(大参事に次ぐ第二位の役職)に任命すべく政府に届け出ましたが、政府からは最高位の大参事に任じる命令が届きました。斉憲は実美にこの齟齬の理由を問い合わせ、その返信が本文書です。

 実美は、齟齬ではなく、明治政府が千坂を有用で大参事に適していると判断して任命したのであり、速やかに人事を実行するよう求めています。さらに、詳細は米沢に戻る少参事(小川源太郎)から直接聞くよう記しています。別紙には多忙なので代筆で失礼する、とあります。

 米沢藩では、戊辰戦争での「朝敵」の汚名をそそぐためにも、藩政改革と人事刷新を進めることが重要な課題でしたが、藩内には守旧派による反対の声も根強くありました。改革推進派の藩士宮島誠一郎の働きかけを受けて、三条はこの書状を出し、千坂の大参事就任を推し進めるよう、米沢藩に働きかけたことが明らかにされています。

 

◆コレクショントーク 

  平成28年3月5日(土)14:00~

担当:当館学芸員 佐藤 正三郎

場所:常設展示室 上杉文華館

※入館料が必要です。

 

上杉文華館 、平成28年度の予定は…

 「謙信を生んだ一族・長尾氏」です!

「長尾氏、越後へ」

【展示期間】:平成28年3月29日(火)~4月26日(火)

◆コレクショントーク  平成28年4月2日(土)14:00~

 

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001まで

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

2016.03.03:denkoku:[博物館情報]

企画展「上杉家の古写真」 展示資料のご紹介 2

企画展「上杉家の古写真」、好評開催中です(3月21日まで)。
写真ですので、昔の暮らしぶりや人々の様子が一目で分かり、どなたにもお楽しみいただいております。

さて、展示資料をちょっとだけご紹介します。

上杉家アルバム  1冊
29.2×23.2cm    上杉家蔵

上杉家に伝来するアルバムのうち、現在確認される最古のアルバムです。幕末から明治20年まで、計132枚の写真が収録されています。その内容は当時の有力者・西洋人・上杉家の肖像、沖縄や有馬温泉(兵庫県神戸市)の景色と多彩です。
 今回ので展示の第1から3章で展示している写真の大半が、このアルバムに収められています。本アルバム中の写真は展示室の最後のコーナーでスライドショーで全点をご覧いただけます。

開いてるページに収められている写真は、主に明治5年に上杉茂憲が英国に留学した際、日本人留学生と交換したものです。展示では、大部分を第2章に展示しています。

展示の詳細はこちらをご覧ください。

http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/091uesugikoshyashin.htm

 

お問い合わせ

米沢市上杉博物館 0238-26-8001

 

2016.02.26:denkoku:[博物館情報]

「古写真展」 第2回ギャラリートーク

「上杉家の古写真」(会期 2月6日~3月21日)、好評開催中です。

本日は「明治を生きた上杉家の女たち」と題して、ギャラリートークが行われました

(担当 学芸主査 角屋由美子)。

写真に写っている幕末から現代にいたる上杉家の系譜を中心に、近年の調査成果や様々なエピソードを交えて、女性たちの生き様について解説しました。

本日は50人以上の方にご参加いただき、大盛況の展示解説となりました。

 

あわせてアップした古写真は、明治21に撮影された、上杉・兼夫人と子どもたちです。
後継ぎの憲章のほか、弟の恒憲(分家・上杉子爵家を相続、勝憲)、さらに重(のちに高辻宜麿夫人)、覚(のちに男爵池田勝吉夫人)、琉(のちに子爵松平直幹夫人)、そして兼の抱く久(明治21年3月生まれ、のちに伯爵亀井茲常夫人)が写っています。

 

====次回のギャラリートーク====
3月12日(土)14:00~「古写真と上杉伯爵邸」 
当館学芸員 佐藤正三郎 

 ※要入館料、終了後に上杉伯爵邸ツアー付

 

お問い合わせ

米沢市上杉博物館 0238-26-8001

 
2016.02.21:denkoku:[博物館情報]