現在、開館15周年記念コレクション展「上杉鷹山と学びの時代」を好評開催中です。
ギャラリートークのお知らせです。
2月4日(土)14時から、「学びと改革」をテーマに、当館学芸員による展示解説を行います。
みなさまのご来館をお待ちしております。
※企画展入館料が必要です。
現在、開館15周年記念コレクション展「上杉鷹山と学びの時代」を好評開催中です。
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2月4日(土)14時から、「学びと改革」をテーマに、当館学芸員による展示解説を行います。
みなさまのご来館をお待ちしております。
※企画展入館料が必要です。
「学び」といっても、遊びも大切…米沢の相撲番付と、上杉家の出世双六
2月12日まで開催中のコレクション展「上杉鷹山と学びの時代」のみどころ、面白い資料などを何回かに分けて、ご紹介します。
「学び」というと「お勉強」というかた苦しいイメージがあるかもしれませんが、「遊び」も大切な要素です。今回は2章の中ほどで「学びと遊び」という小コーナーを設けています。
1、勧進角力番付
寛政元年(1789)から文久元年(1861)まで73年間に主として米沢で興行された、勧進相撲番附の集成で、文化3年(1806)、米沢城下米沢柳町で8月に開催された角力の番付部分を展示しています。
当時最強と謳われた江戸の大関・雷電為右衛門の名前が確認できます。一方、西の前頭(二段目)の鶯忠内と若竹雪之助をはじめ、西の最下段に「米沢」と肩書のある力士が掲載されています。他の年の番付では「米沢」の記載はほとんど確認されません。
他の資料から、この角力興業は柳町の空き家対策の一環で行われたことがわかります。娯楽を町の活性化に利用したのです。
資料情報
勧進角力番付 1枚(1巻)
(文化3・1806)
35.0×31.0
米沢市上杉博物館(吉川文書)
2、杉斉定所用「官職双六」
朝廷の役職や官位を題材にした出世双六です。外袋に上杉斉定(鷹山の義理の孫、11代米沢藩主)が使用した旨の記載があり、駒と遊び方の説明書が附属しています。
朝廷の役職と官位は武家の序列化にも用いられたため、大名の子弟にとっても学ぶべき事項だったのでしょう。
遊んでみたい、という来館者の方からのおこえもありますが、複雑なルールのため一筋縄ではいけません。ルールの概要は展示室内のパネルに記してありますので、ぜひご覧ください。
資料情報
江戸時代(18世紀)
88.5×89.6
2月・3月の体験学習室についてお知らせします。
2月の季節企画は「節分」(1/28(土)~2/24(金))
3月の季節企画は「桃の節句」(2/25(土)~3/23(木))
3月の季節企画では、体験学習室で毎年恒例の「おきたま雛回廊」を開催いたします!
享保雛を今年も展示いたしますので、ぜひみに来て下さいね!
2月・3月の造形体験は「紙ねんどで春の和菓子」(1/28(土)~3/23(木))です。
毎年大好評のプログラム、紙ねんどで春の和菓子を今年も開催いたします(*^-')ノ☆;:*:;☆
本格的な和菓子づくりの道具を使って、本物そっくりの和菓子をつくります。
和菓子職人になったつもりで、世界に一つだけの春の和菓子をつくりましょう!
それではご来館を心よりお待ちしております。
お問い合わせは 米沢市上杉博物館0238-26-8001までどうぞ
米沢藩士も注目して記した、鷹山の言行
現在開催中の開館15周年記念コレクション展「上杉鷹山と学びの時代」のみどころ、面白い資料などを何回かに分けて、ご紹介します。
今回は米沢藩士が鷹山の言行を記した資料を2点、ご紹介します。
1点目は降旗信周筆上杉鷹山「壁書」写です。
降旗信周筆上杉鷹山「壁書」写
寛政3年(1791)写
20.6×13.4
米沢市上杉博物館(武藤家文書)
上杉鷹山が実子・顕孝付の家臣に示した教育方針の書「壁書」を、下級藩士が書き写したものです。「壁書」の末尾に書かれた「なせばなる、なさねばならぬ なにごとも ならぬは人の、なさぬなりけり」という和歌は有名ですね。
この鷹山筆の壁書も国宝「上杉家文書」中の原本を現在展示していますが、今回ご紹介するのは同内容を下級藩士が書き記したものです。筆写した降旗信周は「勤書」によれば安永3年(1774)家督、御扶持方に属する下級藩士で、鷹山の側近くに仕えたわけではありません。そのような下級藩士であっても、鷹山が壁書を作成してから、わずか5年後には名言を写し取り、共有していたと考えられます。米沢藩士たちの間でも、「なせばなる…」の和歌は人気だったのかもしれません。
2点目は「翹楚篇後篇」(ぎょうそへん こうへん)です。
「翹楚篇後篇」 一冊
文化8年(1811)頃
24.8×16.3
米沢市上杉博物館(上杉文書)
鷹山の言行録として全国に広く流布した莅戸善政「翹楚篇」の続編として書かれた言行録の一種で、寛政9年から文化8年まで約35の逸話を収録しています。内容に重複が多く文章も冗長であり、草稿のようです。
作者は未記載ですが、本文中に「予」として登場する小姓頭の深沢嘉平太が考えられます。一方で「御記録所局中之留」(資料73)によれば、木村丈八編の「翹楚後篇」二巻(未完)という、同名の言行録が別にあったようです。深沢、木村ともに鷹山の側近であり、彼らが鷹山の言行録を作成しています。
鷹山が義理の父・重定を赤湯温泉に連れていき孝行を尽くした話、隠居後の生活や倹約など、鷹山の孝養、礼節、家臣への思いやり、倹約と武備充実を強調する内容となっています。
鷹山の言行への注目は鷹山在世中から藩内でも高かった様子がうかがえます。
開館15周年記念コレクション展「上杉鷹山と学びの時代」は2月12日まで。会期も短くなってきましたので、お見逃しなく。
現在開催中の開館15周年記念コレクション展「上杉鷹山と学びの時代」のみどころ、面白い資料などを何回かに分けて、ご紹介します。
今回ご紹介するのは、尋常小学校の女子生徒が唱歌「鷹山公之歌」を記したノートです。
全32番まであり、上杉鷹山の生涯と様々な改革の内容、有名な言行が盛り込まれています。明治35年、米沢市高等女学校(現・米沢東高)の富永周太郎が作詞しました。
「鷹山公之歌」 1冊
明治30~40年代 24.8×17.4
米沢市上杉博物館(売間家文書)
今回の展示にあわせ、米沢東高音楽部声楽班の皆さんにご協力いただき、この唱歌「鷹山公之歌」を歌っていただきました。伴奏には明治時代の学校をイメージして足踏み式オルガンを使用しています。展示室の最後のコーナーで、1~4番の美しい合唱をお聞きいただけます。
明治時代の米沢の子どもたちが、鷹山の治績について音楽を通じて学んだ様子を、ぜひ体験してみてください。