令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑩

  • 令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑩

2025年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。

 永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。

2025年度はこの解明に取り組んでいきます。

 

第10回《大名家の事情Ⅳ…葦名氏》

 

 【展示期間】12月23日(火)~1月25日(日)

 

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 第10回目は会津の蘆名氏をとりあげます。蘆名氏では立場に応じて、上杉謙信・景勝に宛てた書状の宛所表記に違いがありました。当主および元当主は「山内殿」もしくは「上杉殿」に脇付わきづけ、一門は小路名こうじなである「春日山」に脇付、譜代ふだい家臣は謙信や景勝の重臣に宛てて伝達を求める披露状ひろうじょう、従属する国衆くにしゅう(外様とざま)は小路名「越府えっぷ」を使用しました。 その違いは、関東における書札礼しょさつれいの影響を強く受けていることが指摘できます。また、大名(当主)との関係の相違、すなわち一門・譜代・国衆(外様)という立場と明確に対応した書札礼の区分は、蘆名氏の大名権力の特徴と考えられ、強力な当主権力のもとで形成されたと思われます。

 

▼ コレクショントーク

 日時:1月11日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

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皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.12.23:denkoku:[博物館情報]