令和7年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。
戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。
永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。
2025年度はこの解明に取り組んでいきます。
第9回《大名家の事情Ⅲ…武田氏》
【展示期間】11月27日(木)~12月21日(日)
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対立のイメージの強い上杉氏と甲斐 か い 武田氏ですが、謙信の死後、上杉景勝と武田勝頼は和睦し、同盟を結びます(甲越 こうえつ 同盟)。景勝と景虎 かげとら の後継者争い(御館 お た て の乱)や、勝頼と織 田・徳川勢との対立の激化などの情勢の中での判断でした。
武田氏の書状の特徴は、宛名に「山内殿」ではなく、「上杉」の名字を使用することが挙げられます。そして、「上杉」の使用は武田氏一門にもみられ、現象的には佐 さた 竹 け 氏同様です。勝頼と景勝の関係は勝頼の優位で始まっていて、「山内殿」の表記は適さなかったといえます。また、譜代 ふ だ い 家臣の上位者が「春日山 かすがやま 」表記で景勝に直接宛てた 書状を出していることも特記されます。全体的に武田氏を優位とした礼的関係であったともみられます。
このような書札礼の秩序が、信玄時代に遡 さかのぼ るのか、それとも長篠合戦 ながしのかっせん などを経た家臣団の再編の結果であるのかなど、武田氏家臣団の検討 けんとう を深め、佐竹氏との共通性や相 違なども意識しながら、武田氏の特徴を明らかにしていく必要があります。
▼ コレクショントーク
日時:12月7日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001


