令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑧

  • 令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑧

令和7年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。

 永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。

2025年度はこの解明に取り組んでいきます。

 

第8回《大名家の事情Ⅱ…佐竹氏》

 

 【展示期間】10月23日(木)~11月25日(火)

 

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常陸太田 ひ た ちお おた (茨城県常陸太田市)を拠点にした戦国大名佐竹氏は、小田原(神奈川県小田原市)を拠点に関東に勢力を伸ばす北条氏と鋭く対立していました。そのため、その 当主義重 よししげ は上杉謙信や景勝の軍事力に大きく期待し、関東出兵を何度も要請していました。両者に対する義重の書状の宛所は「山内殿」に「御宿所 おんしゅくしょ 」や「御報 ご ほ う 」などの 脇付で表現されていました。  そして、当主のみならず、家臣団最上位に位置付けられた佐竹氏一門(北家・東家・南家)は、義重と同じ表現を用いました。これは、ほかの戦国大名家が当主や前 当主のみが使用していたことと比べて、大きな違いであり、佐竹氏の特徴でした。佐竹氏の権力行使と関連する家臣団編成の特徴に基づくものであったと考えられます。  また、譜代 ふ だ い 家臣の上位に位置付けられる側近や重臣らにみられる書札礼の特徴も、他家の事例と比較しながら、紹介していきます。

 

 

▼ コレクショントーク

 日時:11月9日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

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皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.10.23:denkoku:[博物館情報]