①紺紙金字観音経(妙法蓮華経)
上杉謙信手沢と伝わる経典で、1行17字の配分で丁寧に書かれています。
折りの傷みなどから日常的に使い込まれたことが想像されます。
本資料の作成は享禄5年10月ですが、同年は7月29日に天文に改元されるため、改元後も享禄年号を使用した東国での作成が推測されます。
なお、謙信自身がこの経典を使って妙法蓮華経の読誦を行ったという記録は確認できませんが、上杉家ゆかりの資料として伝来しました。
②上杉景勝書状(塚田家文書)
上杉景勝が蘆名盛隆の家臣に送ったと考えられる文書(新出資料)です。
織田信長との攻防において、景勝は越中・信州・下越の三方向に包囲される窮地に立たされていました。
本資料には、この状況で自身の生死を名誉あるものと捉える景勝の心境が示されています。
③黒呉絽地水玉模様竹雀紋付き陣羽織
上杉家当主が着用したと考えられる陣羽織です。
背中に上杉家の家紋「竹雀紋」の刺繍があり、18世紀頃の作と見られます。
陣羽織は戦場の防寒着として着られましたが、戦のない江戸時代には制作機会が減り、また一代限りであるため、残ることが少ない貴重な逸品です。
④上杉景勝感状(塚田家文書、水無瀬家伝来資料)
上杉景勝が御館の乱で戦功をあげた家臣に送った感状です。
本資料は江戸時代の写しで存在が知られていますが、資料収集に際してその原本が発見されました。
本展覧会では、後代の写しで知られていたものの原本資料を複数展示していますので、あわせてご観覧ください。
⑤上杉定勝書状
上杉定勝が家臣・安田与親に送った文書です。
米沢城内に実っていたりんごが、江戸にいる定勝に届けられたことへの感謝を伝えています。
このりんごは、定勝が藩主になる前、米沢にいた父 上杉景勝から贈られており、父子を繋ぐ思い出の一品だったのかもしれません。
本文5~6行目に「庭ノ林檎(りんご)」と書かれています。
⑥上杉鷹山書状(平田栞収集資料)
上杉鷹山が儒学者 樺島石梁に送った文書です。
鷹山は、学問の師 細井平洲の七回忌に際し、遺稿集「嚶鳴館遺稿」を作成するため、樺島に校正を依頼しました。
樺島は平洲の高弟として、鷹山も絶大な信頼を寄せており、同書刊行に力を注ぐ鷹山の姿がうかがえます。
皆様のご来館を心よりお待ちしております!
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米沢市上杉博物館 0238-26-8001