令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。
越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。
謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。
北陸地域における同盟者の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。
第8回「謙信の越中西進」
【展示期間】10月24日(木)~11月26日(火)
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武田信玄と結託した一向一揆・椎名氏は、上杉謙信と元亀3年(1572)に激しい攻防を繰り広げましたが、翌年4月に信玄が病没したことで大きな後ろ盾を失い後退します。これによって、謙信は越中への影響力を徐々に拡大させていきました。 これと同時期に京都では、織田信長と足利義昭の対立が深刻化し、信長の上洛に伴い義昭が京都を追われる状況となっていました。
この情報は、飛騨の国人・江馬氏を通じて謙信のもとにももたらされました。こうした状況の中で、謙信は越中東部の所領に家臣を配し、自身の拠点を盤石なものにしながら、越中西部へ勢力を展開させていきます。謙信による越中平定は目前に迫っていました。
今回の展示では、織田・武田両氏の動静を伝える資料を交えながら、謙信が越中西部へ版図を展開させる過程について紹介します。
▼ コレクショントーク
日時:10月27日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001