令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。
越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。
謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。
北陸地域における同盟者の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。
第7回「一向一揆との攻防」
【展示期間】9月26日(木)~10月22日(火)
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永禄12年(1569)6月に上杉謙信と北条氏康との間で結ばれた越相同盟は、元亀2年(1571)10月に氏康が死去したことで動揺し、北条氏政が再び武田信玄に接近したことで破綻しました。これにより、謙信を取り巻く情勢は大きく変化し、新たな局面を迎えます。
元亀3年、越中では武田信玄と結んでいた椎名氏や一向一揆勢が反上杉勢力として軍事行動に出ました。なかでも一向一揆勢との対決は激戦となりました。当初は謙信側に味方する神保氏の家臣が対処していましたが、日宮城(富山県射水市)の攻防に敗れた結果、一向一揆勢は富山城(富山市)周辺まで攻め寄せ、上杉勢を追い込みます。その後、謙信が8月頃に越中へ出兵したことで戦いは一旦落ち着きますが、越中情勢は依然として不安定な状況でした。謙信は長期間の在陣を決め、越中で初めて年を越しました。
今回の展示では、一向一揆との攻防に関する資料を読み解き、元亀3年時点の上杉謙信の動向を中心に紹介します。
▼ コレクショントーク
日時:9月29日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001