令和6年度 上杉文華館「越相同盟の成立と北陸情勢」⑥

  • 令和6年度 上杉文華館「越相同盟の成立と北陸情勢」⑥

令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。

 越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。

 謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。

 北陸地域における同盟主の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。

 

 

第6回「越相同盟の成立と北陸情勢」

 【展示期間】8月29日(木)~9月24日(火)

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 上杉謙信は、武田信玄との対立を契機に北陸地方への侵攻を進める一方、関東管領の立場として関東情勢へも介入するようになります。すでに関東では、天文23年(1554)に今川・武田・北条三氏の間で甲相駿三国同盟が締結され、三氏の連帯が高まる状況にありましたが、信玄の駿河侵攻などが原因となって永禄11年(1568)末にこの同盟は解消されました。こうした状況の中、北条氏康はそれまでの対立関係から一転して、信玄を共通の敵とする謙信と盟約を結ぶことを模索します。その結果、永禄12年6月に越相同盟が成立し、謙信と氏康の間で同盟関係が築かれました。

 同盟締結前後の謙信は、敵対する一向一揆・椎名氏への対処を求められていました(資料1)。武田攻めを企図する氏康にとって、謙信の加勢は必要不可欠であり、その実現のためにも越中情勢の安定が望まれました(資料2)。また、信玄の侵攻を受けた今川氏真も謙信に接近し、打倒信玄に対する協力を求めています(上杉家文書757)。このように越相同盟を契機に、謙信周辺の諸勢力が反信玄への動きを本格化させました。

 今回の展示では、謙信と氏康の間で結ばれた越相同盟の関係資料を中心に、謙信による北陸情勢への対応について紹介します。

 

▼ コレクショントーク

 日時:9月1日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

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皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2024.08.29:denkoku:[博物館情報]