令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。
越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。
謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。
北陸地域における同盟主の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。
第4回「長尾為景と一向一揆」
【展示期間】6月27日(木)~7月23日(火)
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永正17年12月、父・能景以来の宿敵であった神保慶宗を破り、越中平定を成し遂げた長尾為景は、続いて一向一揆の平定を目指します。一向一揆と長尾氏の関係も父・能景の時代まで遡り、能景が討死した芹谷野の戦いにおいて対立関係にありました。その後は畠山卜山の働きかけなどによって中立の立場でしたが、依然として一向一揆は越中情勢を左右する大きな勢力として看過できない存在でした。
一向一揆は、大坂本願寺を拠点に全国へ波及し、強力な寺院勢力として各地に大きな影響を与えていました。越中においても一向一揆の影響は大きく、勝興寺・瑞泉寺といった一向宗寺院が中心となって活動していました。越中平定後、為景は能登畠山氏と連携して一向一揆の統制を模索し(資料1・2)、越後の一向一揆に対して禁制を発布します(資料3)。この禁制は、父・能景の意向を引き継いだものでした。こうした為景の政策は一向一揆の反発を招き、越中において再び干戈を交えるきっかけとなりました。
今回の展示では、長尾為景と一向一揆に関連する史料を中心に読み解き、越中平定後の為景の動向や一向一揆との対立の様相などを紹介します。
▼ コレクショントーク
日時:6月30日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001