令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。
上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。
また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。
今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。
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《治広と寛政の改革》
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【展示期間】10月26日(木)~11月21日(火)
上杉鷹山は天明5年(1785)に隠居し、治広(8代藩主重定の3男)が第10代藩主となります。天明年間には相次ぐ天災と飢饉、改革を主導してきた鷹山と重臣竹俣当綱、莅戸善政の隠居などにより、積極的な産業振興に代表される改革は一旦中止、縮小されます。寛政3年(1791)になって、鷹山の後見を受けた治広のもとで、隠居の身から呼び戻された莅戸善政が主導し、再び改革が始まりました(寛政の改革)。改革の内容は財政の再建、農村の復興と人口増加、産業の振興と領民への教諭、教育と武備の充実など多岐に渡ります。御記録所による重要文書の管理体制強化も、鷹山治世下の事業を継承、発展させた改革の一環と言えるでしょう(資料3)。鷹山から治広の治世下で御記録所の管轄下に置かれた文書や作成された記録が、「上杉文書」の一つの核となっています。
今回、国宝「上杉家文書」からは、寛政6年(1794)の上杉顕孝死去に伴う、重臣間の書状(資料1)と、鷹山と重臣の議論(資料2)をご紹介します。顕孝は鷹山と側室お豊の方との間に生まれ、天明2年には治広の正式な後継者(世子)となります。寛政4年に江戸に登り今後が期待されますが、寛政6年正月に死去しました。その後の対応を巡る上記の資料からは、隠居後も鷹山が藩政改革に強く関与した様子がよく分かります。
▼ コレクショントーク
日時:10月29日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※参加には入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001