2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。
【展示期間】平成30年9月27日(木)~10月23日(火)
《第7回 上杉斉憲の参内》
国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書や幕末・明治期資料が含まれています。今回は、特別展「戊辰戦争と米沢」の開催に合わせ、一二代藩主上杉斉憲が文久三年(一八六三)に上洛し、参内するにあたっての具体的な動向を知ることができる文書を紹介します。
江戸幕府一四代将軍徳川家茂が公武合体を推し進めるために上洛する際、上杉斉憲は忠誠心を示して米沢藩士六四六人を従えて同行し、京都での警護にあたりました。斉憲は文久三年正月二日に米沢を発ち、江戸着は正月九日。正月二一日に江戸を出発し、東海道を通って京都には二月一〇日に着きました。米沢藩は江戸時代初期には京都屋敷を持っていましたが幕末にはすでになかったため、清水寺塔頭の成就院を本陣として、斉憲以下、重臣、側近、医者、右筆などが宿舎とし、その他多くの家臣は複数の寺院と近江屋、辰巳屋などの旅館に分かれて宿泊しました。
徳川家茂が孝明天皇に謁見するために参内したのは、三月七日のことでした。上杉斉憲も諸大名とともに供奉しました。暁七時(午前四時)に供揃を従えて成就院を出ました。まず飛鳥井邸に入り、その後幕府から割当てられていた西洞院下ル長者町上ル但馬屋に入って衣冠束帯の装束に調え行列に臨みました。九半時(午後一時)を過ぎていました。参内を終え宿舎に戻ったのは、日付をまたいだ夜八時(午前二時)という長い一日でした。
将軍家茂は京都滞在三カ月を経た六月三日、江戸に戻るため暇挨拶に再び参内しました。斉憲もこれに供奉しました。京都警護中の八月五日、斉憲は松平容保(会津)、池田慶徳(因幡)、蜂須賀茂韶(阿波)、池田茂政(備前)の四藩とともに建春門前で洋式操練を行い天覧に供しました。斉憲は自ら馬に乗り西洋銃隊と火縄銃三〇目筒を指揮しました。一〇月、朝廷(孝明天皇)より陣羽織用にと錦二巻が贈られ、それで作られた陣羽織を特別展で展示中です。斉憲の陣羽織を製作した後の残りの布で世子茂憲の陣羽織も作られましたが、長さが足りず袖なしの陣羽織となりました(後期展示)。
また、姉小路公知が暗殺された際、米沢藩家老の竹股美作久綱へお預けとなっていた容疑者の召使小者の脱走を許すという事件が起きました。その探索に奔走し帰国が延期になりました。結局逃亡した召使太郎は発見されませんでしたが、斉憲の帰国は許され九月二三日京都を出発し、中山道を経て一〇月一〇日、江戸に到着しました。
また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳筆の国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は、
9月27日(木)~10月19日(金)は複製(1作目=複製A)展示
10月20日(土)~10月23日(火)は原本展示となります。
▼ コレクショントーク
平成30年9月29日(土)
14:00~
場所: 常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001