この特集では、椿貞雄が画家としてデビューするまでの道のりを簡単にご紹介しています。
本日は第3回、「劉生との出会い」です。
③劉生との出会い
「恐る恐る会場に這入って見ると、誰一人居らず、深閑としていた。然と睨みつけている様な劉生の多くの自画像や、彼の一番の対策である百二十号の水浴する子供等が、ずらりと陳列されて居り、彼がセザンヌ風からクラシックに変わった時の作品である。
真剣厳粛の気が充満していて息の止まるような思い、この張切った力に圧され僕は長く会場に止まることが出来ず逃げるように外へ出たのであった。
『これだ、これだ』と心の中で叫びながら。」
(「岸田劉生と僕」、『ふさ』1955年3,4,5,7号)
椿も書いているように、この個展に出品されていた劉生の作品は、彼が後期印象派のゴッホやセザンヌの影響を捨てて、北欧クラシックのデューラーやファン・アイクに変わった最初のものでした。
北国米沢から出てきたばかりの椿青年の心を捉えたのが、劉生の新しい北方的色彩への感動だったのかもしれません。
画家になるという夢のため上京したものの、まだこれといった方針が立っていたわけではなかった椿にとって、上京1カ月にして見た劉生の個人展は、まさに運命的な出会いであり、何としても師事したいという思いを募らせました。
後に椿は、劉生との出会いを「自分にとっては単なる偶然とは思えない。この事は自分の一生を決定づけたといっていい」と語っています。
劉生を知ることにより、椿はさらに白樺の武者小路実篤、長与善郎と近づく事になり、「芸術及び人生の根本と本質を学ぶことが出来た」のです。