この特集では、椿貞雄が画家としてデビューするまでの道のりを簡単にご紹介しています。
本日は第2回、「父の許しと上京」です。
②「父の許しと上京」
父からは上京の許しは出ませんでした。どうしても画家になる夢を捨てられない椿は、最終手段として嫁入りし東京に住んでいた叔母(父の妹)に父親説得の仲介を依頼しますが、それでも父は許してくれません。
最後には、叔母が身元引受人となり、家に寄宿させる事、正則中学に入学し、中学卒業を果たす事を条件に、1914年9月にようやく上京がかないます。椿の原点となった米沢の風土は、その後の画業の随所に反映されていく事になるのです。
寄宿先の叔母の家は、代々木山谷(渋谷区)にありました。上京して数日後、この家の近くを散歩していて、「岸田劉生」という表札のある家を発見します。
兄の読んでいた雑誌でよく知っていた名前だったので、胸の高鳴りを覚えた椿。思わず門を叩たたき・・・!ません。その時は門を叩く勇気がなく、そのまま通り過ぎたそうです。
しばらく経ったある日、学校帰りに銀座を歩いていた椿は、岸田劉生個展の縦看板を目にするのでした。