明日から椿貞雄展―椿貞雄と岸田劉生―後期の展示を開催します。
本日から、全4回で椿貞雄が画家としてデビューするまでの道のりを簡単にご紹介します!
①「画家椿貞雄のルーツ」
椿貞雄は、1896年(明治29年)2月10日、米沢市で土木建築請請負業を生業としていた父英夫と、母たけの3男として生まれました。現在の東部小学校に通っており、高学年頃から絵に興味を持ち始めます。
きっかけは、兄信雄の影響でした。信雄も美術を好み、『白樺』『フュウザン』『現代の美術』等を愛読し、自らも水彩画を描いていました。椿は兄が毎月購読していた『白樺』などで美術についての知識を深め、絵を描くようになるのです。
現在の県立米沢興譲館高等学校に進学すると、絵に没頭するあまり学業がおろそかになり、授業を欠席することもたびたび。秋の景色を逃さず描く為に、2キロ離れた山まで学校を休んで1週間通ったというエピソードもあるくらいです。16歳の時には、青年洋画家有志団体「紫星会」第一回水彩画展に5点の作品を出品しています。
絵を描くことに夢中になった椿少年。学業の方はどうだったのかというと、登校日数が極端に少なくなり、なんと落第してしまいます。この時すでに画家になるという夢はふくらみ、上京を考えていました。
上京するには父親の許しが必要です。椿少年は上京できるのでしょうか…。
明日のギャラリートークのご案内です。
7月23日(土)14時から、
「椿日記と劉生日記」というテーマで、当館の担当学芸員による展示解説を行います。
皆さまのお越しをお待ちしております。
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 TEL 0238-26-8001