「上杉文華館」の1月の展示をご紹介します。
当館常設展室内では国宝上杉家文書を常時見ることができる上杉文華館があります。
今年度のテーマは「 国宝『上杉家文書』に見る幕末の米沢藩」です。
上杉家文書のうち幕末期のものは未だ活字化されていないものも多く、初公開の資料もご紹介します。
平成27年度、全12シリーズの第11弾は…
「戊辰戦争の終結」です。
【展示期間】:平成28年1月25日(火)
~平成28年2月28日(日)
明治元年(1868)、会津藩征伐を命じた新政府に対し、奥羽・越後諸藩は会津救援を図り、5月には奥羽越列藩同盟を結んで東北での戊辰戦争が起こりました。米沢藩は新庄・秋田、越後、白河方面など各地で激戦を繰り広げました。しかし7月末には越後方面総督の色部長門が戦死、長岡城攻防戦に敗れて同盟軍は会津へ退却し、新発田藩が同盟を離脱するなど、戦況は悪化していきました。
白河方面にも新政府軍が兵を進める中、8月に入ると親戚である土佐藩などから米沢藩に降服勧告があり、9月5日に世子(跡継ぎ)茂憲が越後・新発田に出向いて新政府軍に降服しました。その後、米沢藩は新政府側に立って奥羽諸藩の投降周旋にあたり、9月22日に会津藩が降服、続いて庄内藩も降服し、東北での戊辰戦争は終わりました。
12月7日、米沢藩は同盟で主導的な立場であった責任を問われ、藩主斉憲の隠居、4万石の減封、首謀者の家臣の届け出を命じられました、同時に、新政府に抗した諸藩に対しても、それぞれ処罰が発表されたのです。
国宝「上杉家文書」
松平容保以下処置覚書
時代:明治元年・1868 12月
法量:16.3×91.5
所蔵:上杉博物館
〔解説〕
一二月七日に新政府が示した、戊辰戦争で抵抗した二六の諸藩への処置を書き上げたものです。(三根山藩処罰は九日発表)この文書には米沢藩だけ記載されていないので、米沢藩関係者が他藩の処置内容を書き記したものと考えられます。
処置内容をみると、初めから朝敵とされた会津藩の松平容保・喜徳親子が最も重く、他家に永御預とだけあり、家の存続や領地については言及していません。以下は、奥羽悦列藩同盟での地位、抵抗の程度、降服した時期などに応じて、藩主の謹慎、領地の削減や移動(転封)などを命じられました。多くは「家名相続は血脈の者を選び願い出るべし」などとあり、現当主は隠居した上で、血縁者による藩主家の相続は認められました。
なお、国宝「上杉家文書」には、他藩主の処罰内容を記した文書がこのほかにも複数確認されます。上杉家が新政府による諸藩の処置内容に強い関心を寄せていた様子がうかがえます。
◆コレクショントーク◆
平成28年1月30日(土)14:00~
担当:当館学芸員 佐藤 正三郎
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
次回、平成28年度予定
上杉文華館 《 国宝上杉家文書にみる幕末の米沢藩 》
「明治政府のもとで」
【展示期間】:平成28年3月1日(火)
~3月27日(日)
◆コレクショントーク 平成28年3月5日(土)14:00~
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001まで
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。