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上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」

2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

 

【展示期間】平成30年8月23日(木)~9月25日(火)  

 

《第6回 上杉鷹山の息子、顕孝》

国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書が含まれています。今回の文書は、上杉顕孝が一〇代藩主上杉治広の世子(跡継ぎ)として初めて江戸に登った寛政四年(一七九二)、最初の宿泊地板谷御殿と江戸に到着してから、実父鷹山に送ったものです。顕孝一七歳の筆跡で、鷹山は四二歳でした。

 顕孝は、九代藩主上杉治憲(鷹山)と側室お豊の方の長男として安永五年(一七七六)米沢に生まれ、直丸と称しました。鷹山の正室幸姫は前藩主重定の娘でしたが、病弱で世継の誕生が望めなかったため重臣たちは上杉氏一族の娘であるお豊の方をすすめたのでした。治憲が米沢に初入部した翌年、明和八年(一七七一)に結婚しました。鷹山二〇歳、お豊の方三〇歳でした。

 顕孝は天明二年(一七八二)、治広の養子となり、翌年土佐藩主山内豊雍の娘采姫と縁組をしました。天明五年(一七八五)、父鷹山が三五歳の若さで隠居し、顕孝も母お豊の方と共に米沢城三の丸の屋敷に移りました。そこは餐霞館あるいは城の南にあたるので南亭と呼ばれました。餐霞館に移ると、鷹山は顕孝に仕える家臣に教育の心得として一篇の書を示しました。「壁書」と呼ばれるものです。孟子の故事を引き、若殿顕孝に接する時の基準にせよと、一四か条を挙げて説明しています。その最後に、有名な「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」の和歌がありました。

 寛政四年(一七九二)、藩主治広とともに、顕孝は初めて江戸に出府し上杉家の江戸下屋敷白銀邸に入りました。学問の師は父鷹山の師でもあった細井平洲でした。聡明で将来を嘱望された顕孝でしたが、寛政六年一月五日、疱瘡(天然痘)のため白銀邸で亡くなりました。遺骸は米沢に運ばれ、二月七日、歴代藩主の御廟所に葬られました。顕孝は一〇代藩主の養子になっており、藩主候補ではありましたがまだ藩主にはなっていませんでした。御廟所に埋葬されたのは特別な計らいで、鷹山の悲しみがいかに大きかったかを察することができます。鷹山の左隣の一段下がった小さな廟所です。

世子を失った米沢藩は、治広の長女三姫に一族の男子斉定(八代藩主上杉重定の孫)を婿養子として迎え相続させることになりました。

 また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳筆の「上杉本洛中洛外図屏風」は、複製(1作目=複製A)の展示となります。

 

▼ コレクショントーク

  平成30年8月25日(土)

  14:00~14:30

  場所: 常設展示室 上杉文華館

  ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2018.08.23:denkoku:[博物館情報]

岩合光昭写真展トークショー・サイン会、開館延長のお知らせ

只今開催中「岩合光昭どうぶつ写真展 地球の宝石」の岩合光昭トークショー・サイン会と開館延長のお知らせです。

 

8月9日(木)18:00より、伝国の杜置賜文化ホールにて岩合光昭トークショー・サイン会を行います。
それに伴い当日は企画展「岩合光昭どうぶつ写真展」のみ18時まで開館を延長いたします。

 

【岩合光昭 トークショー・サイン会】

 日時 : 8月9日(木) 18:00~(開場 17:30)

 会場 : 伝国の杜 置賜文化ホール

 入場無料 定員:先着合計500名

 

〈参加方法〉

 ①トークショー・サイン会

 当日、9:00より館内で該当写真集を購入された方にトークショー入場整理券とサイン会の整理券を配布します(一人1枚、先着200名)。

 ②トークショーのみ

 当日16:00より、ホール入口でトークショー入場整理券を配布します(一人2枚まで。先着300名)。

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

2018.07.31:denkoku:[博物館情報]

上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」

2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

 

【展示期間】平成30年7月26日(木)~8月21日(火)  

 

《第5回 上杉斉定の孝行心》

 国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書が含まれています。今回の文書は、一〇代藩主治広と若殿様(のちの一一代藩主斉定)のそば近くに仕える江戸と米沢の藩士間のやりとりで、鷹山をとりまく家族たちの日常を垣間見ることができます。紹介する書状三通は、すべて米沢の莅戸九郎兵衛政以に宛てて江戸の大石左膳綱豊と須田多仲満丈が連名で送った連署状です。

 いずれも幼い斉定の孝行心を綴っています。一〇代藩主上杉治広の後継者は鷹山の長男顕孝でしたが、藩主になることなく亡くなり、治広の男子も早世したため、治広の長女三姫に一族の男子斉定(八代藩主上杉重定の孫)を婿養子として迎え相続させることになったのです。

 宛先の莅戸九郎兵衛、差出の大石左膳、須田多仲は通称とされる通り名で、一族に何人かいます。莅戸九郎兵衛は、鷹山の片腕として藩政改革を主導した莅戸善政の嫡男政以です。政以は顕孝の傅役でしたが、寛政六年(一七九四)正月五日に顕孝が亡くなると、その年の六月二八日に斉定の傅役を命じられました。侍組の大石綱豊は、天明八年(一七八八)から治広の小姓頭を務めていました。須田満丈も侍組で、寛政六年四月二一日に小姓頭を命じられました。先輩である大石綱豊が上席と考えられ、連署状でも後に署名また花押を据えています。資料名は上位の大石綱豊からとっています。莅戸政以と大石綱豊は、最終的に米沢藩奉公職(国家老)を務め千石を賜い、政治の中心を担いました。須田満丈は小国役屋将となりました。鷹山の藩政改革に反対した七家騒動の首謀者の一人で切腹した須田満主は同族ですが、江戸時代以前に分かれたそれぞれの子孫です。

 同月同日付の莅戸九郎兵衛政以に宛大石左膳綱豊・須田多仲満丈連署状で、同内容ですが、通称で花押のない連名のものは、下位の須田多仲が莅戸九郎兵衛に送った略式のものと考えられ、詳細は奉状に調えるとあります。文章も「頓首」で終わり、宛先も「様」となっています。これに対し、実名で書かれた方は花押があり、「恐々謹言」で終わり、宛先は「殿」となっていることから、上位の大石綱豊が綴った正式のものと考えられます。

 歯痛に苦しむ鷹山が、頬を腫らしながらも八代藩主であった大殿様重定に会いに行くのを心配した幼い若殿様斉定が、袖に取りすがって泣き、鷹山の帰館まで寝ずに待ち、「御帰り触れ」の声に安堵して喜んだ、といった斉定の振る舞いとともに、鷹山の日頃の教育の賜物と称賛しています。

 

 また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳の「上杉本洛中洛外図屏風」は、複製(1作目=複製A)の展示となります。

 

▼ コレクショントーク

  平成30年8月5日(日)

  14:00~

  場所: 常設展示室 上杉文華館

  ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2018.07.26:denkoku:[博物館情報]

【次回展示予告】企画展「岩合光昭どうぶつ写真展 地球の宝石」

7月28日(土)よりはじまる企画展のおしらせです。

企画展「岩合光昭どうぶつ写真展 地球の宝石」

 動物写真家として世界中で高く評価されている岩合光昭。本展は岩合が40年にわたり撮影してきた写真の中から、絶滅の危機に瀕している動物や、保護環境のなかで生きている貴重な動物たちの姿をとらえた「地球の宝石」シリーズをご紹介します。この上なく雄大で美しい自然と、一方で人間の営みにより命を脅かされる野生動物たちの姿は様々な問いを投げかけてきます。また、写真に添えられたB.T.グリーヴの文章は、動物たちの「声なき声」を伝え、地球と動物と人とのかかわりについて考えるきっかけを与えてくれます。

 

【期間】 平成30年7月28日(土) ~ 平成30年9月9日(日)

【休館日】8月22日(水)

【開館時間】9:00~17:00(チケット販売は16:30まで)

      ※8月9日は開館時間を18:00まで延長いたします。

【入館料】 一般 410円(320円)高大生 300円(240円)小中生 200円(160円)

     ※( )は20名以上の団体料金

 

【ギャラリートーク】担当学芸員による展示解説

 日時 : 7月28日(土) 14:00~ 

 場所 : 米沢市上杉博物館 企画展示室

 ※企画展の入館料が必要です。

 

【岩合光昭 トークショー・サイン会】

 日時 : 8月9日(木) 18:00~(開場 17:30)

 会場 : 伝国の杜 置賜文化ホール

 入場無料 定員:先着合計500名

〈参加方法〉

 ①トークショー・サイン会

 当日、9:00より館内で該当写真集を購入された方にトークショー入場整理券とサイン会の整理券を配布します(一人1枚、先着200名)。

 ②トークショーのみ

 当日16:00より、ホール入口でトークショー入場整理券を配布します(一人2枚まで。先着300名)。

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

 

2018.07.16:denkoku:[博物館情報]

上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」

2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

 

【展示期間】平成30年6月28日(木)~7月24日(火)  

 

《第4回 上杉家の慶事》

 国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書が含まれています。慶事も様々ありますが、10代藩主上杉治広が文化7年(1810)12月16日、左近衛少将に任じられたことに対し、江戸にいる治広自身が米沢の世子斉定に伝えた書状一通と、その情報がもたらされた米沢の鷹山から、江戸の治広に送られたであろう書状案一通を紹介します。

 大名家には家格があって、任じられる官位が決まっていました。上杉家は中納言であった景勝は別格として、2代藩主定勝が少将に任じられて以降侍従止まりでした。定勝以来の少将の任官ですから喜びもひとしおです。鷹山も「数代絶えてなかった」と記しています。江戸時代後期に総じて官位の上昇が見られることについての研究もありますが、鷹山は治広の日頃の慎み深い態度や働きが顕著にあったことを褒めたたえ、紙上に尽くせぬ喜びと綴っています。また、治広は上杉重定の三男で本来上杉家を継ぐ人物ではなかったため、「天の寵霊(尊い恵み)」によって上杉家の家督を相続し、今また昇進の栄に浴したことは、ご先祖様への忠孝、これに過ぎることはないと文章を訂正しています。さらに奢ることがないように戒め、共遜の徳を積むよう諭すことも忘れません。

 なお、上杉家の家格についての詳細は、当館図録『国持大名上杉家』を参照ください。

 次に、治広が娘婿の世子宮松(後の11代藩主斉定)に送った、新年を祝う書状です。江戸屋敷の面々や治広自身も何事もなく年越しができた喜びの近況を伝え、米沢の鷹山への気遣いも垣間見えます。参勤交代で江戸と領国米沢に分かれて暮らす家族の新年のご挨拶です。現在の年賀状に相当するもので、それぞれつつがなく迎える新年は、何より喜ばしいものでしょう。

 最後の一通は、元服を祝う書状です。8代藩主上杉重定の長子勝煕の三男勝庸から兄である若殿様(斉定)に送られたものです。勝庸の元服(前髪取り)と弟政之助の判元服(袖留)の祝いに対し、お礼を述べています。勝煕は重定の長子ですが、鷹山が上杉家の世子に決まってから側室廓如院(お勢の方)との間に誕生しました。しかし、鷹山のあとの10代藩主にはその資質から同母弟の治広がつき、勝煕は上杉姓を名乗らず畠山氏を称しました。しかし、子供たちが上杉家を継承していくことになりました。長男は早世しましたが、次男斉定が米沢藩11代藩主となり、四男勝義は米沢新田藩4代藩主を相続しました。三男勝庸が上杉姓に復し勝煕の跡を継ぎました。書状に登場する五男の政之助は旗本松野家の養子となって助敬を名乗りました。

 

 また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳の「上杉本洛中洛外図屏風」は、複製(2作目=複製B)の展示となります。

 

▼ コレクショントーク

  平成30年6月30日(土)

  14:00~

  場所: 常設展示室 上杉文華館

  ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2018.06.29:denkoku:[博物館情報]