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事業中止のお知らせ

事業中止のお知らせ


新型コロナウィルス感染予防のため、4月5日(日)に予定しておりました上杉文華館コレクショントーク「幕府の御用」は、中止いたします。
楽しみにされていたお客様には申し訳ございませんが、ご理解くださいますようお願い申し上げます。

上杉文華館についてはこちら

http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/uesugi_bunkakan.htm

2020.03.26:denkoku:[博物館情報]

本日最終日 武士のお仕事展

好評開催中のコレクション展「米沢藩 武士のお仕事 ~戦士・役人・芸達者~」は、本日3月22日が会期最終日です。

無事に最終日を迎えることができ、本日も通常通りご覧いただけます!

 当館が長年かけて収集、整理、調査してきた米沢藩士関係の資料を展示し、その魅力と特徴、米沢藩士の仕事ぶりを紹介中です。甲冑、武具、絵図、絵画、古文書と、資料の多彩さも魅力の一つ。武士の様々な姿を知ることができます!

 子ども向けキャプションは、大人の方にも資料や解説に興味を持つ、きっかけになっています。親子連れで来館し、資料をいろいろな角度からご覧になる姿が印象的でした。

会期中、とても多くの方にご来館いただきました。ありがとうございます!

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

 

【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2020.03.22:denkoku:[博物館情報]

上杉文華館 上杉鷹山の藩政改革

 2020年度の上杉文華館は「上杉鷹山の藩政改革」と題して、国宝「上杉家文書」のうちこれまで紹介されていない未翻刻の資料を中心に約1ヶ月ごとに展示替えしながら、その他の関連資料を含めて展示します。常設展示室内の「次第に困窮に及ぶ」や、「なせばなる 鷹山登場」とあわせてご覧ください。
 鷹山は、宝暦元年(1751)7月20日、高鍋藩主秋月種美の二男として江戸に生まれました。母方の祖母が4代米沢藩主上杉綱憲の娘でした。宝暦10年、8代米沢藩主上杉重定の養子となり、明和4年(1767)4月24日、上杉家の家督を継ぎ、数え年17歳で9代藩主となりました。当時の米沢藩は、借金の累積、家臣団の困窮と秩序の混乱、天災や過重な税負担による農村の荒廃と人口の減少など、多くの課題を抱えていました。
 鷹山は、竹俣当綱や莅戸善政をはじめ多数の優秀な家臣とともに、財政の再建と産業育成、学問の振興と家臣団秩序の厳格化、農村の復興と人口増加策など、様々な改革を実施します。天明5年(1785)に35才で隠居した後は、米沢にあって10代治広、11代斉定の藩政を助けて改革を継続し、文政5年(1822)に亡くなりました。

 

【展示期間】2020年3月21日(土)~2020年5月19日(火)

《幕府の御用》

 幕府から命じられる様々な御用(役負担)は、いずれも多額の出費を伴うものであり、米沢藩困窮の大きな要因です。一方で戦いとその備えはもちろん、公的な普請(工事)を担うこと(普請役)は、幕藩体制下の大名に課せられた義務であり、避けられないことでした。
 当時、米沢藩は明和6年(1769)の江戸城二の丸普請(1万6200両)、寛政10年(1798)の延暦寺山門諸堂修理(2万2300両)、文化10年(1813)江戸城紅葉山の普請(約1万8400両)といった普請役を負担しています。さらにロシア船が蝦夷地(北海道)や日本海近海に姿を見せ衝突が起こると、寛政9年(1797)以降には越後岩船郡の沿岸警備、文化4年(1807)以降は蝦夷地出兵の準備を余儀なくされました。

 

 

▼ コレクショントーク

 2020年4月5日(日)               「幕府の御用」

 2020年4月29日(水・祝)       「鷹山と治広」

 時間:14:00~

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2020.03.21:denkoku:[博物館情報]

新型コロナウイルスに関する対応について

【新型コロナウイルスに関する対応について】

 感染予防・拡大防止のため、3月15日(日)までの期間、催事の中止および展示の一部休止をさせていただきます。

 

詳細は以下をご覧ください。

http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/COVID-19.htm

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

 

2020.02.28:denkoku:[博物館情報]

上杉文華館 米沢初入部250年記念 「上杉家文書」に見る上杉鷹山

2019年度の上杉文華館は「米沢初入部250年記念「上杉家文書」に見る上杉鷹山」と題して、館蔵の国宝「上杉家文書」に伝えられた文書や、ほかの館蔵資料を通して鷹山の人生の一コマを紹介していきたいと思います。

 

【展示期間】2020年1月21日(火)~2020年3月20日(金・祝)

 

《大名として》

 2019年度の上杉文華館は「米沢初入部250年記念「上杉家文書」に見る上杉鷹山」と題して、館蔵の国宝「上杉家文書」に伝えられた文書や、ほかの館蔵資料を通して鷹山の人生の一コマを紹介していきたいと思います。

 鷹山は、宝暦元年(1751)7月20日、高鍋藩主秋月種美の二男として江戸に生まれました。母方の祖母が4代米沢藩主上杉綱憲の娘でした。宝暦10年10月19日、8代米沢藩主上杉重定の養子として上杉家の江戸上屋敷桜田邸に移りました。そして、明和4年(1767)4月24日、上杉家の家督を継ぎ、数え年17歳で9代藩主に就任しました。ここに財政難に苦しむ米沢藩の再建が若き藩主に委ねられました。その2年半後、明和6年(1769)10月、鷹山は初めて領地米沢に足を踏み入れました。

 次期藩主となる大名の子息は、江戸藩邸に暮らすことが決まりでした。国元で生まれても幼いうちに江戸へ上ります。家督を継いで大名となり、将軍から暇を得て帰国しますが、藩主として初めての帰国は特別のことでした。藩士らにとっての新しい主人であり、新しい関係の始まりでした。例年行われる行事でも、この時ばかりは特別の次第で行われるものが少なくありませんでした。

 2019年度第6回は「大名として」をテーマにします。江戸時代は由緒が重んじられた時代でした。それを証明する中核に古文書が位置していました。そして、系図もまた家の歴史を証明する重要な存在でした。今回はそれをめぐる鷹山の一面を見てみます。

 上杉文華館では、「国宝上杉本洛中洛外図屏風」(複製)も公開しています。今回は1995年制作の複製です。現状に忠実に複製したものです。

 

▼ コレクショントーク

 2020年2月2日(日)                  上杉家文書を中心とした解説

 2020年3月1日(日)                  洛中洛外図屏風の解説

 時間:14:00~14:30

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2020.01.21:denkoku:[博物館情報]