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孫田稔「赤外線写真展」から  「踏切」から見えるもの

  • 孫田稔「赤外線写真展」から  「踏切」から見えるもの

 今回出品されている作品の中で、特に印象深い作品の一つが上の写真である。踏切の警報器は黄色と黒の「警戒色」、そして警報音と共に点滅する赤いランプで構成されるものである。すなわち色彩自体が社会的な意味を持っているのである。社会的規範としてインプットされて来たその情報が消し去られた時、人の脳はどのように思考するのであろうか。

 

 作品を見ながら意識の動く方向を探っていると、「警報器」に新たな意味づけを行おうとしている自分が見えて来た。踏切は単なる警報器を超えた存在として、自分の目の前に立ちはだかるのである。そんな不思議な印象を持つようになったのは、オーロラのように妖しい光を放っている雲の筋の存在が大きいであろう。これは単なるモノクロ写真では表現できない、赤外線写真ならではのものである。

 

 いすみ鉄道の「ここには何もないがある」のポスターにも「踏切」が使われている。小椋佳の「白い一日」という曲にも、「踏切」が出てくる。踏切は多様な感情を沸かせるものである。警報器の色を削ぎ落し、「踏切」の前に立ってみるのも面白いのかもしれない。

  → 停車場憧憬  踏切にて:山形鉄道 おらだの会

2026.08.17:orada4:コメント(0):[停車場風景]

「帰って来たなぁ」って思います

  • 「帰って来たなぁ」って思います

6月24日

 やっと戻ってくることができました。25年ぶりです。祖父の生まれ故郷の白鷹町です。この電車に乗り、戦争や東京に行ったのかなと思うと涙が出ました。またすぐに来ます。フラワー長井線、ずっと応援しています。(Au)

 → (16)戦時下の青春:おらだの会

 → 「ああ上野駅」から「仰げば尊し」  :おらだの会

 

6月28日

 東京から来ました。素敵な駅にカンゲキ。

 

7月3日

 福島でのバイトが終わり長井へ帰って来ました。久しぶりの羽前成田駅。「帰って来たなぁ」って気持ちになります。ほっとしてます。

 

【おらだの会】戦争や就職で旅立った場所。祖父の故郷へ、バイト先から立ち帰る場所。その背景は違うのだけれど、歴史や時代を超えて、駅はそこにあったのだ。

2026.08.15:orada4:コメント(0):[停車場ノート]

孫田稔「赤外線写真展」  待合室で展示中

  • 孫田稔「赤外線写真展」  待合室で展示中

 現在開催中の孫田稔「赤外線写真展」は、お盆期間中(12~16日)は待合室での展示となります。駅茶での展示は21日から再スタートします。30日までの各週末(金、土、日)の午後1時半から4時までの開場となります。どうぞおいで下さい。

2026.08.13:orada4:コメント(0):[イベント情報]

孫田稔「赤外線写真展」から  懐かしい風景のような

  • 孫田稔「赤外線写真展」から  懐かしい風景のような

 孫田さんは赤外線写真の解説書を準備してくれています。ポスターに使われている写真を見ながら、赤外線写真の特徴や楽しみ方を紹介したいと思います。

 

 植物は光合成に不要な赤外線を吸収せずに反射させます。そのため線路沿いの草花は雪が積もったように真っ白になります。樹木は種類によって赤外線を反射する強さが異なり、広葉樹は赤外線を強く反射して白くなりますが、写真の正面奥にある針葉樹は反射が弱くグレーっぽく写ります。また緑色の葉に隠れて見えなかった樹木の枝が、墨のような質感で浮き上がってきます。

 

 赤外線は直進性があって、大気中の微粒子があっても散乱しにくいという性質があります。このため遠くにある山や雲が肉眼では霞んで見えない場合でも、赤外線で見るとはっきりと見ることができます。遠くのものが目の前にあるかのようにくっきりと見えるため、絵画のような超現実的な世界が生まれるのだそうです。

 

 この撮影地は梨郷第7踏切付近から最上川橋梁に向かう場所です。懐かしい風景のような、あるいは重苦しい夢のようなこの作品を観て、あなたはどのような心象風景を思い描くのでしょうか。それも写真の楽しみ方の一つなのかもしれませんね。

  想い出のあの日に駆けるや機関車の ガタガタゴーと鉄橋を渡る

2026.08.11:orada4:コメント(0):[停車場風景]

孫田稔「赤外線写真展」から  赤湯駅

  • 孫田稔「赤外線写真展」から    赤湯駅

 これまで荒砥駅と梨郷駅を見てきたが、赤外線写真で映し出された駅舎は存在感が増して、いづれも威風堂々と見えたのであるが、赤湯駅もそうである。

 赤湯駅は、昭和63年(1988年)10月25日に長井線開業に合わせて建設された。長井線リポートでは「湖畔の別荘」と書いたが、当時の新聞では「河畔の駅」と評されたという。

 写真では周辺の樹木などの色彩が排除されて、駅舎の姿が浮かび上がっている。それは、当時の住民の期待の大きさを映しているようにも思える。「駅」というものの存在に思いを致しても良いのではないだろうか。

 

 → 長井線リポート(33) 湖畔の別荘・赤湯駅:おらだの会

2026.08.09:orada4:コメント(0):[停車場風景]