川崎に住んでいる弟も定年し、毎年5月連休の混み合う前に山形に帰省するようになり、いっしょに旅行するようになりました、今年は寺泊に一泊しての良寛をめぐる旅となりまして、生誕の地、良寛資料館、五合庵、そして良寛ゆかりの寺である徳昌寺(とくしょうじ)に寄りました。良寛さんは天保2年(1831)、木村家で息を引き取る。 享年74歳、良寛は曹洞宗の僧侶で、師の大忍国仙や宗祖道元の教えをよく守り、生涯、寺を構えず、妻子を持たず、物質的には無一物に徹し、清貧の思想を貫いたという人でありますね、曹洞宗で与板城主であった直江山城守の菩提所であり、良寛ゆかりの寺である。徳昌寺、住職と良寛さんは法友で、先に亡くなったら導師を務めるという約束のとおり、徳昌寺の住職が良寛さんの導師を務めました。良寛さんが木村家に寄付させた、日本に二巻しかない明版大蔵経本を所有しています。境内には良寛さんが晩年の友人山田杜皐に宛てた三条地震の見舞の手紙が碑になっており、良寛という人の大きさが碑文から感じられる、良寛さんに触れ合えた思いがします・・文政11年(1828年)11月12日、良寛71歳のとき、三条地震があり、与板も大きな被害を受けたとあり、翌年春、徳昌寺で地震の犠牲者を供養するための大法要が行われました。このとき良寛は、その盛大さと、費用が全て与板藩主・井伊直経の寄進によるものであることを聞き、非常に感激して詩歌を作っています。この詩歌は、良寛と親交があった徳昌寺の住職・大機和尚の百年忌(昭和27年7月)にあたり、本堂前に碑として建てられました。この大機和尚は、良寛の葬儀で16カ寺の住職が読経した際の導師をつとめた人です。寺には良寛の過去帳も残されています。






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