陸前高田・八木澤商店のことば

  • 陸前高田・八木澤商店のことば

そういえば、南三陸町や気仙沼、石巻、閖上なども半年近く行ってないなぁ。

今どうなっているだろう?

 

岩手沿岸部に至っては3年ぶりくらいです。

先日、出張の道中、陸前高田、大船渡、釜石の復興の様子を見てきました。

 

一番復興に程遠いと感じたのが陸前高田市です。

同時に、大プロジェクトが着々と進んでのも見てとれました。

 

何しろ海に面した広大な平坦な市街地。その全体をかさ上げしてるのですから壮大です。

地元民曰く、「毎日景色が変わってますよ」

 

奇跡の一本松はどうなったのかな、と思ったら、確かにモニュメントとして、

「そこに在りました」。

 

機能価値とともに重要なのが存在価値。

存在しているだけで価値があるのは人も物も自然も同じですね。

 

奇跡の一本松はやはりそこに在るだけで異彩を放っていました。

その近くに「奇跡の一本松茶屋」なるものがあったので寄ってみました。

 

なんとなく安っぽいトレーラーハウス的お店だったけど、せっかくだから何か

買っていこうと思い軽い気持ちで覗いてみたら・・・。

 

そこは八木澤商店という老舗の味噌醤油を製造販売する会社が運営していました。

どのくらい老舗かというと、創業が1807年というから何と200年以上続いています!

 

日本には老舗企業が世界一あることは有名ですが、ここにもあった!

そしてやはり老舗が生き延びてきた背景には、芯となる考え方が受け継がれてきたから、

ということを改めて気づかされました。

 

 

この「大切なこと」というのは、購入した醤油のパッケージに入っていました。

 

綺麗な言葉をただ並べることは誰でもできます。そこに真実があるかどうか、

仏像に魂が入っているかどうか、というところがポイントです。

 

八木澤商店さんには間違いなくそれがあると感じました。

それは商品からも窺えました。商品づくりにおのずと表れるものですものね。

 

陸前高田に行かれる際は、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。

2018.08.12:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]

本当は教えたくない、仙台の隠れ家的〇〇〇

  • 本当は教えたくない、仙台の隠れ家的〇〇〇

お店の名前は、「おでん こうぞう」です。

おススメは夏!

 

え?? なんでおでん屋なのに夏なの?? 冬のほうがいいんじゃない?

はい、確かにふつうはそう思いますよね。

 

ところがこのお店、冬はたぶん予約が取れないと思います。

何しろ、先日仙台市観測史上最高気温を達成した8月1日ですら、何とか予約に成功。

次々訪れるフリー客には、皆さんにゴメンナサイ対応でした。

 

しかも、夏の良さはそれだけではありません。

店内から見える夕暮れの空がまた格別です。この窓の具合、たまりません!

 

肝心のおでんは?

そりゃもう言うまでもありませんよ!

 

お酒もバッチグー! 福島市出身のマスターセレクトの福島の地酒がズラリ!

男2人(多くても3人)でじっくり語り合いたい時に最高のお店です。

2018.08.06:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]

仙台、観測史上最高気温37.3℃(8月2日)

  • 仙台、観測史上最高気温37.3℃(8月2日)

37.3℃なんてしょっちゅうだよ、という多治見や熊谷や甲府の皆さんの声が聞こえてきそう

ではありますが、いつも安定的な気温を保っている仙台にしてはスゴイことでした!

 

そんな日、普通の人はどう過ごすでしょう?

ビアガーデンに行って暑気払いする? 家でビールを飲んでクーラーの近くで涼む?

 

私の選択はこちら↓

 

よくわからないと思いますが、赤丸のところにご注目。

そう、おでん屋さんです(笑)。知る人ぞ知る「おでん こうぞう」というお店です。

 

入った瞬間、気持ちいい!

真夏だから6時はまだまだ明るいですよね。その時間のこのお店、雰囲気最高!


もちろん味も最高です。そしてさすがは人気店。こんな暑い日なのにすでに予約で満席。

ふらっと来たお客さんが何人かいましたが、すべてゴメンナサイ対応でした。

 

肝心のおでん盛り合わせの写真を撮るのを忘れてしまいましたが、福島市出身のマスター

がセレクトしている福島県の地酒を美味しくいただき、最高の暑気払いでした。

 

2018.08.05:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]

仙台七夕、まもなく

  • 仙台七夕、まもなく

先日、仙台七夕の裏方のドン、鳴海屋紙商事㈱ 営業部部長の鳴海幸一郎さんのお話を伺う

機会をいただきました。

 

仙台人にとっては、鳴海屋と言えば七夕、とすぐイメージできるほどの会社ですが、

実は、かつては㈱鳴海屋紙店という名前の会社でした。

 

鳴海さんはこの伝統ある会社の一人息子として家業を継ぎ、仙台七夕を支え続けています。

経営継続の都合上、現在のスタイルに収まり、名を捨て実を取ったということでした。

 

お話のテーマは 「 仙台七夕の歴史 」と「 まつりの裏方 」 

 

こういう話はもしかしたら鳴海さん以外の人でもできると思いますが、鳴海さんほど

熱く情熱を込めて語れる人はいないでしょう。仙台七夕を心から愛し、その裏方を支える

仕事にひたむきに向き合っていらっしゃることがハッキリ伝わってきました。

 

実は、お恥ずかしながら、仙台に生まれ育っておりながら、初めて聞くような話が

たくさんありました。これまでも聞いたとしても、左の耳から右の耳へ、スーッと

抜けていったのかもしれません。

 

そもそも七夕は、中国の乞巧奠(きこうでん)という星祭りに由来します。

織姫と彦星の話は皆さんご存知だと思いますので省略しますが、中国から台湾を経て、

京都に入ったのです。そして、もちろん日本固有の信仰と絡み発展してきたのです。

 

今でも、冷泉家という藤原道長の流れを引く公家の家で、その古式ゆかしき伝統が

守られているそうです。

 

それがいつどのように仙台に来たか、というと、なんと、400年前。

我らが伊達政宗公が京都上洛の折、これは良いものだ、と持ち帰って始まったそうです。

 

さて、七夕の七つ道具をご存知でしょうか?

吹き流し、折り鶴、短冊、紙の着物、投網、屑かご、巾着、の7つです。

 

この中で、日本らしいなぁ、と思ったのは屑かご。他の国でこういうのが7つのうちの

1つに取り上げられることはないでしょう。

 

中に、七夕の飾りを作って出た紙屑を入れてつるし、物を粗末にしないこと、整理整頓、

清潔の心を教えているのです。実にいいじゃありませんか。

 

では、七夕と仙台七夕は何がどう違うのか?

仙台七夕は、吹き流しの上にくす玉があるのが特徴なのだそうです。

 

仙台人なら森天佑堂をご存知だと思いますが、その旦那様が、戦後の復興を願って、

くす玉を作って掲げたのが定着したのだそうです。

 

現在は、平塚の七夕も仙台との交流の中で、それを取り入れるようになったため、

ハッキリした違いはなくなっているようですが。

 

この他に、設営撤去についての裏話やら、小学生の8万個の折り鶴飾りほか、

七夕祭りをじっくり味わうに十分過ぎるほどのお話を伺いました。

 

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2018.07.29:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]

義理の父、逝く

  • 義理の父、逝く

 

87歳といえば、日本人男性の平均寿命81歳よりはだいぶ長生きしたことになります。

しかし、つい4月あたりにはゴルフも楽しんだ義理の父。肺がんであっという間の最期でした。

 

私が結婚当初は、義理の父は自宅(郡山市)で母親の介護をしていました。

床ズレしないように体の向きを変えたりするのも、介護用ベッドでも大変なのに、

普通の布団で2時間ごとにそれを行っていましたから、実に大変なことだったと思います。

 

おむつを交換したり痰をとったりと、四六時中向き合っていないとできないことでした。

平日日中は仕事をしていましたから、夜と休日は俺の番、ということで率先して行なっていました。

 

学校時代の同窓会や会社のOB会のお世話役、ゴルフや麻雀、旅行の幹事なども、

いつも積極的に行なっていました。

 

私達世代ならデータはPCで管理し、案内状は宛名の本文もプリントすれば終わり。

メールやLINEで確認や調整などもできますから、それほど苦ではありません。

(それでもみんなやりたがりませんがね)

 

昭和初期生まれの義理の父は、もちろんすべてアナログ。

ハガキに一枚一枚全部手書き。そして一人ひとりに電話で確認するといったやり方です。

 

電話をかけるときの雰囲気は、きっちり丁寧な文字の住所録からみられる几帳面さとは

真逆で、実に気さくな感じでユーモアたっぷり。

そして場に臨んでは、本人自らも大いに楽しみ、みんなを楽しませるといったタイプでした。

 

一緒にどこかへ出かけると、例えばガソリンスタンドでは、窓を拭いてくれる青年に、

「いや~、一生懸命拭いてくれてありがとない。暑くて大変だない」

と郡山弁で気さくにすぐに話しかけ、励ますのです。

 

そういう調子でずっとやってきた人なので、緩和ケア病棟に入院しても、見習い看護師

が来たりすると、優しい言葉とねぎらいの言葉をかけていました。そういう習慣がまさに

身についていた(沁みついていた)人でした。

 

そんな義理の父だったので、最期はきっと苦も無く眠るように息を引き取るに違いない、

と勝手に想像していました。そして実際そのとおりになりました。

 

葬儀に参列してくださった方々からは、口々に温かい言葉がかけれらました。

人がどう生きてきたか、ということが、お葬式にすべて表れるなぁ、と感じました。

 

祭壇は、生前好きだったゴルフのグリーン(18番ホールのピン付)と釣り場である福島の

自然が表現されており、笑顔の遺影とともに人柄が偲ばれるものでした。

 

安らかにお眠りください。

 

2018.07.22:yoshihiro:コメント(0):[コンテンツ]