老兵の半生(浅草田中町)

私は昭和35年の4月、東京台東区浅草田中町の
靴職人「菅正夫親方」の家に内弟子として住込んで
いました。付近一帯は東京空襲を免れ、戦前の古い建物
が密集している、典型的な東京の下町でした。
周りには、遊郭で有名な吉原、江戸時代の処刑場小柄原、
錦糸町、山谷、隅田川等々で囲まれ、私にとっては
見るもの、聞くものすべて興味あふれるものばかりでした。
親方は、どちらかと言うと遊び人で、仕事は奥さんが
殆ど仕切っていました。親方は特攻上がりで、出陣の
二日前に終戦になって、命拾いしたのだと、酒に酔うと
よく、私たちに特別攻撃隊の話をしてくれました。
親方は当時年齢が、三十歳位でいい男、気風がよく
激しい性格でありましたが、私たちには優しかったです。
奥さんもすらりとして、綺麗で祭が大好き、生粋の
江戸っ子でした。実家が近くにあり妹達が良く遊びに
きてました。
職人は親方と奥さんと親方の妹、弟子は私と、弟弟子の
千ちゃん。家族としては親方の二人の男の子を、含めると
七人での、共同生活でした。
よく当時人気のあった、力道山のプロレス試合をみるため
一家そろって、白黒テレビのある近くの、そばやさんに
連れてってもらったものです。
仕事はあまり面白いとは、思わなかったのですが
親方や奥さんその他の人たちとの、ふれあいは
一生忘れられない思い出と成っています。
・・つづく・・

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